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マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」のための背景画

2024年4月15日

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マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」のための背景画

マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」のための背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。

青森県は1994年に、全4点から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。残る第3幕の背景画は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵されていますが、現在同館から借用し、4点すべてを青森県立美術館でご覧いただくことができます。

これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで、「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」からの依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。

■ マルク・シャガール (1887-1985)

1887年、帝政ロシアの町、ヴィテブスクのユダヤ人の家庭に生まれる。サンクトペテルブルクの美術学校で学んだ後、1910年、パリに移り住み、前衛芸術の動向に触れる。この初期のパリ時代に、《七本指の自画像》や《誕生日》などの代表作が生み出された。第一次世界大戦前後の一時期をロシアで過ごすが、1923年からはパリで活動を再開。1941年にはナチス・ドイツの迫害を逃れるためアメリカに渡り、約7年間を過ごした。フランスに戻ってから1985年に亡くなるまでの晩年の活動では、タペストリー、モザイクやステンドグラスなどモニュメンタルな作品を数多く手がけた。

■ バレエ「アレコ」

バレエ「アレコ」はロシアの文豪、アレクサンドル・プーシキンの詩「ジプシー」(1827年)を原作とする物語。

文明社会に嫌気がさしたロシアの貴族の青年、アレコは自由を求めてロマの一団に加わり、そこで首長の娘ゼンフィラと恋に落ちる。しかしほどなく、自由奔放なゼンフィラは別のジプシーの若者に心を移す。それを知ったアレコは、怒りのあまりゼンフィラとその愛人を刺し殺してしまう。

バレエの音楽には、ロシアを代表する音楽家、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲イ短調をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、同じロシア出身のダンサー、レオニード・マシーンが振付を手がけた。

祖国ロシアの偉大な芸術家たちとの競演というべき、このバレエの仕事に、シャガールは並々ならぬ情熱を注いだ。舞台美術をトータルに委任されていたシャガールは、背景画だけでなく、数々のダンサーの衣装もデザインし、ステージ全体をシャガール独特の世界で満たした。

1942年9月8日に行われたメキシコ(国立芸術院宮殿、メキシコシティ)での初演は大成功を収め、アメリカそしてヨーロッパでも巡回公演が行われた。

4点の背景画は、ブランクを挟みながらも1960年代後半まで続いた「アレコ」上演の度に用いられ、1977年に「バレエ・シアター」が手放してからは、美術作品として新たな道を歩み始めた。

第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》

1942年 / テンペラ・綿布 / 887.8×1472.5cm

1942年 / テンペラ・綿布 / 887.8×1472.5cm

夜空には満月がこうこうと輝き、湖はその光を映している。大地には、流浪の民であるロマのテントが見える。寄り添って宙に浮かぶ男女の姿は、ロシアの貴族の若者・アレコとロマの娘・ゼンフィラ。文明社会に嫌気がさしていた主人公アレコは、自由を求めてロマの一団に加わり、そこで首長の娘ゼンフィラと恋に落ちる。描かれたアレコとゼンフィラの顔は、シャガールと妻ベラの面影をとどめているといわれる。物語のはじまりの場面にふさわしく、宇宙の起源を思わせるような青い大気が渦巻いている。

第1幕の最初の音楽の節に合わせて舞台に入ってくるのは、アレコとゼンフィラ。時の流れを感じさせるように、ゼンフィラとアレコそしてロマの仲間の一群が幾度となく舞台を横切り、情熱的なダンスが繰り広げられる。

第2幕 《カーニヴァル》

1942年 / テンペラ・綿布 /  883.5×1452.0cm

1942年 / テンペラ・綿布 / 883.5×1452.0cm

アレコはゼンフィラやロマの仲間と一緒に旅をしながら、ロシアの村々を巡る。カーニヴァルの季節には、サーカスの一団に加わり、動物たちに芸をさせ、仲間と共に踊り、歌いながら、窮屈な都会とは正反対の自由で気ままな暮らしを楽しむ。

熊がヴァイオリンを奏で、満開の花咲く木の枝からは、小さな猿が顔をのぞかせている。しかくい画面に広大な平原を閉じ込めるかのように、農村の家々がカーブの中に描かれている。ペアになって浮かぶ雲は、幸せな時間を過ごす恋人たちの姿を想わせる。

舞台ではアレコが床に広げたマットの上で、軽業師が得意げに技を披露し、道化師がこっけいなしぐさで群集の笑いを誘う。タンバリンを手にしたゼンフィラが、曲芸師や楽隊の間をぬって、軽やかに舞い踊る。

第3幕 《ある夏の午後の麦畑》

1942年 /テンペラ・綿布 / 914.4×1524.0cm <br/>フィラデルフィア美術館 (レスリー&スタンリー・ウェストレイク寄贈, 1986年)

1942年 /テンペラ・綿布 / 914.4×1524.0cm
フィラデルフィア美術館 (レスリー&スタンリー・ウェストレイク寄贈, 1986年)

巨大な二つの日光に照らされた黄金の麦畑が描かれる第3幕。

実り豊かな麦畑を背景に、農村の青年や娘たちの官能的なダンスが繰り広げられる。夏の午後のひとときを楽しんだ若者たちが去ると、ゼンフィラが一人の新しい恋人のロマの若者と連れ立って現れる。始まったばかりの恋を楽しむ二人。

一方、みじめなアレコは、ゼンフィラのあとを追い、自分のもとへ戻ってくるよう懇願するが、ゼンフィラはまったくとりあわない。

金色に輝く麦畑の傍らに、池が描かれ、浮かぶ小舟には人の姿が見られる。ひとりさびしく舟をこぐのは、ゼンフィラの愛を失って嘆き悲しむアレコの姿か。

第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》

1942年 / テンペラ・綿布 / 891.5×1472.5cm

1942年 / テンペラ・綿布 / 891.5×1472.5cm

最終幕、ゼンフィラを失い、嫉妬に燃えるアレコを狂気がおそう。真っ赤に染まったサンクトペテルブルクの街並の上空を、車をひく白い馬が、シャンデリアめがけて駆け上がる。

左下には悲劇的な終わりを暗示する墓地や教会、十字架上のキリストが描かれている。

舞台では悪夢にうなされるアレコの周りを、奇怪な化け物たちが現れては消え、消えては現れる。錯乱したアレコは、仲睦まじく連れそうゼンフィラと若者の姿を目にして、怒りのあまりゼンフィラの恋人を刺し殺す。愛する人を亡くし、生きる意味を失ったゼンフィラは、アレコの手にするナイフに自らの身を投げ出し、恋人と共に死んでいく。

自由を望み、流浪の民の一群に身を投じたにもかかわらず、恋人の奔放さを許せず、死に追いやったアレコは、墓地の哀悼の人ごみの中で気を失い、地に倒れ、バレエは幕を閉じる。