青森県立美術館 平成18年度常設展示「青森コンプレックス」 第2期

2006年9月26日(火) ━ 12月24日(日)

コレクション展 終了
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青森県立美術館 平成18年度常設展示「青森コンプレックス」 第2期

2006年9月26日 - 2006年12月24日

青森県は新しい芸術表現の領域を切り拓いた美術家を多く輩出しています。
平成18年度の常設展示では、青森県ゆかりの美術家が持つエネルギッシュでユニークな芸術的特質を検証し、その魅力と多様性について紹介します。
一部屋ごとに個性的な展示が連続する「青森の魅力の複合体」を心ゆくまでお楽しみください。
※寸法は縦×横×高さ (立体は高さ×幅×奥行)
※出品作は都合により変更される場合があります。

展示内容

展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財

出土品を代表する「大型板状土偶」と「縄文ポシェット」に加え、土器、土偶、石器、骨角器等の貴重な重要文化財を展示します。
縄文人の技や心の豊かさとともに、縄文の美をお楽しみください。
特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の集落跡です。たくさんの土器、石器のほか土偶や岩偶、骨角器、木製品、漆器、動物の骨や植物の種、他地域との交流・交易を物語るヒスイ、琥 珀、黒曜石などが出土し、縄文時代の生活や文化、社会を考える上で重要な遺跡です。
土偶:日本最多の土偶が出土しています。多くは薄い板状の十字形で、女性を表していますが、同じ表現のものはありません。子孫の繁栄や自然の恵みを祈るなどまつりや儀式に使われたものと考えられ、破片が多く、完全な形のものは珍しく貴重です。大型板状土偶は、離れた場所から頭部と胴体が出土したものです。
編み物・木製品:植物の蔓や茎を使ったかごが完全な形で出土するのは極めて稀です。「縄文ポシェット」と呼ばれる小さな編籠の中にはクルミの殻が入っていました。また、漆を塗った皿、鉢、櫛なども出土しています。
骨角器:動物の骨、角、牙を使った道具や装身具も作られました。釣り針や錐、針などは素材は違いますが、現代と同じ形をしています。装身具などには彫刻が施されているものもあります。
石器:用途に応じて適した石材を選び、打ち欠いたり磨いたりなどして、狩りの道具、加工の道具、調理の道具などいろいろな道具が作られました。石材には遠く北海道や長野から運ばれてきたものもあります。
土器:遺跡から出土した土器の多くは細長い筒形をしていることから円筒土器とよばれています。縄文時代前期の土器はいろいろな種類の縄を転がしたり、表面に押し付けて縄目の文様をつけています。中期の土器は表面に粘土紐を貼り付けて文様を描いたり、立体的な表現が多くなります。

展示室N 小野忠弘:「縄文、あるいは原初への回帰」

学芸担当:工藤健志

 

弘前市に生まれ、1942年から福井県に在住して制作活動を続けた小野忠弘 (おの・ただひろ 1913 – 2001) 。縄文文化を原点として悠然と自己の芸術を追究したその作風は、フランスの批評家ミシェル・タピエに「世界に通じる日本的作品」と絶賛されたほどです。
本コーナーでは、縄文遺物に着想を得たマチエールをとおして、原初の混沌がもつ実在感、秩序以前の生命力を探求した小野の、「創造」に対する真摯な想いが読みとれる作品を紹介します。

・エア ファウンデーション(1966 (昭和41) 年/板・油彩/182.8×90.8cm)
・ホネイロの砂漠(1979 (昭和54) 年頃/ミクストメディア/91×182×4cm)
・テラテラの曠野(1980 (昭和55) 年/ミクストメディア/91.5×182×4.5cm)
・コキア(ミクストメディア/93×63×3cm)
・アルプとオメガ(ミクストメディア/92×92×3.4cm)

棟方志功展示室 「花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)―板画家 棟方志功の世界」

展示協力:(財) 棟方板画館、(財) 棟方志功記念館 学芸担当:三好徹

 

