コレクション展2022-2:サマータイム・サマータイム

2022年7月9日(土) ━ 10月2日(日)

コレクション展 開催中
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コレクション展2022-2:サマータイム・サマータイム

コレクション展2022-2:サマータイム・サマータイム

新型コロナウイルス感染症の世界的大流行や頻発する自然災害、戦争とその影響による社会経済的混乱など、2020年代に入って世界は大きな危機を迎えています。そうした中でも季節はまためぐり、夏がやってきました。しかし、季節は循環しながらも、気候変動によって四季のありようは大きく移り変わってきています。覚えているあの日々はすでに失われつつありますが、今求められるのは、これまでの価値や生活様式を見つめ直すレジリエンス(しなやかさ)ではないでしょうか。

そして文化もまた地域固有の環境が育んできたものです。つまりアートとの出会いは、我々の暮らす時代や土地を認識するための重要なファクターと言えるのです。そこで得た個人の意識は、やがて共同体の意識となり、ひいては病み、傷つき、歪んだ社会全体を立て直す力となっていくはずです。

本展をとおして、ある夏の、とても心地よく晴れた日のような「これから」を見つけていただければ。

あふれる光の中で、私があなたを愛するように。

開催概要

会期

2022年7月9日(土)−10月2日(日)

休館日

7月11日、25日、8月8日、22日、9月12日、26日

ナイトミュージアム

7月9日、7月23日、8月27日、9月10日、9月24日

展示内容

企画展関連展示 -青森と民芸

展示室N:北国のさしこ着

青森県では、庶民の暮らしの中から、津軽地方の「こぎん刺し」、南部地方の「菱刺し」、「つづれ刺し」「裂織」など、地域の特性が反映された、寒い北の地域ならではの染織文化が生まれ、伝えられてきました。そのなかでも、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて盛んに作られた「こぎん刺し」と「菱刺し」は、他の地域においても類例をみることができない、土地に深く根差した独自の技法をもった染織として注目されています。そのなかから、本展示では、2009年に閉館した小川原湖民俗博物館旧蔵資料で、現在、青森県立郷土館に所蔵されている「こぎん刺し」のさしこ着物を中心に紹介します。

「こぎん刺し」は、農民の生活に対する厳しい統制(木綿の使用禁止など)がなされていた江戸時代、着用が許されていた自給の麻布の補強と保温効果を高めることを目的に生まれました。藍で染めた麻布の(主に)上着に、地布の奇数目を刺し糸ですくって模様刺ししたもので、当初は麻糸も使用されていたようですが、明治時代に入り、綿糸が手に入るようになると、木綿糸を使用した「こぎん刺し」が急速に発展し、明治20~30年代がその最盛期となりました。

「こぎん刺し」の模様は、「猫の足」「蝶々(テコナコ)」「胡桃殻(クルビカラ)」など身の回りの動植物などからモチーフを得た40種類ほどの基本模様を巧みに組み合わせたパターンを「流れ」「囲み」「イト」と呼ばれる刺し方でつなぐことで、大きく美しい模様を構成していきます。

「こぎん刺し」の刺し手は女性でした。5歳の頃より刺し方の手ほどきを受け、12歳になる頃には着物を刺せる腕前になっていたという女性は、「外出した時、珍しい柄のこぎんを着ている人を見かけると、その人の後をついて歩き、その柄のこぎんを覚えて帰り、早く思い出して刺すということも幾度もしました」(横島直道『津軽こぎん』日本放送出版協会、1974年)と回想しています。

「こぎん刺し」は晴れ着として着古した後、仕事着としてさらに使い込まれていた跡が見られることから、晴れ着、仕事着のいずれにも用いられていたといわれています。また、藍染めの麻布に白い木綿糸で刺し綴ったイメージの強い「こぎん刺し」ですが、着古され、汚れやシミが目立つようになると、着物全体を色持ちがよく、殺菌効果の高い藍で何度も染め直して、さらに着続けられました。

