日誌

A-ism vol.3

2001年4月1日

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A-ism vol.3

A-ism vol.3

A-ism (エイ・イズム) はAomorism (アオモリズム) 、つまり「青森主義」を意味します。青森特有の精神風土を活かしながら、新世紀にふさわしい個性的な美術館を目指す館の情報を、A-ismにて発信してきました。
※美術館整備通信をvol4より「A-ism」に名称変更。

(仮称) 青森県立美術館設計の経過報告

平成11年度、国内の設計コンペとしては歴史的な激戦となった青森県の美術館設計協議。平成12年度は、この青木淳氏のグランプリ案に基づき、具体的に美術館をどのようなものにするか、基本設計の検討を進めています。基本設計は、芸術公園のデザインと美術館建築の調和や、建物の意匠、使いやすさ、観客が展示室をどう巡るかの動線計画などを検討しながら、建物の配置や部屋の形や規模、部屋のつながり等を決め、建物の骨格となる構造を決めていく作業です。

特集

断面図から構想された建築デザイン

立木祥一郎(青森県美術館学芸主査)

これまで検討を重ねてきた美術館建築の概要について御紹介します。本県美術館は地下2階、地上2階。展覧会への来館者は、まず、地下2階の展示室へと誘われます。ここは、縄文遺跡の発掘現場をイメージし、土を素材に用いたタタキのフロアーのある地下空間です。このフロアーのほぼ中心には20m×20mの高さ16mの大空間が広がりシャガールによるアレコ3点が常設展示されます。観客はこのアレコ展示空間から企画展示や常設展示の空間へと巡っていきます。地下1階には常設展示室があります。ここで美術館の収集した美術作品を鑑賞することができます。1階には作品を保管するための収蔵庫やレクチャーホールがあります。このホールのステージの背景の壁が開くとそのままアレコを舞台の背景に見ることができるような設計になっています。2階には、研究室や事務室があります。
建物は、この展示室、収蔵庫といった美術館の基本的な機能を備えた本館部分から外部通路と呼ばれる公園の広場から山側へと抜けることができる通路を挟んで、さまざまなアート関係の書籍を閲覧したり、コンピュータによる情報を検索することのできる美術図書室や、作品制作等を行うアトリエなどを備えたメディアセンター・創作部門と、県民の創造展示の舞台となるコミュニティギャラリー部門が東、南にそれぞれ伸びています。
また、この美術館では、アーティスト・イン・レジデンスという芸術家等が館に滞在して青森の風土の中で制作活動や展示活動を行うことができるように計画されているのも大きな特徴のひとつといえるでしょう。
みなさんは建築の図面といって連想するのは、たとえば不動産の店先にある3LDKのマンションの間取り図とか、美術館なら、入り口はここ、展示室はここで、レストランはこちらといった館内案内のような平面プランだろうと思います。私たちは建築を考えるとき無意識のうちに上から見た平面の形や図面で考えている。同様に建築の多くは、平面図をとりたてて重視してきました。特にポストモダンとよばれる現代建築は上からの平面形や外形から、内部の部屋割りや機能が導き出される傾向が強かったといえましょう。
その点、青森県の美術館は、斬新なアイデアによって設計されています。設計者である青木淳氏は、この青森県の美術館を考えるにあたり、まず図1のような断面のスケッチから建物を考えたのです。