棟方志功は1903年青森市に生まれました。棟方は、「版画」は板による表現であるとし「板画」と称していました。棟方の芸術活動はその板画のみにとどまらず、倭画(肉筆画)、油絵、書など多岐に亘り、生涯精力的に制作に取り組みました。
「花深処行跡無」とは棟方が好んで用いた言葉の一つです。「大自然の中では、人の足跡などすぐに消されてしまう」または、「独自の世界を切り開いた芸術家には先をゆくものもなく、また他者の追随をも許さぬ孤独がある」といった意味に解釈されます。棟方は、仏教の「他力」という思想に制作の原点を置いていましたが、「個人の考えることなどは宇宙大自然の中では、小さなものである。」と縦横無尽に彫刻刀や筆を揮い、他に類を見ない独特の世界を創り上げたのです。

・摩奈那発門多に建立すの柵(1959 (昭和34) 年/紙・木版/109.5×148.5cm)
・賜顔の柵(1964 (昭和39) 年/紙・木版/121.0×94.7cm)
・華厳譜「日神の柵」(1937 (昭和12) 年/紙・木版/30.0×39.0cm)
・華厳譜「女神の柵」(1937 (昭和12) 年/紙・木版/30.0×39.0cm)
・華厳譜「日没の柵」(1937 (昭和12) 年/紙・木版/30.0×39.0cm)
・基督の柵(1956 (昭和31) 年/紙・木版/61.4×27.3cm)
・赤富士の柵(1965 (昭和40) 年/紙・木版/30.0×77.0cm)
・秋の柵(1965 (昭和40) 年/紙・木版/25.8×37.7cm)
・無題の柵(1966 (昭和41) 年/紙・木版/27.0×38.5cm)
・黒富士の柵(1965 (昭和40) 年/紙・木版/25.0×28.0cm)
・天網の柵(1959 (昭和34) 年/紙・木版/86.5×103.0cm/棟方志功記念館蔵)
・流離抄「山火の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版/30.6×26.5cm)
・流離抄「萬葉の柵」(1953 (昭和28) 年/30.6×26.5cm)
・流離抄「かにかくにの柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「澄愁の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「哀色の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「古袷の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「空海の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「天狗の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版/30.6×26.5cm)
・流離抄「石仏の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版/30.6×26.5cm)
・流離抄「叡山の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版/30.6×26.5cm)
・流離抄「深々の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・流離抄「静春の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版/30.6×26.5cm)
・流離抄「屏風の柵」(1953 (昭和28) 年/紙・木版・手彩色/30.6×26.5cm)
・乾坤(制作年不詳/紙・書/54.0×32.0cm)
・馬頭の柵(1950 (昭和25) 年/紙・木版/68.4×34.4cm)
・矢間戸大計留之美古都(1953 (昭和28) 年/紙・木版/95.5×34.7cm)
・御巨銘薫樹図(1952 (昭和27) 年/紙・倭画/173.0×430.0cm)
・柳緑花紅頌(1955 (昭和30) 年/紙・木版/46.5×46.7cm/棟方志功記念館蔵)
・花深処無行跡(1965 (昭和40) 年/紙・書/136.0×134.0cm/棟方志功記念館蔵)
・花矢の柵(1961 (昭和36) 年/紙・木版・手彩色/252.0×711.0cm)
・御鷹々々図(1960 (昭和35) 年/紙・倭画/173.0×716.0cm/棟方志功記念館寄託)
・欄前花地覆(1954 (昭和29) 年/紙・書/34.0×37.0cm)
・群鯉図(制作年不詳/紙・倭画/170.0×192.0cm)

展示室O 青森の洋画と彫刻:松木満史と鷹山宇一/小坂圭二

学芸担当:池田亨

 

木造町出身の松木満史 (1907 – 1971) と七戸町出身の鷹山宇一 (1908 - 1999) の二人は、青森県の洋画の歴史のなかでもひときわ重要な役割を果たした画家達で、棟方志功の親しい友人でもありました。まだ十代後半だった松木と棟方志功はともに語らって、年、青光画社展という公募展を開催、翌年から青森中学の学生であった鷹山も出品するようになり、美術の道を歩み始めました。
のち松木満史は国画会、鷹山宇一は二科会を中心に活躍。松木満史は1938年から翌年末までフランスに学びますが、ここに展示した3点のうち留学前の「少女」とその後の明るい光に満たされた2点の作品には大きな作風の変化がみられます。鷹山宇一は戦前からシュールレアリスムの版画作品で九室会など二科会の前衛運動の一翼を担っていますが、ここでは戦後の油彩画4点を展示しています。代表作の一つ、『海濱の花』では、薄い絵の具を繰り返し塗り重ねられた表面が透明で深みのある独特の質感を作り上げています。
彫刻家の小坂圭二 (こさか・けいじ 1918 – 1992) は学徒出陣で苦渋に満ちた戦争を過ごした後、キリスト教信者として独自の造形の宗教的な彫刻を制作しています。

