[夏] 常設展示

2009年6月29日(月) ━ 9月6日(日)

コレクション展 終了
SHARE

[夏] 常設展示

特別展・太宰治展のため、夏のコレクション展はお休みします。
この期間は、シャガール、成田亨、奈良美智、寺山修司のみの展示となります。

開催概要

会期

2009年6月29日 (月) – 2009年9月6日 (日)

展示内容

展示室F |成田亨:怪獣デザインの美学、奈良美智:インスタレーション

青森県出身の成田亨 (なりた・とおる 1929 – 2002) が手がけた「ウルトラ」シリーズの怪獣デザイン原画を紹介します。
彫刻家としての感性、芸術家としての資質が反映されたそのデザインは、放映後40年がたつ現在もなお輝きを失っていません。
青森県立美術館では、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」に登場するヒーローやメカ、怪獣、宇宙人のデザイン原画計189点を平成11年度に一括して収集しています。
今回はその中でも人気のある《ウルトラマンイラスト》、《ウルトラマン初稿》3点、《カネゴン初稿》2点、《キングジョー初稿》等を展示します。

青森県弘前市出身の奈良美智 (なら・よしとも) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
《Hula Hula Garden》と《ニュー・ソウルハウス》という2点のインスタレーション (空間設置作品) を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。

展示室G | 寺山修司:寺山修司と青森県

寺山修司(てらやま・しゅうじ) が、中学校、高校時代、その編集に携わった学校新聞や文芸雑誌等の資料を中心に紹介し、青森における青年期の寺山の足跡を振り返ります。

寺山修司が後年、自身で書き記した自らの出生地については、弘前市、三沢市、五所川原市などがある。
寺山修司がなぜこのように自らの出生地を青森県の様々な地にしたのか?その心情はさだかではないが、そのヒントは著書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』に述べられている。

 

私は1935年12月10日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌36年の1月10日に生まれたことになっている。この20日間のアリバイについて聞き糾すと、私の母は「おまえは走っている汽車の中で生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。 (略) 私は「走っている汽車の中で生まれた」という個人的な伝説にひどく執着するようになっていた―

 

実際に寺山修司が生まれた地は、警官だった父・八郎が勤務していた「弘前市」というのが現在の定説になっている。
その後父の転勤にともなって少年・寺山修司は、五所川原 – 浪岡 – 青森 – 八戸 – 再び青森市と、めまぐるしく青森県内を転々とする。
そして昭和20年7月28日の青森空襲によって焼け出され、父の故郷・三沢 (古間木) へ。さらにその後、母が九州へ働きに行くことになり、母の親戚が住む青森市に身を寄せる。中学2年の時だった。この青森市で高校3年までをすごし、早稲田大学進学にともなって上京。少年期に別れをつげるのである。
(企画・展示:テラヤマ・ワールド)

アレコホール | マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887-1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

 

・『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》(1942年/綿布・テンペラ/887.8×1472.5cm)
・『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》(1942年/綿布・テンペラ/883.5×1452.0cm)
・『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》(1942年/綿布・テンペラ/891.5×1472.5cm)