平成19年度 青森県立美術館常設展II

2007年6月26日(火) ━ 9月24日(月)

コレクション展 終了
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平成19年度 青森県立美術館常設展II

特集:変革の時(とき) ~60年代を中心に~

戦後の日本におこったエネルギッシュな前衛芸術の動向をご紹介するとともに、その動向を生み出した時代背景を浮き彫りにします。

棟方志功展示室: 60年代の棟方

1950年代後半、棟方はサンパウロ及びヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際美術展で相次いで受賞し、国際的な評価を得、世界のムナカタとなりました。59年には初めての海外旅行で欧米各国を歴訪し知見を広め、60年代にも2度アメリカに渡っています。
60年、左眼の視力を失い、制作活動への不安を抱えながらも、逆に創作意欲を大いに募らせ、61年の「花矢の柵」、63年、69年に発表された「大世界の柵」などの大型板画にチャレンジする一方、「大首の柵」 (鍵板画柵) を端緒とする、棟方の女性像、美人画の典型「大首絵」のスタイルを確立し、棟方志功の名が広く世に知れわたった時期です。そして1970年、文化勲章を受章することとなるのです。

展示室K: 反芸術 - 芸術をぶっ壊した芸術

1960年代は高度経済成長と政治的な混乱によって、人々の生活や価値観が大きく変化した時代でした。
そうした世相を受けて、美術の分野においても多くの若い美術家たちが旧来的な芸術観を否定し、新しい価値の創造を追求していきます。
関西においては1954年に活動を開始した具体美術協会が、各種のパフォーマンスや身体的行為と密接に結びついた作品で注目を集め、関東でも東京都美術館で毎年開催されていた「読売アンデパンダン展」を主な舞台として、廃品や既製品など様々な素材を用いた作品や、挑発的な表現が多く見られるようになっていきます。美術評論家の東野芳明が1960年の読売アンデパンダン展に出品していた工藤哲巳の作品に対し「反芸術」という名称を与えて以降、こうした動向は一気にブームとなっていったのです。
本コーナーでは、そうした1960年代の社会状況を反映した作品を紹介いたします。
「反芸術」的作品によって油絵、彫刻といった旧来的なジャンルは解体され、表現の可能性も飛躍的に拡大、以降現在に至るまで多種多様な作品が生み出され続けています。
工藤哲巳、立石鉱一、篠原有司男など、全19点の作品を展示します。

展示室I: 澤田の戦場、戦場のSAWADA

1950年代中葉から約20年間におよんだベトナム戦争は、当事国のみならず、世界のさまざまな国を巻き込んで、激しい論争を引き起こしました。日本においても、日米安保体制のもとアメリカの政策を支持していた政府を、厳しく批判する反戦の声が高まりました。
1960年代の美術界に噴出した従前の枠組みから逸脱する多様な表現は、ベトナム戦争を中核とし、既成の体制に強く反発する、安保闘争や学生運動といった社会的な状況と無関係ではありませんでした。
ベトナム戦争に対する世論の形成に大きな役割を果たしたのが、戦地の生の状況を取材し、リアルタイムで発信したジャーナリストやカメラマンでした。青森県出身の澤田教一 (1936 – 1970) は、そうした戦場カメラマンの一人です。
1936年 (昭和11) 年、青森市に生まれた澤田は、1965年から1970年までの5年間、ベトナムやカンボジアなど、銃声と砲火の絶えないインドシナ半島の戦況をカメラで追い続けました。ここでは、澤田の写真と、戦場での彼の活動を生々しく伝える資料とをあわせて展示し、ベトナム戦争とカメラマン澤田教一の真実にせまります。
ピュリッツァー賞を受賞した《安全への逃避》 (1965) や《泥まみれの死》 (1966) など、25点のプリントとあわせて、遺族から借用したヘルメットやキャプション・エンヴェッロップ (ネガ袋) 、電送写真などを多数展示。

小企画・その他常設展示

展示室F:奈良美智インスタレーション

青森県弘前市出身の奈良美智 (1959 – ) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
《Hula Hula Garden》と《ニュー・ソウルハウス》という2点のインスタレーション(空間設置作品)を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。

展示替えおよび塗装工事にともなう展示室一時閉鎖のお知らせ

展示室G:寺山修司の映像世界

寺山修司 (1935 – 1983) は東京を活動の拠点としつつも、故郷青森の言葉や風土を意識した作品を数多く手がけています。
偽の自伝映画「田園に死す」 (1974年、ATG) は、恐山と新宿のイメージが交錯する物語ですが、青森の家が壊れると新宿東口があらわれる不思議なラストシーンに象徴されるように、現実と虚構、都市と地方、現在と過去、内面と外面、創造と破壊といった対立概念をあわせもつ「両義性の魅力」が寺山作品の大きな特徴と言えます。
今年度の常設展示では、そうした寺山の本質を端的に示す映像作品を中心に展示を構成します。