・鷹山宇一(海濱の花/1980 (昭和55) 年/キャンバス・油彩/116.8×116.9cm)
・鷹山宇一(沼/1974 (昭和49) 年/キャンバス・油彩/59.9×72.0cm)
・鷹山宇一(静物A/1954 (昭和29) 年/キャンバス・油彩/65.1×45.5cm)
・鷹山宇一(ふるさと/1949 (昭和24) 年/キャンバス・油彩/65.0×52.5cm)
・松木満史(風景/キャンバス・油彩/72.3×91.0cm)
・松木満史(少女/1936 (昭和11) 年/キャンバス・油彩/72.5×60.5cm)
・松木満史(採集/1940 (昭和15) 年/キャンバス・油彩;/116.7×80.3cm)
・小坂圭二(死の中のキリスト/1970 (昭和45) 年/ブロンズ/160×120×50cm)
・小坂圭二(ガダルガナルの落日/1979 (昭和54) 年/ブロンズ/150×60×40cm)
・小坂圭二(小川原湖姉妹像 (姉)/1987 (昭和62年)/合成樹脂/高さ:220cm)
・小坂圭二(小川原湖姉妹像 (妹)/1987 (昭和62)/合成樹脂/高さ:220cm)

展示室P 今和次郎、今純三:「見るという創造」

展示協力:工学院大学図書館、青森県立郷土館 学芸担当:板倉容子

 

1923 (大正12) 年9月1日に発生した関東大震災は、今和次郎 (こん・わじろう 1888 – 1973) 、純三 (こん・じゅんぞう 1893 – 1944) 兄弟にとって、その後の彼らの活動を決定する大きな転換点となりました。和次郎は、震災を契機として復興していく東京の町を、様々な角度から克明に調査、記録する「考現学」を創始します。一方、純三は、震災を契機に青森に移住した後、銅、石版画の研究に力を注ぎ、数多くの作品を制作しました。

・今和次郎他(関東大震災バラック調査写真/1923 (大正12))
(関東大震災バラック調査スケッチ/1923 (大正12))
(バラック装飾社の仕事 (写真資料)/1923 (大正12))
(参考資料:洪洋社刊『バラック建築 巻一』/1923 (大正12))
・今純三(風景 (雪景)/1935 (昭和10)/紙・エッチング、アクアティント/13.0×19.9cm)
・今純三(銅版画原板「大震災風景(焼けたる木) 」/1923 (大正12))
・今純三(銅版画原板「大震災風景 (バラック小屋) 」/1923 (大正12))

展示室Q 成田亨:「怪獣デザインの美学」

展示協力:成田流里、 (株) 海洋堂 学芸担当:工藤健志

 

成田亨 (なりた・とおる 1929 – 2002) は、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。美術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出していくというその一貫した手法からは、成田の揺らぐことのない芸術的信念が読みとれるでしょう。

