コレクション展 2019-4

2019年12月21日(土) ━ 2020年3月15日(日)

コレクション展 終了
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コレクション展 2019-4

開催概要

会期

12月21日(土)~2020年3月15日(日)

休館日

12月27日(金)-31日(火)、2020年1月1日(水)、14日(火)、27日(月)、2月13日(木)、14日(金)、25日(火)、3月9日(月)

展示内容

【特別企画】ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—

向井弘「北津軽」(1975)より

1931(昭和6)年香川県に生まれた向井弘は、戦後に移り住んだ青森県南津軽郡大鰐町で写真店を営む傍ら、1960年代から2000年代にかけて、地元青森を拠点に写真家として活躍しました。向井の活動の主軸となったのは、写真の仲間とともに作った同人誌『イマージュ・IMAGE』(以下『イマージュ』)の発行です。1972年から1985年まで、全20号刊行されたこの同人誌の目的は、当時全国に点在した写真グループや自主ギャラリーがそうであったように、東京を中心とする写真業界や写真雑誌が強いるシステムや価値観から解放された、独自の発表媒体を持つことでした。それは同時に、「ローカルカラー」として「中央」から一方的に押し付けられる地方の写真の固定的なイメージに対する、地方に生きる写真家たちの抵抗であり、また写真の未知の可能性への挑戦でもありました。
「なぜ津軽を撮るとき、小島一郎の『津軽』と、内藤正敏の『婆バクハツ!』の二つのパターンしか写らないのか」、「もう一つの津軽は可能か!」、と『イマージュ』中心メンバーの一人、原田メイゴは問いかけます。
ご遺族のもとに残された向井弘の写真や資料を核としながら、『イマージュ』同人、彼らと交流をもった県外の写真家たち、さらには同郷の巨星、小島一郎や澤田教一の写真も合わせて展示し、青森の写真家たちに引き継がれてゆく問題意識から日本の戦後写真史の一面を照らし出します。

 

向井弘 MUKAI Hiroshi
1931(昭和6)年香川県香川郡香川町(現高松市)に生まれる。1947年リンゴ関係の仕事をきっかけに青森県に入り、49年には大鰐町に移り住む。1955年同町内にカメラ店を開業。1967年近隣に住むアマチュア写真家たちとフォトグループ「ずぐり」を結成し、1971年までメンバーとして活動を続ける。1971年『カメラ毎日』4月号のに「跡 <松尾鉱山>」が掲載される。1972年「ずぐり」のメンバーを一部含む仲間とともに写真同人「イマージュ」を結成し、同人誌『イマージュ』を創刊(85年まで全20号を刊行)。1981年「イマージュ」結成10年を記念して東京・新宿のオリンパスギャラリーでイマージュ同人写真展「津軽からのメッセージ」を開催。主な個展に「幻視空間 ―津軽・下北―」(1988、スペース・デネガ、弘前)、「弘前城植物園」(1997、スペース・デネガ)、「擬態域 弘前城植物園」(2001、新宿ニコンサロン、東京)がある。県芸術文化振興功労章受賞。2003(平成15)年肺がんにより弘前市内の病院にて死去。

 

展示作家
(イマージュ同人)
向井弘、原田メイゴ、赤川健太郎、塚本義則、木村正一、木村勝憲、伊藤俊幸

(関連写真家)
秋山亮二、柳沢信、沼田つよし、小島一郎、澤田教一

 

トークイベント
会場: 青森県立美術館展示室内
★いずれも入場にはコレクション展チケットが必要です。

① 原田メイゴ×向井渉(わたる)
2019年12月21日(土) 14:00~ [約1時間]
イマージュ同人で、編集の中心を担っていた大鰐町出身の写真家・原田メイゴ氏と、向井弘の次男で写真家の向井渉氏に、向井弘の写真家としての歩みや『イマージュ』の成り立ち、同人たちの目指したものについてお話しをうかがいます。

 

② 伊藤俊幸×沼田つよし
2020年1月13日(月・祝) 14:00~ [約1時間]
青森市出身の写真家で『イマージュ』第17号から参加し、1980年代以降の多くの向井弘の撮影に同行した伊藤俊幸氏と、青森市出身で晩年の向井と交流を持った写真家の沼田つよし氏に、後半期の向井の写真活動や関心事についてお話しをうかがいます。