青森の庶民の暮らしの中から生まれ育まれた生活着の一つ一つは、その実質的な役割を終えた現在もなお、私たちに語りかける多くのものを持っているように思われます。

さしこ着物
制昨年不詳
麻、木綿
身丈111.0/裄丈55.0㎝
青森県立郷土館蔵
※画像転載不可

棟方志功展示室:民芸運動家と棟方志功

1924年に画家を目指して上京するも版画の道へと進んだ棟方志功。初めて板画を制作してから9年、1936年第11回国画会展の会場で、大きな出会いがありました。絵巻物のような板画巻をやりたいと、全長7mを超える板画《大和やまと し うるわ し》を4枚の額に入れて搬入した棟方は、量が多いと陳列を拒否され大騒ぎ。そこへ工芸部の審査をしていた濱田庄司が通りかかり、「これは君、すごいよ」と民芸運動の指導者である柳宗悦を連れて来ます。感動した柳はこの年開館する日本民藝館で作品を買い上げるとし、展示についても全て飾れるように話をまとめました。出世作《大和やまと し うるわ し》、この出会いが転機となり、棟方は濱田や柳、河井寛次郎といった民芸運動家との知遇を得ます。会期が終わり建設中の民藝館へ作品を届けに行った棟方は、部屋の正面に飾られている大鉢に心奪われ「先生、イギリス製でしょうか」と尋ねます。すると柳は、「九州の二川という窯の、うどん粉をこねる鉢で、職人が作ったものだよ」と答えました。「君のお父さんは立派な鍛冶職人だと聞いたが、この鉢も同じ職人の作だ。いまに、お父さんの造った刃物が、この鉢のように素晴らしいものであるのが判ってくるよ」※1 自分の名が偉くならないと立派な仕事にならないと思い込んでいた棟方にとって、このときの柳の民芸の教えは世界が一変する体験でした。棟方はこの時の感動を、「わたくしの仕事が希望と輝きと力にみちみちて来たのでありました」※2 と表しています。初めての師・柳から次々と指導を受け、また、状況に応じて指導者を与えられた棟方は、世界のムナカタへと成長していきます。

民芸のつながりは、東京だけのものではありません。1942年、地方支部としては最初に結成された日本民芸協会青森県支部(現・青森県民芸協会)支部長の相馬貞三とは民芸でつながった親友で、一時は夏に帰省するたび弘前の相馬邸に宿泊し楽しみました。青森県支部発会時には、倭画《東湧西没韻とうゆうさいもついん》が会場を飾っています。濱田、柳、河井から始まった民芸運動家との親交は各地に広がり、棟方の制作活動を物心両面で支えました。

※1 棟方志功「ラーメンと花」『わだばゴッホになる』日本経済新聞社、1975、p.80

※2 棟方志功「苦闘の日々」『板極道』中央公論社、1964、p.60

棟方志功
大和し美し 矢燕の柵
1936年
木版・紙
27.7×31.4cm
青森県立美術館蔵
※画像転載不可

特別展示

展示室O、P、Q、M:草間彌生のキセキ –Wコレクションによる 

この度の特別展示では、昨年度、当館に寄託された「Wコレクション」の草間彌生作品全51点を一堂に公開いたします。 

草間彌生は1929年、長野県生まれ。1950年代初頭にデビューし、多くの批評家やアーティストから注目を集めますが、50年代後半に単身渡米。ニューヨークを拠点とし、絵画のみならず、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、映像など表現の幅を広げ、前衛美術家として広く知られるようになります。欧米で高い評価を受けた草間は1973年に帰国後も、既成の価値観や常識にとらわれない創造力をもって新たな表現を追求し続けていきました。現在もなお旺盛な制作意欲をもって前衛表現の最先端を走り続けています。

