青森県立三沢航空科学館の大柳館長による講演会が本日開催。
東京帝国大学(現東京大学)航空研究所が設計し、東京瓦斬電気工業(日野自動車の前身企業)の製作による単発・単葉のプロペラ機「航研機」は、昭和6(1931)年に長距離飛行の世界記録樹立を目指して計画がスタートし、昭和13(1938)年5月に関東上空を3日間、距離にして11,651km(地球を約四分の一周)飛び続け、見事に世界記録を打ち立てた名機です。
主脚は当時まだ珍しかった完全引込式とされ、操縦席も胴体内部におさめて視界なしの計器飛行をパイロットに強いるなど、空気抵抗削減が徹底的に追求された機体でした。
この航研機の設計、製作、飛行には、いずれも青森県出身の人物が深く関わっていました。
当時、東京帝国大学航空研究所に所属していた木村秀政(1904~1986年、五戸町出身)は航研機の機体設計や運行計画を立案し、戦後は国産初の旅客機となったYS-11の基本構想を手がけた人物。工藤富治(1889~1959年、むつ市出身)は、単身フランスに渡り、飛行機技師エミール・ドヴォワティーヌの工場で技術長をつとめた世界的な航空技術者で、帰国後に東京瓦斯電気工業の工場長として航研機の製作にあたっています。そして、航研機の操縦を担当した藤田雄蔵(1898~1939、弘前市出身)は、津軽藩士族の家に生まれた陸軍きっての名パイロットでした。
青森県立三沢航空科学館の設立に際して、この青森県とゆかりの深い航研機を、世界初の太平洋横断に成功したミス・ビードル号と並んで展示することが計画され、その復元プロジェクトが開始。資料不足もあって復元は困難を極めますが、現在その威容は航空科学館で見ることができます。
その復元の過程を、プロジェクトの中心メンバーであり、現在同館の館長をつとめる大柳氏が、スライド、映像等によって詳しく紹介。
青森県の知られざる郷土史に、聴講された方々もじっくりと耳を傾けていました。
講演会終了後は恒例の懇親会。
工藤富治も組み立てにかかわっていたというフランスの飛行機「ドボアチンD33」の模型を囲んでの飛行機談義。
「ドボアチンD33」は1931年に当時の周回無着陸飛行のレコードを樹立した機体で、この模型はなんと参加者の手作り品(スケールは1/32)!
みなさんの目がとても輝いていたのが印象的でした。