冬のコレクション展

2009年1月1日(木) ━ 4月5日(日)

コレクション展 終了
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冬のコレクション展

展示の見どころ

今期のコレクション展は、3つの小企画が中心となっています。

 

展示室P / Q / M | 色彩の魔術師たちの饗宴 ~マティス、清宮質文、池田満寿夫~
Magical World of Color Prints ~Henri Matisse, Seimiya Naobumi, Ikeda Masuo ~
冬のコレクション特集は、白い雪に映える個性的な色彩版画の饗宴です。美術作品が「目に見える世界をそのまま描くこと」ことから解放されると、画家たちはそれぞれ個性的な色で自分だけの表現を作り上げてゆきます。今回は、その作品の美しさから「色彩の魔術師」と呼ばれる画家たちの作品をご紹介します。
アンリ・マティスの『ジャズ』では、色と形によるリズミカルな世界をお楽しみいただけます。清宮質文 (せいみや・なおぶみ) の詩的な雰囲気と、透明感のある色彩、池田満寿夫 (いけだ・ますお) のシュールレアリスティックな雰囲気と、鮮やかな色遣いが織りなすそれぞれの世界もじっくりご堪能ください。

清宮質文『早春の静物』、1977年、紙・木版画

清宮質文『早春の静物』、1977年、紙・木版画

展示室J / K / I | 今和次郎 船にのる
Kon Wajiro Goes Abroad
「考古学」に対して、”人類の現在” を観察・記録する「考現学」を提唱したことで知られる今和次郎 (こん・わじろう) 。彼が1930 (昭和5) 年3月から翌年1月にかけておこなった初の海外 (ヨーロッパ、アメリカ) 視察旅行に関する資料を特集で紹介します。和次郎は約10ヶ月間にわたる旅行中、妻とし子夫人に宛てて370枚余りの絵葉書を送り、市井の人々の姿を『欧州紳士淑女以外』と題したスケッチに描き、そしてベルリンで購入した最新式のカメラを使って、各都市の表情を膨大な量の写真に残しました。
今回の展示ではそれら資料の一部を紹介し、今和次郎の目がとらえた1930年のヨーロッパ・アメリカの姿に迫ります。

 

展示室H ×Aプロジェクトno.7:鈴木理策 ~青森県立美術館をめぐる旅
×A Project no.7 SUZUKI Risaku; around the Aomori Museum of Art
当館のコレクションと建築空間の新たな魅力を引き出すための継続的プロジェクト「×A (バイエー) プロジェクト」。第7回となる今回は、写真家鈴木理策 (すずき・りさく) を取り上げます。
美術館の設計者である青木淳の依頼により、鈴木理策は開館前の美術館を計5回訪れ、多くのシャッターを切りました。それらは単なる「建築写真」や「1枚の作品」という概念を越え、鈴木理策という作家の存在が強く刻み込まれた、「場」、そして「意識」の連続する物語性を強く持っています。青森という地域と美術館という建築の関係性を鈴木の視点で表現したロードムービー的な連作とも言えるでしょう。
今回のプロジェクトでは、それら青森県立美術館の写真を被写体となった空間の中に展示するという入れ子構造的な構成によって、現実と虚構の問題、そして県立美術館とは何か、写真とは何かというメタ的かつ自己言及的な問いかけを行っていきます。

開催概要

会期

2009年1月1日 (木) – 2009年4月5日 (日)

展示内容

その他常設展示

棟方志功展示室 | 海外への旅、風景の発見
The trip abroad, Finding out a piece of scenery
棟方志功は1959年1月、アメリカのロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きにより初めて渡米しました。1年近くに及ぶ海外への旅は棟方にとって非常に印象深く収穫の多いものとなりました。その後も1965年、1967年、1974年と、棟方は生涯で合わせて4度アメリカへ旅しています。1972年にはインドへも旅行しており、海外の風景や自身が受けた感動をもとに数々の作品を制作しています。また、国内においても全国各地を旅しており、旅先の風景を板画や油絵に制作し紀行文も残しています。
このたびの展示では、海外で制作された板画やリトグラフ、国内を旅して描いた風景画を中心に紹介します。

 

展示室O前室他 | 石井康治:詩・季・彩 - アンコール
ISHII Koji : “Shi-Ki-Sai (Poem-Season-Colour) ” - Encore
今年度夏のコレクションで好評を博した石井康治の作品を、アンコールに応え、常設展示スペースの随所に再び展示します。
1946年千葉県に生まれた石井康治は、東京芸術大学卒業後、ガラス工芸作家として活動を始め、1991年には三内丸山に念願の工房「石井グラススタジオ青森工房」を開設。1996年に青森で急逝するまで、青森の自然は彼の創作の源泉となりました。
今回は、150点余の寄託作品のうち、未公開作品10点を展示しています。この寄託は、生前、「青森で作った作品を、青森の人たちに見てもらえるスペースを作りたい」と作家本人が語っていた志を御遺族が承けてのことです。