『イマージュ・IMAGE ’72 NO. 2』表紙写真 向井弘

展示室A+B

野坂徹夫展 うたがはじまる
青森県立美術館の支援団体「青森県立美術館サポートシップ倶楽部」との共催により、青森県上北郡野辺地町出身の画家・野坂徹夫(1949-)の展覧会を開催します。野坂は詩的で繊細な水彩画の作家として知られていますが、精妙なグラデーションに彩られた静謐な色彩と、切り詰められた簡素な形態による表現は、モーツァルトの音楽のような、至純の響きを感じさせます。CDのジャケットや本の装幀なども幅広く手がけている画家のおよそ30年間の仕事から、水彩、コラージュ、立体など代表的な作品を紹介します。

野坂徹夫《愛するひと》
1994年

展示室N+棟方志功展示室

棟方志功は自分の板画作品名の多くに、「~の柵」という文字を使いました。「柵」という単語を『広辞苑』で引くと、①土地の境界・区画などに設けるかこい。②古代、東北の辺境に設けられた城郭。と書かれています。この「柵」について棟方は自著『板極道』の中で次のように説明しています。「わたくしの「柵」はそういう意味ではありません。(途中略)一作ずつ、一生の間、生涯の道標をひとツずつ、そこへ置いていく。作品に念願をかけておいていく。柵を打っていく、そういうことで「柵」というのを使っているのです。この柵は、どこまで、どこまでもつづいて行くことでしょう。際々無限に。」
このように棟方は画家としての果てしない道程(みちのり)を、生涯をかけて歩んでいくことになりました。その道中には幾多の分かれ道があり、棟方はその都度、様々な挑戦を試みながら自己の行くべき道を選び、柵を打ち、ひたすら前へ進み続けました。
今期の展示は、棟方の画業においてターニングポイントとなった作品を、それ以前の作品と合わせて紹介いたします。

棟方志功《鍵板画作》より「大首の柵」
1956年

展示室C

成田亨:鬼と怪獣
成田亨(1929-2002)は、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。
成田は神戸市に生まれ、直後に青森県へ移りました。旧制青森中学(現青森高等学校)在学中に画家・阿部合成と出会い、絵を描く技術よりも「本質的な感動」を大切にする考え方を、さらに彫刻家の小坂圭二から対象物の構造や組み立て方、ムーブマンを重視する方法論を学んだ後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科へと進学。当初は油彩画を専攻していましたが、「地面から立ち上がるようなデッサンを求める」(成田)ため3年次に彫刻科へ転科。具象性を維持しつつもフォルムを自在に変容させ、動的かつ緊張感ある構成を作り上げていくという成田芸術の基礎がここで形づくられていきました。
武蔵野美術学校研究科に在籍していた1954年、成田は人手の足りなかった「ゴジラ」の製作に参加、そこで円谷英二と出会い、以降特撮美術の仕事も数多く手がけるようになります。
1965年、東宝撮影所で円谷英二と再会し、「怪獣のデザインはすべて自分がやる」という条件のもと「ウルトラQ」の2クールから制作に参加、以降「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」までのシリーズに登場するヒーロー、怪獣、宇宙人、メカニック等のデザインを手がけます。放映に際し、「これまでにないヒーローの形を」という脚本家・金城哲夫の依頼を受けた成田は、ウルトラマンのデザインを純粋化という「秩序」のもとに構築し、対する怪獣のデザインには変形や合成といった「混沌」の要素を盛り込んでいきます。
美術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出していくというその一貫した手法からは成田の揺らぐことのない芸術的信念が読みとれるでしょう。

成田亨《カネゴン決定稿》
1965年
©Narita/TPC

通年展示 展示室F、G:奈良美智 《Puff Marshie》《Hula Hula Garden》

国内外で活躍する青森県出身の美術作家・奈良美智(1959- )は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでありながらどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで若い世代を中心に、多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から、絵画やドローイングなど、奈良美智作品の収集を始めました。現在、170点を超えるそのコレクションの多くは、奈良が1988年から2000年まで滞在したドイツで生み出されたものです。
この展示室では、当館がほこる奈良美智の90年代のコレクションを中心に、《Puff Marshie (パフ・マーシー) 》(2006年)や《Broken Heart Bench (ブロークン・ハート・ベンチ) 》(2008年)など、作家からの寄託作品も展示しています。

通年展示 アレコホール:マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。
残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

 

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。
展示期間:2017年4月25日 – 2021年3月頃(予定)
アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。

関連ファイル