・カネゴン決定稿(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/34.6×22.4cm)
・ケムール人(1965 (昭和40) 年/紙・水彩/34.7×25.1cm)
・ゴーガ(1965 (昭和40) 年/紙・水彩、ペン/23.2×34.7cm)
・ゴルゴス(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/22.7×37.6cm)
・セミ人間(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/35.6×21.6cm)
・セミ人間頭部(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/35.6×24.7cm)
・パゴス(1965 (昭和40) 年/紙・ペン/26.8×37.5cm)
・バルンガ(1965 (昭和40) 年/紙・鉛筆、水彩/25.3×28.4cm)
・ピーター決定稿(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/22.2×35.6cm)
・ボスタング(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/23.5×29.5cm)
・ラゴン(1965 (昭和40) 年/紙・ペン、水彩/37.4×24.5cm)
・人工生命M1号決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン/35.7×14.8cm)
・アボラス(1966 (昭和41) 年/紙・鉛筆、水彩/39.2×31.2cm)
・アントラー決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.3×39.5cm)
・ウルトラマン(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.4×25.3cm)
・ウルトラマンイラスト(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.4×25.3cm)
・ガヴァドン成獣(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/27.0×38.0cm)
・ガヴァドン幼獣(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/27.1×37.9cm)
・ガボラ(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/25.8×35.3cm)
・ガマクジラ(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/27.2×37.9cm)
・ギガス(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.1×27.5cm)
・ギャンゴ(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.4×25.8cm)
・グリーンモンス決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.7×28.7cm)
・ゲスラ決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/23.8×39.3cm)
・ケムラー(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.4×39.6cm)
・ケムラー(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/24.0×36.7cm)
・ゴモラ決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.7×34.8cm)
・ザラブ星人(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/37.8×25.2cm)
・ジャミラ(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.5×19.8cm)
・スフラン(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.5×36.4cm)
・ドドンゴ(1966 (昭和41) 年/紙・水彩、ペン/38.0×31.1cm)
・ドラコ決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.5×27.6cm)
・バニラ(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.7×33.4cm)
・バルタン星人決定稿(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/36.4×25.8cm)
・ブルトン(1966 (昭和41) 年/紙・鉛筆、水彩/24.2×31.0cm)
・ブルトン(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/27.5×36.6cm)
・ミイラ人間(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/39.6×21.9cm)
・レッドキング(1966 (昭和41) 年/紙・ペン、水彩/38.6×36.3cm)
・ウー決定稿(1967 (昭和42) 年/紙・ペン/39.3×36.3cm)
・ウルトラセブン決定稿B案(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.4×35.0cm)
・ウルトラセブン頭部(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/36.6×24.6cm)
・エレキング(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/36.8×32.6cm)
・キーラ(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.6×36.7cm)
・キュラソ星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、鉛筆/35.7×26.0cm)
・キングジョー決定稿(1967 (昭和42) 年/紙・鉛筆/33.2×43.5cm)
・ゴドラ星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/36.4×25.4cm)
・サイゴ(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/19.6×39.5cm)
・シーボーズ(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/36.6×47.7cm)
・ダダ(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.8×27.2cm)
・チブル星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/36.4×36.1cm)
・ビラ星人決定稿(1967 (昭和42) 年/紙・鉛筆/35.6×25.8cm)
・ペガッサ星人(1967 (昭和42) 年/紙・鉛筆/36.4×22.2cm)
・ミクラス(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/46.0×36.5cm)
・メトロン星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.6×36.5cm)
・メフィラス星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.4×36.4cm)
・ワイアール星人(1967 (昭和42) 年/紙・ペン、水彩/39.4×32.4cm)
・バド星人(1968 (昭和43) 年/紙・鉛筆/39.2×26.9cm)
・プラチク星人(1968 (昭和43) 年/紙・鉛筆、水彩/36.5×33.3cm)
・ベル星人(1968 (昭和43) 年/紙・ペン、鉛筆、水彩/39.4×25.1cm)
・ポール星人(1968 (昭和43) 年/紙・鉛筆/39.4×36.4cm)
・ユートム(1968 (昭和43) 年/紙・鉛筆/39.5×36.4cm)
・タンクボール(1970年代/FRP/径:120cm)

展示室M 青森県の日本画:「野澤如洋」

学芸担当:池田亨

 

野澤如洋 (のざわ・じょよう 1865-1937) は弘前生まれで、同じく弘前出身の蔦谷龍岬と並んで、戦前の青森県を代表する日本画家です。如洋は明治以降成立した横山大観らの新しい「日本画」の陰にかくれて、時代遅れになりつつあった伝統的な線描を重視した水墨画の技法にこだわり、独自の道を歩み続けましたた。とくに生命力にあふれた馬の絵により、「馬の如洋」として有名ですが、展示作品のような山水画もまた、彼の優れた技量を十分に発揮する得意とした主題の一つです。

・野澤如洋(山水図/1936 (昭和11) 年/紙本墨画淡彩/170.0×361.0 (右隻),169.5×360.5 (左隻)cm)