図1

図1

美術館が三内丸山縄文遺跡に近接するということを踏まえ、遺跡の発掘現場のトレンチ (壕) をイメージした土の大きな凹型と、その上に、ずれてかぶさる逆凸型の建築。作品の展示空間は、この凸と凹の隙間の空間です。青森の美術館を設計するに当たっての最も根本的な原理がこの断面図にみることができるのです。
青木氏は、あるひとつの条件を設定し、状況に対応しながら設計する手法を [決定ルールのオーバードライブ] と呼んでいます。青森の場合なら、決定ルールは、凸と凹という建築原理。このことは、この青森の美術館の設計に当たっては、従来の建築のように平面形の意匠という既成概念に縛られていないことを意味しています。建築の外形は、周りの景観 (ランドスケープ) や、建築に求められる必要な内部機能から決定されていくのです。凸と凹というルールを建築家が規定する以外は、意匠から外形が求められず、建築をめぐる様々な関係性から建築外形というものが浮かび上がってくるという考えです。
また美術館設計案は建物自体も縄文ループという公園側の計画する中を歩けるチューブ状の立体的な園路の高さ以上にしないなど、自然に溶け込ませた低層の構造で計画されています。コンペでもっとも評価されたのもまさにこうした点であり、タタキを用いたトレンチのギャラリーと、そこにかぶさる建築というコンセプトや、ファサードを持たずループ上に建築が出ないという原則などに従い、公園のデザインを来館者の利便性などの観点から美術館の計画との調和をはかったり、美術館としての施設機能を検討していく過程で、的確にその外形が変化していきます。
図2のようにアトリエ棟やコミュニティギャラリー棟が展示・収蔵部門に近接、一体化していくとともに、ランドスケープから求められた弧を描く外形のデザインはより単純化していきました。
青木氏の建築学会作品受賞作 [潟博物館] や新潟の豪雪地域のくらしの研究施設である [雪のまち未来館] などに入り、その内部を歩きながら移動していくと、視線の移動に従い、内部空間の光が時に劇的に、時に微妙に移り変わり、うつろう空間の美に不思議な感動を覚えます。青木淳の建築作品の魅力のひとつは、人が、空間の連続したつながりのなかを移動していくことにあるのだと思います。
青森県の美術館も、来館者は、縄文の植生を再現した公園から、地下に包み込まれるように土のトレンチの中の落ち着いた空間へと降りてゆきます。そして、その中に突然ぽっかりと広がる巨大なアレコの展示空間に出会います。建築構造の中に形成される大小様々なホワイトキューブといわれるシャープな白い方形の空間や、さまざまな表情を見せるトレンチの土の空間の陰影を感じながら館内を巡り、そこに展示される美術作品の数々を堪能できるでしょう。
この美術館の展示空間で人々が経験するアートの空間は、たぶんこれまでの美術館の展示室でアートを鑑賞するのとは全く異なる感動を与えるかもしれません。青森県の美術館設計は、凸凹の決定ルールによって青森という土地を読み解くことで、青森、縄文という土地の特性が刻んだ空間を発掘し、建築という形に置き換えようとしているように思えます。どこにでもある均質な展示空間だけでは得られない、どこにもない、 [ここ] だけの空間。そこに展示され、そこから生まれるアートは、まさに青森という土地にこだわりながら、 [外] へと飛び出し国際性を獲得した棟方志功や工藤哲巳らのアーティストたちの創造の原点を [ここ] 青森へと取り戻す試みにほかならないのです。

図2

図2

キッズ・アート・ワールドあおもり2000−終わる世紀とはじまる未来−

いつもの年よりちょっとだけ暑かった2000年の夏に開催された「キッズ・アート・ワールドあおもり2000」。青森県立郷土館、青森新町商店街、柳町商店街、三内丸山遺跡を会場に、8月12日から27日までの3週間、子どもたちをはじめ多くの人たちが街に展示された作品を見学し、そして参加したアーティストと楽しく交流していました。

青森県の目指す美術館は、作品の収蔵・展示といった基本的な機能に加え、芸術作品の創作や発表の場を整備するとともに、アーティストと県民、そして県民相互の交流を積極的に推進していく活動を行っていく予定です。
この「キッズ・アート・ワールドあおもり2000」も、こうした新世紀にふさわしい新しい機能をもった美術館のパイロット事業として開催したものです。21世紀を担う子どもたちを対象に、様々な美術作品を鑑賞し、その体験をもとにアーティストや親、地域住民と共同で作品を制作していくというプロジェクトで、様々な体験活動をとおして、子どもたちの創造力や感性を育むことを目的としました。
参加アーティストは、秋山祐徳太子、飯島永美、岡本光博、佐藤ヒロ、島脇秀樹、奈良美智、成田亨の7名。作品の展示とともに、佐藤ヒロをのぞく6名が青森にやってきて、ワークショップや共同制作会、シンポジウムやスライドレクチャーを青森市内各地で行いました。
展示では、日常の生活や文化にモチーフを得た作品や他の様々な現代文化とのつながりを持つ作品など、親しみを持ちやすい美術を紹介。既製品の人形を善知鳥神社の池に浮かべた「ドザえもん」という作品や、商店街のいろんな場所にあらわれるお坊さんの彫刻、郷土館にはウルトラ怪獣のデザイン原画、またある店には商品の中にイラストがまぎれているなど、ふだんあまり美術として意識されないものを展示することで美術のもつ可能性の広さと、何よりも「美術はこうあるべき」という既成概念を越えて「表現することの楽しさ」を伝えてみました。さらに、公共空間に美術作品を展示することで、魅力ある街づくりについて考えていただくことも狙いの一つとしました。
交流事業でも、上手に絵を描いたり、立体を作ったりするというよりも、子どもたちの自由な発想を大切にして、いっしょうけんめい考えたり、体を動かすことでも「表現」は可能であることを紹介しました。また、失われつつある性別、年齢、職業、地域をこえたコミュニケーションを美術によって再構築していこうという意図も交流事業には込めています。
グリコのマークになって三内丸山遺跡を駆け巡ったり、自分だけのかっこいい怪獣を考えたり、さらにはお店に取材して出来上がったちらしを本物の新聞に折り込み、それを見た人たちとお店で交流するといった大掛かりなワークショップも行いましたが、アーティストと触れあい、日頃接することのない人たちと交流できた子どもたちの顔はとてもいきいきしていました。
各事業に参加した子どもたちから寄せられた意見も「楽しかった!」、「おもしろかった!」、「またやってみたい!」というものがほとんどで、参加者数も郷土館の展示と各種交流事業あわせて4,580名にのぼるなど、初年度の取り組みとしては一定の成果をおさめることができました。
このプロジェクトは、参加アーティストや、プログラムを変えて、来年度以降も開催する予定です。もっと楽しい、もっとおもしろい、そしてもっと魅力的なプロジェクトを今回の成果をふまえて、企画していきます。ご期待ください。