 草間の創作の源泉は幼少時の幻覚体験や心の中に生じるイメージに求められます。それは、「点」や「網目」といった強迫観念的なモチーフを外在化(絵画化)することで、自らを抑圧する存在から解放され、自らの魂を救済しようとする試みであったのかも知れません。個の内面的な問題を、無限の創造力をもって普遍的な芸術へと昇華させていく点に草間芸術の本質があると言えるでしょう。草間の作品は人間の秘められた感性、感覚、感情を呼び覚ましてくれます。人間と自然の関係に対する深いまなざしから生み出される詩的で神秘的なイメージは、理性や思考を超越して多くの人々の心に迫ってきます。

今回展示する「Wコレクション」は、初期から現在に至る草間の歩みとその芸術的エッセンスが凝縮された作品群です。最初期の貴重な「点」の作品をはじめ、インク、パステル、水彩、墨といった様々な画材を併用した平面作品、アッサンブラージュやコラージュの技法を用いた作品、大画面の油彩画や有機的な突起物が増殖するかのような立体作品から空間を活用するインスタレーションまで、草間の多彩な活動と、その強烈なオリジナリティが一望できます。

この「奇跡」のコレクションをとおして、草間彌生という異能の芸術家の「軌跡」を辿りつつ、永遠や無限、そして生と死、さらには愛といったテーマのもとに草間が紡ぎ出した、豊潤かつ幻想的なビジュアルイメージを堪能していただければ幸いです。

草間彌生
エアメールの集積
1963年
スタンプ・紙
23.5 × 30.8cm
青森県立美術館寄託(Wコレクション)
©YAYOI KUSAMA
※画像転載不可

草間彌生
かぼちゃ
1990年
アクリル・キャンバス
15.8 × 22.7cm
青森県立美術館寄託(Wコレクション)
©YAYOI KUSAMA
※画像転載不可

夏休み企画

展示室L:タイガー立石の陶彫 -『じょうもんくんとたまご』

絵画、彫刻、漫画、絵本、イラストなどジャンルを自在に横断しながら独創的な表現活動を続けたタイガー立石(立石紘一/立石大河亞)。1963年の読売アンデパンダン展でデビューし、64年には中村宏氏と「観光芸術研究所」を結成。時代/社会のアイコンを多彩に引用しながら不可思議な情景を描き出したその作品は、和製ポップ・ア-トの嚆矢として注目を集めました。1965年からは漫画も描き始め、タイガー立石の筆名を用いて雑誌や新聞へナンセンス漫画の連載を持つようになりますが、69年3月に突如ミラノへ移住。延べ13年にわたるミラノ時代は、漫画からヒントを得たコマ割り絵画を精力的に制作する一方、デザイナーや建築家とのコラボレーションで数多くのイラストやデザイン、宣伝広告等を手がけています。1982年に帰国し、90年以降は絵画や陶彫作品を「立石大河亞」、漫画や絵本を「タイガー立石」名義で次々と発表していきました。

1991年に「ギャラリー・ホロ」(千葉・茂原)の古代体験イベントで縄文風動物像を作って以降、立石は作陶に強い関心を抱くようになります。94年にはアトリエに作陶用電気釜を設置、以降、陶彫による立体作品を本格的に制作していきました。縄文人の生活を想起しながら制作された土偶の数々から、立石は「じょうもんくん」というキャラクターを思いつき、まず絵で1冊の物語を描きます。しかし土偶の質感を伝えるためには実物を使った方が良いという判断に至り、表情やポーズを変えた「じょうもんくん」を何体も制作。周辺の環境や背景もすべて作り起こしたジオラマをひとコマごとに写真撮影するという膨大な作業を経て、絵本『じょうもんくんとたまご』は完成しました(福音館書店より1994年に刊行)。

ここでは、この写真絵本のために制作された陶彫作品を一堂に紹介いたします。愛らしい「じょうもんくん」をはじめ、立石のユニークな発想と高い造形力が読み取れる作品の数々をお楽しみください。

