美術館スタッフによる「ボックスアート展」オススメの1点を紹介するコーナー、
第2回は静岡出身の学芸員、板倉容子さんです。
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私のオススメ、それは上田毅八郎さんが描いた「HASEGAWA 1/700 日本郵船氷川丸」です。
じつは先日、横浜にある日本郵船歴史博物館に行ってまいりました。こちらの博物館は、“近代日本海運の黎明期から今日に至るまでの近代日本の海運史を、貴重な映像や写真、 客船パンフレット、モデルシップなどで紹介”しており、大層面白く、心ゆくまで楽しんできたのですが、展示室の中の「戦争と壊滅」コーナーで、上田毅八郎さんの作品(映像資料の一部)に思いがけなく出会うことができました。これまでプラモデルにも、船にもおよそ興味のなかった私なので、当館で「ボックスアート」展が開催されなければ注意を惹かれることもなく、そのまま通り過ぎていたことでしょう。けれど、「ボックスアート」展のおかげで上田毅八郎という画家の名前がすぐさま目に飛び込んできたのです。
それでは、上田さんの作品を通して「戦争と壊滅」コーナーで紹介されていた近代日本船の歴史とはどのようなものだったのでしょうか。
「・・・第一次世界大戦後、日本でも多くの豪華客船が建造されるようになり、人々の夢をのせてアメリカやヨーロッパへと盛んに航行していましたが、第二次世界大戦が勃発すると、こうした豪華客船は次々に航空母艦など軍事用に改造され、そしてその殆どが、多くの人々の命をのせて沈没するという壊滅的な運命をたどっていったのです・・・」
このコーナーの手前に展示されている、豪華客船の当時の姿を伝える資料があまりにも楽しげで華やかなため、その非情なまでの変貌ぶりに、戦争という強大な波にさらわれていった当時の船と、それらの船とともにあった人々の悲痛な思いを想像せずにはおれませんでした。
さて、「HASEGAWA 1/700 日本郵船氷川丸」の氷川丸も、1930年シアトル航路用に建造された貨客船で、太平洋戦争前にはチャップリンなどの著名人を含め約1万もの人々が乗船していたそうです。太平洋戦争時には海軍特設病院船などに徴用されましたが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れ、戦争直後に復員輸送船としての役割を果たした後、再び貨客船として活躍した船とのことでした。
一方、上田毅八郎さんも戦時中、陸軍船舶砲兵として輸送船等に乗艦していたと伺いました。時代の波に翻弄されながらも幾多の時間を越え、人々の様々な思いをのせて航行し続けた氷川丸。「氷川丸」と同時代を歩み、多くの船を見つめ、そして描き続けてきた上田さん。快晴の空の下、勇壮に航行する「氷川丸」の姿には、長い時間を経験することでしか描くことのできない、不思議な軽やかさに包まれているようにも思えるのです。
県立美術館美術企画課 板倉容子