展示室L 近藤悠三:「呉須ひとすじ」

学芸担当:三好徹

 

寄贈を受けた中村コレクション (94件150点) の中から、直径70cmを超える大皿「梅染付金彩大皿」をはじめ、花瓶、壺など10数点展示し、染付の技法で人間国宝となった近藤悠三 (こんどう・ゆうぞう1902 – 1985) のダイナミックな作品を紹介します。

・花瓶 雲悠々去来(1970 (昭和45) 頃/磁器・染附/径18.0×高21.0cm)
・山噴煙染附角皿(1971 (昭和46) 年/磁器・染附/30.0×30.0×5.5cm)
・竹の子染附面取壷(1968 (昭和43) 年/磁器・染附/径29.0×高29.0cm)
・葡萄染附金彩壷(1978 (昭和53) 年/磁器・染附、金彩/径31.0×高28.0cm)
・柘榴釉裏紅壷(1976 (昭和51) 年/磁器・染附、釉裏紅/径27.0×高25.5cm)
・柘榴金彩瓢瓶(磁器・金彩/径12.5×高21.0cm)
・柘榴染附盃(磁器・染付/径5.5×高4.0cm)
・梅呉須赤金彩瓢瓶(磁器・染付、金彩/径11.0×高21.0cm)
・梅金彩ぐゐ呑(磁器・金彩/径6.3×高4.5cm)
・梅染附面取壷(1974 (昭和49) 年/磁器・染附/径30.0×高29.0cm)
・梅染附金彩大皿(1976 (昭和51) 年/磁器・染附、金彩/径73.5×高10.5cm)
・山海染附面取大鉢(1970 (昭和45) 年/磁器・染附/径41.5×高14.5cm)
・山染附金彩壷(1973 (昭和48) 年/磁器・染附、金彩/径30.0×高31.0cm)
・山噴煙染附金彩花瓶(1972 (昭和47) 年/磁器・染附、金彩/径27.0×高33.0cm)
・富士釉裏紅壷(1978 (昭和53) 年/磁器・染附、釉裏紅/径31.0×高33.0cm)

展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一

展示協力:小島弘子 学芸担当:高橋しげみ

 

厳寒の津軽や下北をひたすら歩き、風景や人々の姿を撮り続けた小島一郎 (こじま・いちろう 1924 – 1964) と、銃声と砲火が絶えることのないベトナムの戦地に被写体を追い求めた澤田教一 (さわだ・きょういち 1936 – 1970) 。
戦後の青森が生んだ異色の2人の写真家の仕事を振り返るとともに、青森の風土との関連性について探ります。

・小島一郎(下北 1958ー1961/ゼラチン・シルヴァー・プリント/24.0×15.9cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(下北 1961/ゼラチン・シルヴァー・プリント/23.9×16.4cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(下北 1961/ゼラチン・シルヴァー・プリント/16.0×23.7cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(下北 1961年頃/ゼラチン・シルヴァー・プリント/16.3×24.1cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(津軽 1958ー60/ゼラチン・シルヴァー・プリント/24.25×16.05cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(津軽 1958ー60/ゼラチン・シルヴァー・プリント/16.7×24.6cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(津軽 1958ー60/ゼラチン・シルヴァー・プリント/24.1×15.7cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(北津軽群中里 – 十三村 1960/ゼラチン・シルヴァー・プリント/24.5×16.2cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(西津軽郡十三村 1959/ゼラチン・シルヴァー・プリント/16.1×24.2cm/小島弘子氏所蔵)
・小島一郎(西津軽群木造村 1959/ゼラチン・シルヴァー・プリント/16.2×24.45/小島弘子氏所蔵)
・澤田教一(《草原を行く》/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《負傷した母親を慰める少年》/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《ベトナムの村人》/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《安全への逃避》/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《米空母「ボン・ホーム・リチャード」の発艦》/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1965.10.22 プレイメ/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1965.12.24. プレイク南東/1965 (昭和40) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《海兵隊の尋問》/1965 (昭和41) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《泥まみれの死》/1965 (昭和41) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《敵をつれて》/1965 (昭和41) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1966.4.3. ラプチュアン/1965 (昭和41) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1966.4.3. ラプチュアン/1965 (昭和41) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1966.9. 21 非武装地帯南/1965 (昭和42) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1966.6.30 カンボジア国境近く/1965 (昭和43) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《タバコを吸う兵士》/1965 (昭和42) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1967.10.25 ダナンの南16キロ/1965 (昭和42) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1967.4.30 ケサン/1965 (昭和42) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1967.7.1 メコン・デルタ/1965 (昭和42) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《わが子を抱き悲嘆にくれる母親》/1965 (昭和43) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1968. 2.15 王城外壁にて/1965 (昭和43) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(《アオザイの女》/1965 (昭和45) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))
・澤田教一(1970.10. 6 タンフォク/1965 (昭和45) 年/ゼラチン・シルヴァー・プリント/(ニュープリント2006))