タイガー立石
《じょうもんくん》(『じょうもんくんとたまご』より)
1991-93年
撮影:佐々木光
※画像転載不可

展示室J:馬場のぼる:愛すべきぶたたち

青森県三戸町出身の漫画家、馬場のぼるの描く動物のキャラクターといえば、なんといっても代表作「11ぴきのねこ」シリーズの「ねこ」や、名前ともゆかりのある「馬」がよく知られていますが、馬場の作品世界には、それだけでなく、きつね、くま、たぬき、おおかみ、ライオンなど、様々な愛すべき動物たちが登場します。

 なかでも「ぶた」は、『11ぴきのねことぶた』など、わき役としてもしばしば登場しますが、手塚治虫、福井英一とともに少年漫画の三羽烏と称された時期の馬場の代表作で、第1回小学館漫画賞を受賞した『ブウタン』では、こぶたが堂々たる主人公をつとめ、孤独にまけず生きていくやさしく強い心をもった少年が、ぶたの姿に託して描かれました。

 今回は、馬場のぼるの後年の絵本作品の中から、友達にいじわるをしてしまう一風変わった女の子を主人公にした『こぶたのぶうこちゃん』、こぶたを捕まえて食べたいオオカミのお話『ごんすけのドーナツ』、そして、悠揚迫らぬ山の主と村の心優しい少年の物語、「もん太と大いのしし」の三作の絵本原画を展示、弱さと強さをあわせもつ、人間よりも人間らしい、馬場のぼるのぶたの世界を紹介します。

馬場のぼる
『ごんすけのドーナツ』より
1978年
©馬場のぼる
※画像転載不可

展示室H:キッズ・リターン-「キッズ・アートワールドあおもり」の頃

「キッズ・アートワールドあおもり」は美術館の開館以前のプレイベントとして、2000年と2001年に青森市で、2002年に三戸郡、2003年にむつ市で計4回開催されました。美術家のみならず、映画監督、料理研究家、ミュージシャン、絵本作家、ファッション・デザイナー、落語家、詩人など分野横断的な様々なクリエイターに参加してもらい、作品展示だけでなく、地域の子どもたちとの交流も積極的に行いました。やがてオープンする美術館のための環境づくりというコンセプトではじめたプロジェクトですが、そこで得た経験値は、その後の美術館活動の大きな基盤にもなっています。

様々なクリエイターと子どもたちとの交流によって、青森の未来を担う子どもたちが、早くからプロフェッショナルな表現活動にかかわり、その現場に立ち会うことには大きな意義があるのではないか。様々なクリエイターと遭遇し、様々な表現の形に触れることで、表現活動とは既成のもの、伝統的なものだけでなく、形式的にも、素材的にも、考え方においても、多種多様な可能性を秘めたものであるということを、肌で感じ取るという経験が、子供たちの自由な発想をはぐくむことになり、その後の人生を豊かにしていくのではないか。そうした想いのもとに「キッズ・アートワールドあおもり」は企画されました。さらには絵がうまくなるとか、将来クリエイターを志すきっかけを作る、といったことも目的とはしていませんでした。むしろ、利益に直結しない、あるいは時間を空費することの大切さを体験的に知ってもらうことを目指したプロジェクトでした。世界が多様であり、価値観も多様であり、生き方も多用であることを、お互いに認め合うことの大切さは、世界平和の基礎であり、アートはそのような認識に到達する一番早い文化活動領域である、と考えていたからです。われわれ大人にとってもアートとの出会いは、「私」を形成する上で非常に大きなファクターとなります。だからこそ、純粋な意識を保持している子どもたちに対しては、もっと強力に作用するのではないのでしょうか。

