特別講演会「柳宗悦と棟方志功の朝鮮芸術観」

2007年12月2日

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特別講演会「柳宗悦と棟方志功の朝鮮芸術観」

12月2日は日本民藝館学芸部長尾久氏を講師にお招きし、企画展特別講演会を開催しました。

まずは、簡単に柳宋悦と棟方志功の関係をご説明しますと・・・

柳らが明治43年に創刊した雑誌『白樺』。
大正10年2月号の『白樺』にゴッホのひまわりの絵を掲載し、日本に紹介したのが柳。
その『白樺』に掲載されているゴッホの絵を大正10年5月に洋画家の小野忠明が志功にみせ、「わだばバン・ゴッホのようになりたい」と志功は感動。
そして、画家を志し、大正13年9月に志功は上京。
その後、昭和3年に志功は、版画の道を志します。
ゴッホは、絵の中に浮世絵などを描きこんでいたように「日本の版画は自分の最大のお手本である」と言っていたそうで、ゴッホを敬愛した志功が版画の道を選択というのもご縁なのでしょうか。
志功の出発点となる「大和し美し」で昭和11年に国画会へ出品。
そこで、国画会の審査員をしていた柳と志功は出会い、「大和し美し」を評価されます。
そしてゴッホを志功に教えた小野は平壌で崔に志功への紹介状をもたせます・・・と、不思議なご縁により志功は画家を志し、崔とも出会い・・・。

柳は朝鮮芸術を愛した方ですが、朝鮮の日常品として造られたもの、自己に執着せずに造り出されたもの、濁りのない、邪気のない、こだわらない心の美というものとして評価しています。
それは、棟方の作品についても、崔の作品についても共通する点であり、「造る人も自在人になればよい。自在をことほぐこと、自在美により人間の心がほぐされ、忘我になれる。それが幸福を与える。神と接合できる。」と柳は信じたんだそうです。
「美でもって朝鮮民族を救おう、美は神にかわりうる」、「神との接合の瞬間、それは美しいなぁと感じている瞬間」・・・、柳が朝鮮芸術に感じている気持ち、それは志功作品に感じているそれと同じ・・・いつまででも聴いていたい講演会でした。

最後に柳と志功が対談しているお写真も紹介してくださいました。

尾久先生、本当にありがとうございました。