学芸員エッセイ

舞台の裏で・・・

池田亨(学芸主査)

言うは易く、行うは難し。この夏、街全体が美術館になります、というキャッチフレーズを掲げた 「キッズ・アートあおもり2000」 の野外展示は進めるにしたがって様々な問題につきあたり、苦労の連続でした。
管理の行き届いた室内ではなく野外に展示する、という時点で、作品の保安管理の問題が生じます。常に監視しているのでは野外展示の意味はないでしょうし、そうなると盗難や破壊といったことを覚悟して臨まなくてはなりません。
また、抽象的なオブジェなどならともかく、ある種のイメージの表現は見る人に不快感を与える恐れがあります。美術館なら程度の差こそあれ、自発的に見にくるのですから許容されるようなことも、不特定多数の人が、望む、望まないにかかわらず目にせざるを得ないような野外での展示は、たとえそれが真摯な表現意図をもっているにせよ、視覚的な暴力になりかねません。まして音や動きを伴う場合はなおさらです。
今回のプロジェクトで、正面からそういった問題とぶつからざるを得なかったのが岡本光博さんの作品でした。
県庁東口玄関に展示された「日本画22」は、ものもね王座決定戦の審査員席が描かれたタブローと司会者の「10点、10点・・・」という声のサンプリングをループするサウンドシステムで構成された作品ですが、この音量が作者の意図としては、周辺での会話すらできないような大音響だったため、セッティングした途端に当然のごとく苦情が相次ぎ、かなり抑えた音量に落ち着かざるを得ませんでした。ぎりぎりの妥協だったとはいえ、作者の意図からいってこれが作品として成立していたのかどうか、いまだに確信がもてません。
また野外展示の難しさを痛感させられたのが、青森市の発祥の地といわれる善知鳥神社の池にうつぶせにドラえもんのビニール人形をうかべる「ドザえもん」という作品でした。この展示は、青いビニール人形が木々の緑と朱塗りの橋に映え、大変美しく、作者が言うところの現代美術の入門として大変好評だったのですが、最終日前日の朝、「ドザえもん」は忽然と消えうせていたのです。岸辺には人形をつなぎとめていたおもりのコンクリートブロックとはずされたワイヤーが打ち捨てられていたところをみると、夜のうちにわざわざ池に入って人形を持ち去った者がいたのでしょう。もちろん今回の野外展示作品は、こわれようながなくなろうがすべてのリスクは覚悟の上ということで展示の許可をいただいていたのでどうしようもなかったのですが。
新町商店街を毎日場所を変えて展示した「法」は、托鉢僧の 等身大の人形3体が並び、サウンドセットから「ほぉー」という声を出すというものでしたが、道ゆく人々に多大なインパクトをあたえるとともに、気味が悪いなどの苦情も受けた作品です。
この人形の持っている托鉢の鉢には、作品名のキャプションをつけているにもかかわらず、お金を入れていく人が数多くいました。それは口頭でどんなに作品ですと断っても同じだったのは、このイメージの持っている力がアートであることなどはるかにこえて強力だったからに他ならないでしょう。
アートが美術館から外に出るということは机上で考える以上に困難です。公的なイベントとして、街全体をそこに置かれたものがアートであることを保証する「美術館」という制度の磁場の中におくというのは一つの方法でしょうが、演出された空間ではなく、街の日常を残したまま作品を展示するのは社会と表現とが直接向きあうのっぴきならない状況をつくりだします。
今回のイベントでは、ワークショップや共同制作会、パフォーマンスなど展示以外での内容はとても充実しており、参加者からの反応も手ごたえのあるものでした。その中で、野外展示に関しては、必ずしも大成功したとは言えないかもしれませんが、美術館が街へと活動の範囲を広げていく上で突き当たらざるをえない様々な問題を浮き彫りにしたという点で、意義のある試みだったと思います。