青森県の現代美術:「佐野ぬい、村上善男、豊島弘尚」

学芸担当:工藤健志、菅野晶

 

弘前市生まれの佐野ぬい (さの・ぬい 1932 -) は、豊かな色彩とリズム感溢れる作風で知られています。岩手県生まれの村上善男 (むらかみ・よしお 1933 – 2006) は、岡本太郎の薫陶を受けて前衛表現を追求、1970年代になると、自身の心情を気象データに託し、精神と日常とを重ね合わせること で成立する「気象図」のシリーズを制作しました。豊島弘尚 (とよしま・ひろなお 1933 -)は八戸市に生まれ、郷土や北欧の風土、神話に着想を得た作品を手がけている作家です。
3人の作家の仕事をとおして、青森県が生んだ様々な現代の表現を紹介します。

・豊島弘尚(時の記憶―アンタレス/1986-87 (昭和61-62) 年/油彩・キャンバス/194.0×390.9cm)
・佐野ぬい(青の構図/1994 (平成6) 年/キャンバス・油彩/205.0×287.0cm)
・村上善男(Occluded Front/1974 (昭和49) 年/アクリル・麻布/145.5×112.0cm)
・村上善男(9月9日の気象/1976 (昭和51) 年/アクリル・麻布/112.0×145.0cm)

展示室K 工藤哲巳:「あなたの肖像」

学芸担当:三好徹

 

工藤哲巳 (くどう・てつみ 1935 – 1990) は、1935年に五所川原出身の画家工藤正義の長男として生まれ、戦後の日本美術に新しい流れをつくった「反芸術」のホープとして活躍しました。東京芸大卒業後、1962年パリに渡り、晩年、1987年に東京芸術大学教授となり帰国するまでの20数年間、ヨーロッパの閉塞した社会をショッキングな表現方法で挑発し続け、その活動は高く評価されました。1990年に急逝するまでの55年という短い生涯、“生きる”ということについて真摯に問い続け、駆け抜けました。
1960年代から70年代にかけて、過去の栄光にすがるだけで不能化されたヨーロッパ社会を痛烈に批判し、「あなたの肖像」シリーズを制作します。「あなたの肖像」とは、ヨーロッパの愚かなあなたたち、これがあなたがたの姿ですよ、と挑発しているのです。工藤は、自分は美術作品を作っているつもりはないとして、自らの作品を「社会評論の模型」と呼びました。

・あなたの肖像(1964 (昭和39) 年/ミクストメディア/120.0×80.0×150.0cm)
・あなたの肖像(1965 (昭和40) 年/ミクストメディア/120.0×80.0×150.0cm)
・イオネスコの肖像―あなたの肖像 (コンピューターによって翻訳された絵画)(1971 (昭和46) 年/布・NECOプリント/290.0×200.0cm)
・あなたの肖像(1972 (昭和47) 年/ミクストメディア/33.0×26.0×26.0cm)
・あなたの肖像(1972 (昭和47) 年/ミクストメディア/34.5×24.0×25.5cm)
・あなたの肖像(1972 (昭和47) 年/ミクストメディア/35.0×23.0×26.0cm)
・あなたの肖像 1970-1974(1970-74 (昭和45-49) 年/ミクストメディア/37.0×48.0×23.0cm)

展示室I 斎藤義重:「空間への意志」

展示協力:斎藤史門、 (株) まつもと 学芸担当:工藤健志

 

