青森県立美術館開館10周年記念「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」 Sawada Kyoichi: From Home to Battle Zone
1936(昭和11)年に青森市に生まれた澤田教一は、1965年、戦火の絶えないインドシナ半島に赴き、カメラマンとして活躍しました。ベトナム戦争が拡大の一途にあった時期、激戦地での撮影を続けた澤田は、34歳で銃弾に倒れるまでの約5年間に、数々の傑作を世に出し、報道写真界の頂点に上りつめます。ピュリツァー賞受賞作に含まれる《安全への逃避》(1965年)では、戦闘で故郷を追われながら、必死に生き抜こうとするベトナムの人々の姿を捉え、世界中に戦争の過酷な現実を突きつけました。
当館は、澤田教一夫人の澤田サタ氏から、2014年度より、フィルムや電送写真原稿など、多くの資料を寄託されました。この展覧会では、それらの調査に基づき、未発表のカットを含む写真や資料300点余りを展示いたします。写真に写し出された故郷と戦場、そこに交錯する生と死を通じて、澤田教一が身を賭して追いかけたものにせまります。

澤田教一 Sawada Kyoichi 略年譜
1936年
青森県青森市に生まれる。
1954年
青森県立青森高等学校卒業。 同期に寺山修司がいた。
1955年
米軍三沢基地内のカメラ店で働きながら、本格的に写真を撮り始める。
1961年
プロの写真家カメラマンを目指し上京。同年12月 UPI通信社東京支局写真部に入社。
1965年
UPIサイゴン支局にカメラマンとして赴任。9月、代表作となる《安全への逃避》を撮影。この写真で12月、第9回世界報道写真コンテスト第1 位を受賞。
1966年
《安全への逃避》を含む一連のベトナム 戦争の写真で ピュリツァー賞を受賞。
《泥まみれの死》、《敵をつれて》が、第10回世界報道写真コンテストで第1位、第2 位を受賞。 ベトナム戦争の写真でU.S.カメラ賞を受賞。
1968年
2月、テト攻勢下のフエを撮影。 9 月、 UPI 香港支局写真部長として転勤。
1970年
UPI サイゴン支局に再び赴任。5 月、カンボジアでUPI プノンペン支局の ロバート・ミラー記者と共に取材に向かう途中、共産主義勢力の兵士に捕まり、8時間あまり拘束されるが無事生還。10月、カンボジア取材中、プノンペン近郊で銃殺され、34歳で死亡。
カンボジアを取材した一連の写真により、 死後、1971年のロバート・キャパ賞を受賞。
開催概要
会期
2016年10月8日(土)-12月11日(日)
休館日
10月11日(火)、24日(月)、11月14日(月)、28日(月)
開館時間
9:30-17:00(入館は16:30まで)
観覧料
一般1,300円(1,100円)、高大生800円(600円)、小中学生無料
※( )内は前売および20名以上の団体料金
※心身に障がいのある方と付添者1名は無料
※小・中・特別支援学校の引率者が、学校教育活動として観覧する場合は無料。
※コレクション展観覧料は含まれません。
三内丸山縄文秋祭り(10/15、10/16)クイズラリーにて観覧料割引企画を実施します。
クイズラリーのアンサーシートを提示で企画展観覧料を団体料金とします。
縄文時遊館 http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/facilities/
青い森鉄道(株)の割引企画を実施します。
(「生誕80周年 澤田教一:故郷と戦場」開催期間中)
以下の企画切符・定期券の提示で企画展観覧料を団体料金とします。
1 青い森ホリデーフリーきっぷ(大人)
2 青い森ホリデーフリーきっぷコンビニ券(大人)
3 中学生・高校生専用 学トクホリデーフリーきっぷ(高校生)
4 ラビナお買い物きっぷ(大人)
5 青い森鉄道線内の駅が含まれる各種定期乗車券(大人・大学生・高校生)
※当日有効の切符に限ります。
青い森鉄道 http://aoimorirailway.com/
主催
澤田教一展実行委員会
(東奥日報社、青森放送株式会社、公益社団法人青森県観光連盟、青森県立美術館)
企画協力
IZU PHOTO MUSEUM
助成
公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団、公益財団法人朝日新聞文化財団
協賛・展示協力
株式会社ニコン、株式会社ニコンイメージングジャパン
機材協力
株式会社DNPフォトイメージングジャパン
協力
ゲッティ・イメージズ、株式会社カシマ、株式会社写真弘社、株式会社堀内カラー、青い森鉄道、JR東日本青森商業開発
学術協力
青森中央学院大学、立教大学・生井英考研究室
後援
駐日ベトナム社会主義共和国大使館、NHK青森放送局、青森ケーブルテレビ、エフエム青森、青森県教育委員会
展示内容
初期作品等未発表写真多数
本展ではサタ夫人所蔵のオリジナルフィルムに含まれる未公開のカットから、あらたに制作したプリントを多数展示いたします。青森でのアマチュア時代に撮った米軍三沢基地内やその周辺の風景写真がまとまった形で公開されるのは今回が初めてです。
またベトナムやカンボジアでの未公開写真からは、同行した米軍の戦いぶりだけでなく、彼らが捕えた解放戦線の容疑者や兵士たちが見せる表情を通じて、戦争の姿を伝えることに対する澤田の強い関心が浮かび上がってきます。

澤田教一
小川原湖〈青森県上北郡東北町〉周辺
1955-61年

澤田教一
米軍三沢基地内
1958年
テト攻勢下のフエ
1968年、テト攻勢の際に、誰よりも早くフエに入り前線で撮影した攻防戦のシリーズを、澤田の最高傑作と呼ぶ人は少なくありません。戦闘の勃発から収束まで、約1か月にわたるフエの取材でのクライマックスを大型写真と連続カットの写真、計36点で、大展示室の壁面を利用して展示。戦場写真の迫力と緊張感を伝えます。
展示用のインクジェットプリント制作にあたっては、木村伊兵衛賞、伊奈信男賞、日本写真協会作家賞などの受賞歴のある写真家の北島敬三氏が監修しました。

澤田教一
フエ
1968年
《安全への逃避》連続ネガとピュリツァー賞受賞写真帳を複製で展示
ベトナム戦争の象徴的なイメージとして広く知られている《安全への逃避》。今年3月、青森県立美術館の調査によって、そのオリジナルネガフィルムが米ペンシルバニア州ピッツバーグ近郊の地下収蔵庫に保管されていることが確認されました。前後のカットとともに連続する3カットをパネルで紹介します。
また、1966年に澤田に授与されたピュリツァー賞は、《安全への逃避》他、全28点の写真を収録した一冊の写真帳を対象としていました。ピュリツァー賞審査用に一冊のみ制作され、現在コロンビア大学に保管されるこの写真帳の全貌を、コロンビア大学から提供された高精細の画像をもとに日本で初めて紹介します。