美術館整備・芸術パーク構想推進室は、その他こんな活動をしています

青森県/美術館コレクション展

今年度のコレクション展は七戸町立鷹山宇一記念美術館、青森県立郷土館、浪岡町中世の館の県内3ヶ所で、7月から9月にかけて開催されました。
今回は例年に比べ、若い世代の来館者が目立ちました。これは、現在国内外で若者を中心に幅広い人気を集める奈良美智 (1959 -) の作品や、「ウルトラマン」の登場キャラクターなどをデザインした成田亨 (1929 -) の作品が特に人気を呼んだことによるのでしょう。アンケートでも、作品と直に接することにより、新しい発見や感動を持つことができた喜びが数多く綴られていました。
また、若い世代の多くが、将来の美術館でも、同世代のアーティストの作品に触れることに大きな期待を寄せていることを強く実感できたことも、今回の大きな収穫だったといえます

生涯学習フェア2000関連事業

9月 – 10月に開催された「彫刻制作会in下田」では、大間町出身の彫刻家、向井勝實さんと地元の人々が青森ヒバを使って彫刻作品を作りました。会期中、当室の学芸員も会場に出向いて、石膏や彫刻制作で出てくる木屑を使った立体制作ワークショップや、シンポジウム「アートは街をめざす」を行いました。カワヨグリーン牧場では、地元の音楽グループによる演奏と、学芸員がアートを語るトーク、そしておいしいディナーが楽しめる「アートとディナーの夕べ」も開催。好評でした。向井さんたちが作った作品は、下田公園に設置されています。

アート連続講座

平成12年の9月から11月にかけて、青森県総合社会教育センターが主催する「県民カレッジ」の一環として当室の学芸員による「アート連続講座」を開きました。
「美術館とは何か」 と題された「アート連続講座A では、本県の美術館施設の構想や、昨年の夏に開催された キッズ。アートワールドあおもり2000」など、当室の具体的な活動の例を挙げながら、美術館というものについてさまざまな角度から解説を行いました。
「アート連続講座B」 ではルネサンス時代から現代にいたる西洋美術の流れを多く図版を用いながらわかりやすく説明しました。美術に関心を持つ多くの県民の皆さんが熱心に耳を傾けていました。

新収蔵作品の紹介

平成12年度は104点の作品 (資料等も含む) を収蔵しました。主なものに、小野忠弘の作品があります。1913年弘前市に生まれた小野は、88才になる現在も福井県三国町に居を構え、旺盛な制作活動をおこなっています。彼の作品の多くは、一般にジャンクアート (廃品を用いた芸術) と呼ばれるもので、1959年にはアメリカの『ライフ』誌において「ジャンクアート、世界の7人」として取り上げられるなど、海外においても高い評価を受けています。この度、作家の手許に残されていた作品群の中から14点を購入するとともに、50点を受贈しました。
また、工藤哲巳 (1935-1990) についても、作品を購入するとともに、パリのアトリエに残されていた資料類を御遺族のご厚意により受贈しました。
このほか、棟方志功 (1903-1975) の1938年第2回新文展特選受賞作を含む作品群、蔦谷龍岬 (1886-1933) 、工藤甲人 (1915-) の作品、日本の近代版画の展開をみる上で欠くことのできない版画作品等、収蔵した作品は多岐にわたりました。
将来の美術館では、その活動範囲を総合的な芸術活動に広げていくことを目指しています。そこで今年度から、映画作品の収集にも着手しました。寺山修司 (1935-1983) は青森県のみならず、日本の戦後文化史において重要な足跡を残した作家ですが、今回収蔵した実験映画は、彼の多様に展開した表現の総合的なイメージを知る上で欠かせないものといえます。