本館の調査で弘前市出身であることが判明した、日本の戦後美術を代表する作家、斎藤義重 (さいとう・よししげ 1904 – 2001) 。
1960年代前半の、ドリルを使い合板に条痕を刻み込んで豊かなマチエールを創り出した平面作品および、1980年代に始まるスプルース材の板を黒一色で塗装し、複雑に組み合わせた「複合体」シリーズを構成することで、空間そのものを取り込んだ作風へと展開していく斎藤の思考の過程を検証します。

・青の構成(1961 (昭和36) 年/合板・油彩/181.5×121.0cm)
・Negative(1993 (平成5) 年/合板・ラッカー/300.0×430.0×155.0cm)
・複合体(1996 (平成8) 年/合板・ラッカー/800×600×1030cm)
・柵木(1998 (平成10) 年/木、合板、ラッカー、ボルト/290.0×607.0×235.0cm)
・R to(1999 (平成11) 年/合板・ラッカー/118.0×80.0×3.0cm)
・B to(1999 (平成11) 年/合板・ラッカー/136.0×122.0×5.0cm)

展示室H 版画の魅力 色彩とモノトーン

学芸担当:菅野晶

 

青森から世界に広がる版画の世界をご紹介します。第2期は海外版画の優品から、色彩とモノトーンの対照的な世界をご紹介します。“色彩の魔術師”アンリ・マティス(1869~1954)の版画集「ジャズ」は踊るような色彩と形のリズムに心が浮き立ちます。一方、レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)やオディロン・ルドン(1840~1916)は、微妙な濃淡を生かした白と黒の繊細な表現で静謐な世界を描き出し、カール・シュミット=ロットルフ(1884~1976)はおなじ白と黒でも、対比をはっきりさせた表現で力強い造形を作り出しています。

・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「道化師」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/41.3×31.4cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「サーカス」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/36.2×55.7cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「ロワイヤル氏」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.2×32.6cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「白い象の悪夢」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/41.6×63.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「馬、女曲馬師、道化」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.3×64.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「狼」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.1×65.3cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「心」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/37.9×60.9cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「イカロス」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/40.7×27.7cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「形態」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/40.8×57.7cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「ピエロの葬送」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.0×64.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「コドマ兄弟」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.1×65.3cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「水槽で泳ぐ女」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.3×64.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「刀飲み」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/39.1×30.4cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「カウボーイ」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.1×64.7cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「ナイフ投げ」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/40.7×64.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「運命」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/41.8×63.2cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「礁瑚」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/42.1×64.8cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「礁瑚」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/40.8×61.4cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「礁瑚」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/40.8×61.4cm)
・アンリ・マティス(版画集『ジャズ』より 「そり」/1947 (昭和22) 年/紙・ポショワール/32.7×30.0cm)
・カール・シュミット=ロットルフ(海辺の嘆き/1914年/紙・木版/39.5×49.8cm)
・オディロン・ルドン(光の横顔/1886年/紙・リトグラフ/34.2×24.2cm)
・レンブラント・ファン・レイン(説教するキリスト/1652年/紙・エッチング、エングレーヴィング、ドライポイント/15.5×20.6cm)

展示室F 奈良美智:「ニュー・ソウルハウス」

展示構成:奈良美智+graf

 

ソウルのロダン・ギャラリーで展示したソウルハウスが、三層構造から美術館の空間に合わせてアレンジされ、並列に変わりました。小屋の内部には県立美術館のコレクションを展示します。別棟で「Hula Hula Garden」も展示します。
また、青森県立美術館のコミッションワークとして、美術館の建築と一体化した「あおもり犬」も展示室から観覧できます。「あおもり犬」は、高さ8.5メートルの像で、奈良美智 (なら・よしとも 1959 – ) の最大の作品です。

