関野凖一郎展関連企画 青森の版画・日本の版画・世界の版画 ほか
展示の見どころ
青森出身の版画家、関野凖一郎の生誕100年展に合わせ、青森県立美術館が誇る版画コレクションを紹介します。多くの優れた版画家を輩出してきた青森の美術館として、準備室時代から青森、日本、そして世界の傑作版画を収集してきました。棟方志功から長谷川潔、恩地孝四郎、ピカソ、マティス、レンブラントまで、選りすぐりの名作の数々をご堪能ください。
開催概要
会期
2014年9月13日(土)-11月24日(月)
展示内容
展示室P、Q、J、M、H、I|青森の版画・日本の版画・世界の版画
出品作家:
恩地孝四郎、駒井哲郎、清宮質文、長谷川潔、浜口陽三、浜田知明、永瀬義郎、今純三、下澤木鉢郎、高木志朗
江戸時代の日本では、木の板を使った木版画による浮世絵が大流行し、文化の担い手として主要な役割を果たす一方、海外からの限られた情報をもとに、一部の熱心な探究者たちによって、銅や金属の板を使う銅版画制作の研究も進められていました。明治維新以降、大正から第二次世界大戦まで、社会や文化の価値観が何度も大きく揺れ動く中で、版画における創作表現のあり方が問われ、模索が重ねられることで、日本の近代版画の歴史が築かれていきます。
そして終戦後、日本の版画は多くの国際展で認められ、版画家たちの活躍の場は世界へと広がっていきました。
出品作家:
ウィリアム・ブレイク、ヴァシリー・カンディンスキー、パウル・クレー、マックス・クリンガー、ケーテ・コルヴィッツ、アンリ・マティス、パブロ・ピカソ、オディロン・ルドン、レンブラント・ファン・レイン
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパでは近代社会の進展に合わせて、美術における表現も大きく変わっていきます。20世紀に活躍したピカソ、マティス、クレー、カンディンスキーの作品では、描く対象や内容よりも、線、形、色彩などの造形要素そのものが表現の主役となります。一方、技術革新が急速に進み、社会制度が急激に変化していった19世紀から20世紀初頭には、親しく接した個人から現実を超えた存在まで、そして社会と人間の関係から人知を超えた運命に至るまで、人間という存在に関する深い洞察に基づく多様な表現が生まれます。遡って17世紀に描かれた、レンブラントによる市井の人々に語りかけるキリストの姿からは、宗教や神が人々の心の中に息づいていた時代の素朴な祈りを感じることができるのではないでしょうか。
棟方志功展示室、展示室N|棟方板画の世界-木の魂を生み出す
1942(昭和17)年、棟方志功(1903-1975)は自らの版画作品をすべて「板画」と呼び表すことを宣言しました。その理由を後年、次のように語っています。
「板画というものは板が生まれた性質を大事にあつかわなければならない、木の魂というものをじかに生み出さなければダメだと思いましてね。」「ほかの人たちの版画とは別な性質から生まれていかなければいけない、板の声を聞くというのが、板という字を使うことにしたわけなんです。」(「花深処無行跡」昭和38年)
棟方にとって「板画」とは、絵を版にしたものではなく、油絵具を使用して描いた絵を油絵と呼ぶのと同様、「板を彫って生み出した画」でした。木版画に特別な想いをこめて「板画」と呼び表した棟方は、それまでの版画の常識を打ち破る数々の大作を生み出しました。
このたびの展示では、《二菩薩釈迦十大弟子》はじめ神仏を描いた大作や、《運命頌》、《華狩頌》など、壁画のような大画面に描いた作品、また、対照的に小説の挿絵として制作され、小さな画面の中に装飾的表現を凝らした《瘋癲老人日記板画屏風》などの作品を紹介します。生命力あふれる棟方板画の世界をご覧ください。
通年展示 展示室F|奈良美智 インスタレーション『A to Z Memorial Dogマスター型』『ニュー・ソウルハウス』
国内外で活躍する青森県出身の美術作家・奈良美智(1959 – )は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでありながらどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで若い世代を中心に、多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から、絵画やドローイングなど、奈良美智作品の収集を始めました。現在、160点を超えるそのコレクションの多くは、1988年から2000年まで、奈良が滞在したドイツで制作されたものです。
この展示室では、創作ユニット・grafとのコラボレーションにより、2006年に制作した小屋の作品の一つ、《ニュー・ソウルハウス》を中心に、当館のコレクションや作家からの寄託作品を展示しています。
通年展示 アレコホール|マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画
青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887-1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。