展示替えおよび塗装工事にともなう展示室一時閉鎖のお知らせ

展示室L:今和次郎、今純三 -しらべもの[考現学]展覧会

「この展覧会はここ三年間私達のやった仕事の展示です。かかる仕事を私達は仮りに考現学と称して、考古学でやる方法を現代に適用してみているのです。即ち現代眼前に見るいろいろのものを記録し、そのしらべの方法をどうやったらいいかに就いて努めている次第です。御覧の通り万般のものに就いて試みています。御批評を仰ぎます。」
「しらべもの[考現学]展覧会」目録附言

 

1927 (昭和2) 年の秋、創業まもない新宿紀伊國屋書店の一角で、一つの展覧会が開催されました。「しらべもの[考現学]展覧会」と名付けられたこの展覧会には、当時早稲田大学の教授をしていた今和次郎を中心に、和次郎の後輩で舞台美術の仕事に携わっていた吉田謙吉ら仲間達によって、自身の目とノートと鉛筆を駆使して、あたかも昆虫学者が蝶や甲虫を採集するかのごとく生け捕りにされたモノたち (都市風俗の記録) が、さながら昆虫標本のように展覧会場の壁面を埋め尽くしていました。展覧会は連日多くの人々で賑わい、“近頃珍らしい展覧会”としてマスコミからも注目されるところとなりました。そして、1929 (昭和4) 年には和次郎と吉田謙吉との共著による『モデルノロヂオ (考現学) 』 (春陽堂) が出版され、ここに「考現学」という学問が一般に広く知られることとなったのです。
一方、1923 (大正12) 年の関東大震災を機に東京から青森へと転居した和次郎の弟、純三も一人青森において考現学採集に取り組み、その成果を和次郎の許へ送っていました。「しらべもの展」に出品された「青森雪の風俗帳 (其1) 」には、「考現学」というフィルターを通して純三の視線がとらえた、雪深い一地方都市の風俗が鮮やかに写し出されています。

展示室M:版画表現の挑戦

近代以降、日本の版画は最新の世界的な芸術運動に関する情報を貪欲に吸収する一方で、浮世絵をはじめとする伝統をどのように生かしてゆくかという問題も常に意識され、多くの作家が模索と挑戦を続けてきました。
今回は、その数十年の積み重ねが豊かに花開いた1950 – 60年代を中心に、三人の作家の作品をご紹介します。
木版画では、ものを見たとおり写実的に再現することは、油彩画などに比べて難しいのですが、恩地孝四郎 (1891-1955) は、これを版画独自の表現を生み出すための重要な特徴として捉えなおし、近代日本で最も早く抽象表現に取り組んだ作家の一人です。戦後になると表現はいっそう自由になり、木版だけでなく、紙や布なども版にしています。
青森市出身の関野凖一郎 (1914 – 1988) は恩地を師と仰いで上京し、身近に学ぶ機会を得ました。風景画や人物画で知られていますが、1950年代頃には色々な表現に挑戦し、斬新な作品を生み出しています。
常盤村 (現藤崎町) 出身の髙木志朗 (1934 – 1998) は、1950年代の後半から本格的に版画の制作を始めました。あるときフランスの展覧会に出品し、「日本の色は出ているが形がない」といわれ、日本の形とはどんなものかと考えたといいます。
恩地孝四郎6点、関野凖一郎3点、髙木志朗2点の版画作品を展示。

展示室O:×A (バイ エー) プロジェクト no.1
フロリアン・クラール×成田亨

 

○フロリアン・クラール《無限カノン》
青森県ゆかりの作家と関連の深い作家、青森県の特性を導きだし得る作家を取り上げ、コレクションと連動させながら「青森」を考察していくプロジェクトとして「×A (バイ エー) プロジェクト」を開催します。アートをとおして青森発の新しい視点を提示する試みです。
第1回となる今回はフロリアン・クラール (1968 -、ドイツ生まれ) によるインスタレーションを紹介します。フロリアンは自然界をモデュール化し、幾何学的調和を目指して再構成された立体作品を数多く手がけている美術家です。「建築と機械、生命体を取りまぜたキャラクターを作りたい」と語るクラールは、どこにでもあるようで実はどこにも存在しない形を追求し続けています。その幾何学的な形態は成田亨のデザインした怪獣群とも共通する要素を持っています。
「無限カノン第四番」と題された本作は、正十二面体にその対となる正二十面体の等比級数をもとに制作された作品です。バッハの三声カノンに着想を得た音楽的構造を持っており、三重の構造体の各比率が3/2 (音程の5度) 、1/2 (オクターブ) 等で構成され、さらに細部まで音程の3、4、6度を含んだ協和性によって成立しています。内と外、細部と全体が複雑にからみあい、音楽的なハーモニーを奏でているのです。
「万物の究極は数である」というピタゴラスに倣うかのように、世界、ひいては宇宙の構造を支える公式を探しだし、作品として提示していくクラール。三内丸山遺跡の発掘現場に着想し、厳密な法則のもとに設計された美術館の展示空間、中でも外壁が内部空間に入り込んだ特徴的な構造を持つ展示室Oとクラール作品が共鳴することで生じる「空間の美しさ」をお楽しみください。