・続いてゆく道に(1990 (平成2) 年/コットン・アクリル/100.0×100.0cm)
・まぼろしの犬のピラミッド(1991 (平成3) 年/コットン・アクリル/65.3×65.3cm)
・まぼろしの犬の山(1991 (平成3) 年/コットン・アクリル/162.5×64.5cm)
・O.T (チェッカーズ)(1993 (平成5) 年/紙・アクリル/47.6×33.7cm)
・Last Right(1994 (平成6) 年/コットン・アクリル/100.0×100.0cm)
・回天(1994 (平成6) 年/コットン・アクリル/60.0×60.0cm)
・Hula Hula Garden(1994 (平成6) 年/ミクストメディア/cm)
・Mumps(1996 (平成8) 年/コットン・アクリル/120.0×110.0cm)
・The Last Match(1996 (平成8) 年/コットン・アクリル/120.0×110.0cm)
・Pancake Kamikaze(1996 (平成8) 年/コットン・アクリル/120.0×110.0cm)
・So far apart(1996 (平成8) 年/コットン・アクリル/120.0×110.0cm)
・E.P.Girl(1997 (平成9) 年/ミクストメディア/35.7×30.5×19.0cm)
・Heads(1998 (平成10) 年/FRPに彩色、貼布/11.0×120.×8.0(6p),10.0×12.0×8.0(1p)cm)

展示室G 「寺山修司という虚構」

展示デザイン:小竹信節 監修:九條今日子 進行:笹目浩之 設営:CーCOM コーディネート: (株) テラヤマ・ワールド 学芸担当:工藤健志

 

短歌、俳句、詩、劇作、シナリオ、評論、映画と幅広いジャンルで活躍した寺山修司は、1967年に演劇実験室「天井棧敷」を設立し、アングラ文化、そして前衛芸術の旗手として圧倒的な支持を集め、死後もなおその影響力は衰えることを知りません。
本コーナーでは、元夫人で天井棧敷プロデューサーだった九條今日子氏、天井棧敷の舞台美術を手がけた小竹信節氏及び (株) テラヤマ・ワールドの協力によって、展示室内に寺山修司的な虚構世界を構築し、コレクションであるポスター18点を展示します。

・横尾忠則(天井桟敷定期会員募集/1967 (昭和42) 年/紙・シルクスクリーン/103.4×73.1cm)
・横尾忠則(大山デブ子の犯罪/1967 (昭和42) 年/紙・シルクスクリーン/109.4×78.9cm)
・宇野亜喜良(人魚姫/1967 (昭和42) 年/紙・シルクスクリーン/104.1×73.2cm)
・紫乱四郎(花札伝綺/1967 (昭和42) 年/紙・シルクスクリーン/102.9×72.5cm)
・辰巳四郎(年間スケジュール1968年/1968 (昭和43) 年/紙・オフセット/103.0×73.6cm)
・井上洋介(青ひげ/1968 (昭和43) 年/紙・シルクスクリーン/102.1×72.4cm)
・宇野亜喜良(星の王子さま/1968 (昭和43) 年/紙・シルクスクリーン/102.7×72.9cm)
・及川正通(書を捨てよ!町に出よう!/1969 (昭和44) 年/紙・シルクスクリーン/108.9×79.2cm)
・及川正通(オデッセイ’69/1969 (昭和44) 年/紙・オフセット/71.7×34.1cm)
・及川正通(時代はサーカスの象にのって/1969 (昭和44) 年/紙・オフセット/72.0×34.3cm)
・宇野亜喜良(ブラブラ男爵/1970 (昭和45) 年/紙・シルクスクリーン/104.6×73.3cm)
・横尾忠則+横尾ヤスエ(人力飛行機ソロモン/1970 (昭和45) 年/紙・シルクスクリーン/109.8×79.5cm)
・及川正通(イエス/1970 (昭和45) 年/紙・オフセット/104.5×74.1cm)
・及川正通(トマトケチャップ皇帝/1969 (昭和44) 年/紙・シルクスクリーン/71.8×35.0cm)
・宇野亜喜良(毛皮のマリー (パリ・レアール公演)/1971 (昭和46) 年/紙・シルクスクリーン/102.0×73.2cm)
・榎本了壱(地球空洞説/1973 (昭和48) 年/紙・シルクスクリーン/103.4×72.4cm)
・花輪和一(盲人書簡-上海篇/1974 (昭和49) 年/紙・シルクスクリーン/102.7×72.5cm)
・合田佐和子+戸田ツトム(百年の孤独/1981 (昭和56) 年/紙・オフセット/103.0×73.0cm)