「キッズ・アートワールドあおもり」から20年。当時参加してくれた子どもたちはもう成人しています。果たしてどんな大人になっているのかな。それはわからないけど、あのみんなで楽しくワイワイ騒いだ夏の日の思い出を、いまここでもう一度振り返ってみたいと思います。これからの未来を担う、今の子どもたちに向けて。

秋山祐徳太子
ワークショップ「ダリコDEアート」@三内丸山遺跡
2000年
※画像転載不可

特集展示

展示室I:没後20年記念 成田亨-『ウルトラマン』の世界

映画『シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマンは、カラータイマーが存在せず、目ののぞき穴やファスナーを隠すための背びれもなくなり、マスクからボディ、ブーツ、グローブまでシームレスにつながるなど、無駄な要素が極限まで削ぎ落されたデザインとなっています。そのシンプルで美しい造形は、ウルトラマンをデザインした成田亨の「理想」を具現化したものと言えるでしょう。

ウルトラマンのデザインにおいて成田は、「コスモス(秩序)」というコンセプトのもと、調和、純粋を意識しながらフォルムを練り上げていきました。デザインの変遷を初期稿から追っていくと、混沌とした要素が徐々に整理されていくことが読み取れます。おおまかなフォルムが固まったところで、立体での検討作業へと移行したため、ウルトラマンにはデザイン画としての決定稿は存在しません。このようにドローイングと立体で検討を重ねることで、一切の無駄が削ぎ落とされ、洗練されたフォルムを持つ新しいヒーローイメージが生み出されていったのです。

一方の怪獣デザインで成田は「コスモス」と対極にある「カオス(混沌)」の概念を用い、動植物をはじめ、世界各地の文化的所産やモダンアートの前衛的表現を自在に引用、合成することで、それまで誰も目にしたことのない斬新な形を導き出していきました。成田自身は「私は彫刻家ですから、形を基礎に怪獣を考えました。形の変形が私の怪獣といえます。」と述べていますが、そうしたフォルムの「意外性」が成田怪獣の最大の魅力と言えるのです。

 成田がデザインした怪獣は50年以上経っても古びることなく、今もなお多くの人々を魅了し続けています。成田は2002年に72歳でこの世を去りましたが、没後20年の節目を迎える記念の年に『シン・ウルトラマン』が公開され、成田亨というアーティストに再び脚光が集まる今、当館では所蔵する『ウルトラマン』のデザイン原画のほぼ全点を一挙に公開し、その造形的な魅力を存分に紹介いたします。

成田亨
ウルトラマン
1966年
ペン、水彩・紙
36.4×25.3cm
※画像転載不可

成田亨
ザラブ星人
1966年
ペン、水彩・紙
37.8×25.2cm
※画像転載不可

通年展示

展示室F,G 奈良美智:1990年代を中心に

青森県出身の美術作家・奈良美智は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでどこか哀しげな犬の立体作品で、これまで国内外の多くの人の心をとらえてきました。

 現在170点を超え、世界最大規模を誇る当館収蔵の奈良美智作品の多くは、美術館が開館する8年前の1998年に収集されています。その頃ドイツに留学していた奈良は、制作の拠点をケルンに置いていました。欧米での発表の機会が増え始め、個人コレクターの間でも人気が高かった奈良の作品は、当時既に散逸が危ぶまれていました。郷土が輩出した新しい世代のアートの旗手として奈良を注視していた青森県は、その年、1980年代後半の初期作品から当時の最新作にいたるまで124点の作品を一度に収集しました。本展はその年の収集作品を多数含む奈良の1990年代のドイツ時代の作品を中心にしつつ、作家から寄託されている2000年代以降の作品も合わせて展示いたします。

 奈良は2000年にドイツから帰国。翌年以降、初の大規模な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館を皮切りに、広島や弘前(現:弘前れんが倉庫美術館)など全国5か所で開催されると、奈良美智の名前は日本国内に広く知られるようになります。

アレコホール マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

 

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。

これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。

 残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

 

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。

アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。