展覧会

工藤哲巳展関連イベント シンポジウムを開催しました

2014年4月18日

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工藤哲巳展関連イベント シンポジウムを開催しました

4月12日(土)に工藤哲巳展関連イベントシンポジウム「縄文の構造=天皇制の構造=現代日本の構造」を開催しました!
シンポジウムの内容をまとめましたのでご覧ください!

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シンポジウム 「縄文の構造=天皇制の構造=現代日本の構造」
4月12日(土) 13:00−14:30 
会場:青森県立美術館1Fシアター
パネリスト:
上田篤(京都精華大学名誉教授)
島敦彦(国立国際美術館副館長)
飯田高誉(青森県立図書館総括副参事)
司会:池田亨(青森県立美術館美術企画課長)

青森県立美術館での工藤哲巳展初日に開催されたシンポジウム「縄文の構造=天皇制の構造=現代日本の構造」では、大阪万博「お祭り広場」の設計者であり特異な縄文論で知られる上田篤氏と、工藤哲巳研究の第一人者として知られる島敦彦氏をお迎えし、大胆に想像力を飛躍させ縄文と天皇制と現代日本を直結させた晩年の工藤哲巳の作品群に、パネリストそれぞれが真摯に向き合うことで、その本質とはなにかを再検討しました。

まず基調講演では、上田氏が、環状列石や竪穴式住居、集落の配置、土偶のほとんどが女性の形をしていることなどから、縄文の社会は太陽信仰を中心とした母系社会だったと推測し、それが天皇制に引き継がれたのではないかと問題提起しました。「例えば、『隋書倭国伝』には推古天皇の使者が隋の高祖文帝に『天皇は太陽がでると政務をやめて1日の残りの仕事を太陽に任せている』と伝えたと書かれているし、『日本書紀』に敏達天皇が太陽を祭る部民として日祀部(ひまつりべ)を設置したという記述がある。実際、現在も天皇が旬儀を行ったり正月に四方拝を行ったりしていることなどは、天皇制が太陽信仰と深く関わっていることを示すものであり、縄文の生活の中心にあったであろう『太陽の動きを読む』ことが社会の発達とともに権力者(天皇)の役割となったと考えられるのではないか。」この仮説から上田氏はさらに論を敷衍し、「神武東征」や「戊辰戦争」などの歴史上のさまざまな内乱は天皇のアイデンティティをめぐる争いだとした上で、従軍慰安婦問題もまた天皇の軍隊をめぐる論争であるという点において同根だとするなら、現代のさまざまな問題として縄文や天皇制は存在していると展開しました。

では、このような視点から晩年の工藤の作品をみるなら、「縄文」や「天皇」を題名に冠した作品に用いられるブラックホールというモチーフは、どのような意味を帯びてくるのでしょうか。続いて発表した島氏は、初期の作品にみられる原子物理学への関心が、晩年に宇宙物理学におけるブラックホール現象への関心という形ではからずも回帰していたことや、近年の研究で制作された実際のブラックホールのシミュレーション画像と工藤哲巳の晩年の作品が近似していることに触れながらも、工藤が、欧州の父系社会の価値観を「去勢された男性器」というモチーフを用いることで20年間にわたって攻撃していたにもかかわらず、日本へ帰国した1982年前後から徐々にブラックホールをモチーフに用いるようになった背景を分析しました。
 島氏が、上田氏の発表と作家の発言をもとにしながら「工藤作品におけるブラックホールは、宇宙物理学的な意味だけではなく、女性器や軸のない独楽のイメージに重ねてつくられていることから、欧州型の父系社会の対極にある母系社会の構造を表すための隠喩といえるのではないか」と図像学的な視点から考察すると、上田氏は「あらゆるものを強力な重力場によって中空にむかって巻き込み解体し無力化するブラックホールのように、日本の風土とその文化は、ツングース系、南方系、江南系、漢人系、モンゴル系などの異なる人種や食習慣や宗教観を、倭の空なる存在である天皇を中心とした構造に巻き込み溶融してしまう。このような類推によって工藤の晩年の作品群は日本文化の本質を言い表したのではないか」と人類学的な視点からさらに論を進めました。

両氏の発表を受けたその後の議論では、飯田氏が「母性原理的な天皇制を中心とした日本の構造が回転によって自立する独楽のようなものであるなら、それが倒れるのは、世界大戦や原子力発電所の事故のように自然や他者を征服しようとする父性原理が台頭するときなのではないか」と述べ、母性原理と父性原理の併存という二重原理の問題として議論を展開したのに対して、司会の池田氏は「70年代までに圧倒的につくられた男性器を用いた作品群や、聖母子像を用いた《マザー・コンプレックス・パラダイス》といった作品が、聖母信仰にみられるように表面的には母性的な救いや慈愛を求めながらも実態はそれを父性原理によって抑圧する欧州の社会のゆがみを批判するためのものであったとするならば、80年代に日本に帰国してから制作されたブラックホール型の作品群は逆に、表面的には父系社会でありながら根底において縄文以来の母系社会が存続している日本社会を批評的に表現するためのものだったではないか」と述べ、工藤が一貫して社会構造の批評をテーマとしていたという観点からさらに問題を敷衍するなど、工藤哲巳の核心に迫るさまざまな問題提起がなされ、いくつもの仮説が提出されました。

環境汚染や放射能汚染、遺伝子組換え、文化の衝突など現代社会にまつわる諸問題のさまざまな矛盾をうつしだす工藤の作品には、きっと未来の私たちの姿が凝集されているはずです。世界的にみてもこれだけの規模で回顧展をすることは今後もまずないであろうというくらい空前絶後の工藤哲巳展。国際的に高い評価を受ける工藤哲巳の作品群と、その謎に迫る議論に参加すべく、この機会にぜひご高覧ください。

文責:高橋洋介(青森県立美術館エデュケーター)

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