 

○成田亨: 怪獣デザインあれこれ
成田亨 (1929 – 2002) が手がけたウルトラシリーズの怪獣デザイン原画約30点を紹介します。
彫刻家としての感性、芸術家としての資質が反映されたそのデザインは、放映後40年が経とうとする現在もなお輝きを失っていません。
子どもから大人まで、多くの日本人に親しまれている怪獣、宇宙人の数々をお楽しみください。

展示室P+Q 具象絵画の戦後

1 津軽じょんから~斎藤真一の世界
岡山県出身の斎藤真一 (1922 – 1994) は、パリ留学の際に知遇をえた藤田嗣治のすすめで東北・北陸を旅し、そこで盲目の旅芸人である瞽女(ごぜ)のテーマと巡りあいました。中でも青森県の津軽じょんから節や十三の砂山唄といった民謡をテーマとし、女旅芸人の苛酷な生と死を描いた一連の作品は、日本の風土に根ざした深い情念を感じさせる表現として、高く評価されています。その代表的な作品である『風・津軽じょんから』を中心に展示します。

 

2 夜の静物 渡辺貞一・名久井由蔵・石ヶ森恒蔵
渡辺貞一 (青森市出身、1917 – 1981) 、名久井由蔵 (八戸市出身、1917 – 1979) 、石ヶ森恒蔵 (三戸町出身、1910-1987)の三人は、戦前の一時期、松木満史と浜田英一が青森市に設けた美術研究所に学び、同じ国画会に所属していました。彼らの、1950年代から70年代にかけての作品は、塗り重ねただけではなく、画面をひっかいたり傷をつけたりしてつくられた複雑なマチエールで描かれていますが、特に静物画は、静謐な雰囲気の中に多彩な表情が感じられる魅力的な作品群となっています。アンフォルメルや抽象表現主義などの嵐が吹き荒れる中、独自の詩情を感じさせる油彩画で具象絵画の可能性を追求した三人の画家の作品を展示します。

教育普及企画:菊地敦己ワークショップ・インスタレーション

当館のシンボルマーク、ロゴタイプ等の総合的なビジュアルイメージを担当したアートディレクターの菊地敦己による、ワークショップ及びインスタレーション。ワークショップは、情報の整理と再構成とその効果を伝えることをねらいとし、素材、用途、大きさ等の条件にもとづく分類・整理による配置の方法と効果の違いを感じてもらいながら、展示を作り上げるものです。

タイポグラフィ:青森

2007年6月27日 (水) – 7月21日 (土)
菊地敦己が青森県立美術館のために作ったタイポグラフィ (書体や文字の配置) を使ってのインスタレーション。巨大に引き延ばされた文字や小さな文字を身体的に感じとり、空間における文字のあり方を探る展示。

スカイブルー,スノーホワイト,ソイルブラウン

2007年7月23日 (月) – 9月24日 (日)
美術館のシンボルカラーを使ったインスタレーション。 (ワークショップ成果品展示)
※7月22日 (日) はワークショップ実施のため、展示室Iからこの展示室への入場はできません。ワークショップの様子をご覧になりたい方は、5番入り口またはコミュニティホール奥エレベーターよりB1Fワークショップエリアにお越し下さい。
※ワークショップ詳細につきましては、普及プログラムのページをご覧下さい。

特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財

縄文の表現

特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前 – 4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人間が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。

マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887 – 1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

 

・『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》(1942年/綿布・テンペラ/887.8×1472.5cm)
・『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》(1942年/綿布・テンペラ/883.5×1452.0cm)
・『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》(1942年/綿布・テンペラ/891.5×1472.5cm)

奈良美智 『八角堂』

レストランやミュージアムショップの裏側に位置する野外のスペースには、奈良美智のコミッションワーク『八角堂』が見られます。八角形のお堂の中に、《Shallow Puddles Ⅰ/浅い水たまり Ⅰ》 (2004年) と題された6点の皿場の絵がひっそりと収められています。礼拝堂を想わせる神秘的な空間をお楽しみ下さい。

 

*美術館本体の開館と同じ時間帯に、無料でご入場いただくことができます。

開催概要

会期

2007年6月26日 (火) – 2007年9月24日 (月)

※展示室 I、Kは展示作業の都合上、2007年6月27日 (水) からの公開となります。ご了承くださいますようお願い申し上げます。

休館日

7月9日 (月) , 8月27日 (月) , 9月10日 (月)