小島一郎こじま いちろう [1924-1964]

1924(大正13)年、青森市大町で、玩具と写真材料を扱う商店の長男として生まれた小島一郎は、青森県立商業学校(現青森県立青森商業高等学校)を卒業後、出征。戦後の混乱期を経て、1954(昭和29)年頃から本格的に写真を始めます。
津軽の農家の庭先や雪原の一本道といった平凡な題材から、非日常的イメージを生み出す突出した造形感覚と確かな技巧は、日本の報道写真の先駆者、名取洋之助から高い評価を得ます。その名取の後押しもあり、1958(昭和33)年、初個展「津軽」を東京の小西六ギャラリーで開催。その個展が話題をよび、勢いを得た小島は、1961(昭和36)年、プロのカメラマンを目指して上京します。上京の年には、青森県の下北地方を被写体としたシリーズ「下北の荒海」を写真雑誌『カメラ芸術』に発表。同作で「カメラ芸術新人賞」を受賞し、その後の活躍が期待されました。また、同じ下北のシリーズで、1962(昭和37)年には、第2回個展「凍ばれる」(富士フォトサロン・東京)を開催します。翌年、同郷の小説家・石坂洋次郎や詩人・高木恭造の作品と共に小島の代表的な津軽の写真が編まれた生前唯一の作品集『津軽 ―詩・文・写真集―』が新潮社から刊行されます。しかし、郷土を題材にした写真を本領とする小島は、東京という今までとは異なる環境での作家活動で苦戦を強いられます。募る焦燥感の中、東京での仕事の不振から脱け出すべく、北海道の四季の撮影を決意。1963(昭和38)年冬、現地に赴きますが、撮影は難航します。繰り返される過酷な撮影行に、体調を崩した小島は、期待した成果を得ることなく青森に戻り、1964(昭和39)年7月、39歳の若さで急逝しました。
津軽平野の秋の田で日がな一日働く農夫たち。寒風吹きすさぶ下北の浜辺で、必死に船を引き揚げる漁師。郷土、青森に生きる人々への深い共感を、覆い焼きや複写の技法を駆使しながら、印画紙に刷り込むようにして力強く焼きつけた写真の数々は、早すぎる死の後も、展覧会や写真雑誌で取り上げられ、近年その評価は高まり続けています。2014(平成26)年には、IZU PHOTO MUSEUM(静岡)で没後50年を記念する回顧展「小島一郎 北へ、北から」が開催され、その機会に『津軽 ―詩・文・写真集―』の復刻版が刊行されています。
当館では2009(平成21)年、遺族に残された未公開品を多数含むオリジナルプリント、アルバム、フィルムをもとに、約300点の作品や資料によって写真家の全貌を紹介する初の大規模な回顧展「小島一郎 ―北を撮る―」を開催。この展覧会を機会に遺族からのご寄贈により、多数のオリジナルプリントや資料が収蔵品となっています。

つがる市(稲垣付近)

小島一郎
《つがる市(稲垣付近)》
1960(昭和35)年
ゼラチン・シルバー・プリント
24.5×16.2cm

下北郡大間町

小島一郎
《下北郡大間町》
1961(昭和36)年
ゼラチン・シルバー・プリント
24.2×16.7cm

つがる市木造

小島一郎
《つがる市木造》
1958(昭和33)年
ゼラチン・シルバー・プリント
16.6×24.2cm