 

展示室O | 成田亨:未展示作品を中心に
NARITA Tohl: Design of Monster and the Mechanic
成田亨 (なりた・とおる) は新制作展を舞台に彫刻家として活躍する一方、映画「ゴジラ」(1954年) を皮切りに特撮美術の仕事も多数手がけました。代表作となったウルトラシリーズ以外にも、TV「マイティジャック」(1968年) や「突撃 ! ヒューマン!!」(1972年) に登場するヒーロー、メカニックのデザイン、映画「新幹線大爆破」(1975年) 、「麻雀放浪記」(1984年) などの特撮美術でも広く知られています。
今回は、「ウルトラQ」 (1965年) 、「ウルトラマン」(1966年) 、「ウルトラセブン」(1967年) に登場した名怪獣たちと、番組を彩る多彩なメカニックのデザイン原画の中から、これまで未展示の作品を中心に紹介します。

 

展示室L | 近藤悠三:ペルシャの青
KONDO Yuzo:Perusian blue
近藤悠三 (1902 – 1985) は京都に生まれ、1977年、染付の技法で無形重要文化財保持者 (人間国宝) の認定を受け、日本の陶芸界に大きな足跡を残しました。その作風は豪放、雄勁で、自然の草木果実や風景などのモチーフを絵画的な筆致と濃淡の諧調によって表現することを得意とし、まさに器胎の素地をキャンバスにダイナミックな画筆を振るうがごとくです。
当館は、近藤悠三と親交があった八戸市出身の故中村正信氏から、1996年度に94件 (150点) に及ぶ寄贈を受けており、近藤悠三の一大コレクションを有しています。
その中村コレクションの中から、直径70cmを超える大皿「梅染附金彩大皿」をはじめ、花瓶、壺など主要な作品を3期に分け紹介します。
|期:1月1日 – 1月31日 ||期:2月1日 – 2月28日 |||期:3月1日 – 4月5日

 

展示室F | 奈良美智:インスタレーション
Installation by NARA Yoshitomo
青森県弘前市出身の奈良美智 (なら・よしとも) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
《Hula Hula Garden》と《ニュー・ソウルハウス》という2点のインスタレーション (空間設置作品) を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。

 

展示室G | 寺山修司:寺山修司と青森県
TERAYAMA Shuji:TERAYAMA Shuji and Aomori
寺山修司(てらやま・しゅうじ) が、中学校、高校時代、その編集に携わった学校新聞や文芸雑誌等の資料を中心に紹介し、青森における青年期の寺山の足跡を振り返ります。
(展示作品数:38点)

寺山修司が後年、自身で書き記した自らの出生地については、弘前市、三沢市、五所川原市などがある。
寺山修司がなぜこのように自らの出生地を青森県の様々な地にしたのか?その心情はさだかではないが、そのヒントは著書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』に述べられている。

 

私は1935年12月10日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌36年の1月10日に生まれたことになっている。この20日間のアリバイについて聞き糾すと、私の母は「おまえは走っている汽車の中で生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。 (略) 私は「走っている汽車の中で生まれた」という個人的な伝説にひどく執着するようになっていた―

 

実際に寺山修司が生まれた地は、警官だった父・八郎が勤務していた「弘前市」というのが現在の定説になっている。
その後父の転勤にともなって少年・寺山修司は、五所川原 – 浪岡 – 青森 – 八戸 – 再び青森市と、めまぐるしく青森県内を転々とする。
そして昭和20年7月28日の青森空襲によって焼け出され、父の故郷・三沢 (古間木) へ。さらにその後、母が九州へ働きに行くことになり、母の親戚が住む青森市に身を寄せる。中学2年の時だった。この青森市で高校3年までをすごし、早稲田大学進学にともなって上京。少年期に別れをつげるのである。
(企画・展示:テラヤマ・ワールド)

 

展示室N | 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
縄文の表現
特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前-4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人々が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。

 

アレコホール | マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画
青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887-1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

 

・『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》(1942年/綿布・テンペラ/887.8×1472.5cm)
・『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》(1942年/綿布・テンペラ/883.5×1452.0cm)
・『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》(1942年/綿布・テンペラ/891.5×1472.5cm)