ちょっとマジメに連載開始。
ボックスアートとはプラモデルの「箱絵」のこと。今年はちょうど日本でプラモデルが誕生して50年という節目の年にあたりますが、この展覧会はプラモデルの箱絵原画をとおして、戦後日本の文化史を振り返ろうとするものです。あわせて、昭和初期から戦時中にかけての懐かしい大衆文化の資料も展示し、プラモデルとその箱絵のルーツも探っています。
展覧会の見どころと主な出品作品について、これから数回にわたって紹介していきたいと思いますので、最後までお付き合いください。
この展覧会は大きく5つのセクションに分かれています。最初の部屋は、日本のプラモデル草創期の1960年代から1970年代にかけて発売されたプラモデルとそのパッケージ原画を展示しています。
高度成長の時代相に呼応するかのように大量生産、大量消費が可能で、なおかつ金型を製作し、プラスチック樹脂で成型するためモチーフが再現しやすく、また組立も容易であったことから、プラモデルは子どもを中心として爆発的な人気を集めていきました。立体化されたのは、子どもたちが憧れる「強いもの」、「かっこいいもの」の数々。それらを実際に立体物として手にすることができるプラモデルは、まさに当時の子ども達にとっての憧れを現実化してくれる夢の玩具だったのです。
この時期のボックスアートの特徴は、模型化されるモチーフを正確に描くのではなく、物語性に富んだ迫力あるシーンを、やや誇張的に、そして劇的に描く様式が主流でした。
当時の子ども達はその情景に胸をときめかせたのです。
○画像左:タミヤ「ドイツ パンサータンク」 小松崎茂 1961年
プラモデル草創期のボックスアートは新しい時代の新しいホビーにふさわしいものが模索されました。世は「戦記」ブームの只中。タミヤは雑誌の挿絵等で活躍していた人気イラストレーター小松崎茂をいち早く起用し、この1/35「ドイツ パンサータンク」で大きな話題を集めることに成功します。そこには見る者の感情を刺激し、無限の想像力を喚起する「情景」が描かれていますが、小松崎が打ち立てたこの様式が以降のボックスアートの主流となっていきました。
○画像右:タミヤ 1/12「ホンダF-1」 川上恭弘 1967年
日本のメーカーのF1マシンがはじめてグランプリで優勝した記念すべき一台を、タミヤは実車の入念な取材によって精密に模型化しました。ボックスアートも物語性に富むものではなく、工業イラストの第一人者であった川上恭弘を起用し、モチーフを正確に、緻密に描く方向性に変わっています。タイヤのトレッドパターンまで正確に刻まれたこのキットにふさわしいボックスアートと言えましょう。このキットは世界中で大きな評判を呼び、タミヤは一挙に世界にその存在を知られるようになっていきました。