2011年6月21日(火) - 10月10日(月)
常設展

展示のみどころ

鷹山宇一、寺山修司、奈良美智、成田亨、松木満史、棟方志功・・・。夏のコレクション展では、青森県にゆかりのある美術家の作品を中心に紹介いたします。「青森」が生み出した多彩で個性豊かな表現をお楽しみください。
あわせて、マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画3点や、白神山地をモチーフにしたリチャード・ロングの写真作品、青森の豊かな自然に取材した洋画作品なども展示いたします。

各展示室紹介

アレコホール:マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887 - 1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

展示室F 奈良美智:インスタレーション

青森県弘前市出身の奈良美智 (なら・よしとも) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
『Hula Hula Garden』と『ニュー・ソウルハウス』という2点のインスタレーション (空間設置作品) を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。

展示室G 寺山修司:青少年のための寺山修司入門

寺山修司が活躍した1960~70年代はいわゆるアングラ文化が全盛の時代でした。高度成長によって近代化が急速に進む一方、社会的な構造と人間の精神との間に様々な歪みが生じ、そうした近代資本主義社会の矛盾を告発するかのように権力や体制を批判、従来の価値観を否定していく活動が盛んとなっていったのです。特に寺山は大衆の興味や関心をひきつける術に特異な才能を発揮しました。演劇や実験映画ではそれが顕著で、演劇、映画のあらゆる「約束事」が否定され、感情や欲望を刺激するイメージで覆い尽くされた寺山の斬新な作品は多くの人々を虜にしていきました。
このコーナーでは、寺山が主宰したアングラ文化の象徴とも言うべき「演劇実験室◎天井棧敷」のポスター18点と、豊かなイメージの世界を描いた数々の実験映画を、寺山の片腕として活躍した森崎偏陸による編集によって紹介いたします。

棟方志功展示室 わだばゴッホになる

若き日の棟方が画家を志すきっかけとなったのはゴッホの「向日葵」との出会いでした。大正10年(1921)、雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの「向日葵」に衝撃を受けた棟方は「わだば(私は)ゴッホになる」と決意しました。「わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。プルシャンブルーで描かれたゴッホのひまわり、グルグルして目の廻るような、輝きつづく、あんなひまわりの絵が描きたかったのです」と後年自伝の中で回想しています。油絵を描き始めた棟方は青森で仲間と洋画の会「青光画社」を結成し作品展を行うなど精力的に活動していました。当時の棟方の絵はゴッホの風景画を思わせるものが多かったといいます。
しかしその後上京し帝展への出品を続けるうちに棟方は、油絵は西洋の絵画であり西洋人を超えることはできないのではないか、西洋の真似事ではなく日本古来のもので美を追求していこうと思い始めました。尊敬するゴッホが日本の浮世絵版画を好んで蒐集し賞賛してやまなかったことも板画の道へ進む想いを強くし、板画の制作を始めるようになりました。
独創的な棟方の板画は国内よりもむしろ海外でいち早く評価されました。1952年《女人観世音板画巻》がスイスの第2回ルガノ国際版画展で優秀賞を受賞したのをはじめ、1956年には第28回ヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞しました。板画で世界の頂点に立った棟方は1959年ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招待により渡米する機会に恵まれましたが、その際ヨーロッパまで足を延ばし各地の美術館を見学するとともにフランス・オーヴェールにゴッホの墓を訪ねています。晩年の棟方は自身の原点を見つめ直すかのように、故郷青森をテーマとした作品やゴッホの向日葵を思わせる作品、自画像を多数制作しています。
今回の展示では、棟方が油絵画家を目指していた頃の貴重な初期の油絵をはじめ、板画の代表作約20点を展示し、「わだばゴッホになる」と言い続けて世界へと羽ばたいた棟方の幅広い芸業を紹介します。

展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財:縄文の表現

特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前-4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人々が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。

展示室O リチャード・ロング:白神山地を歩く

ロングは、1997年5月末、世界遺産・白神山地に青森県側から入山し、8日間にわたり単独歩行しました。この「歩行」の中で、フォトワーク『白神山地歩行シリーズ』が生み出されました。「青い森の歩行」、「キャンプ地の石」、「初夏の円環」、「白神の線」、「白神の円環」の5点からなるこのシリーズは、作家自身がそこに存在したことを示すわずかな痕跡を含んだ風景写真と短いテキストから成っています。
白神山地下山後、作家は「白神で自分の存在は地を這う小さな虫のようなはかないものだった」と語ったと伝えられています。あらゆる人為の影響を免れた世界最大のブナの原生林の中に、きわめてひそやかに残された人為の造形。それは、一方で周囲の自然に対する限りない畏敬の念の表れでありながら、他方では、その大いなる自然を前に、はかなく消え入りそうになる自らの存在をつなぎとめようとするささやかな抵抗の表れでもあります。

展示室P,Q 画家達の青春~棟方志功のライバルたち

若き日の棟方志功が「わだばゴッホになる」と、画家への第一歩をあゆみ始めた頃、彼には志を同じくする友人達がいました。棟方は1921年美術団体青光画社を結成しましたが、松木満史、鷹山宇一と、のちに彫刻家となったむつ市出身の古藤正雄が参加し、松木と棟方が審査員をつとめる公募展を開催し、好評をもってむかえられます。
 木造町出身の松木満史は、白樺派に傾倒し、美術のみならず文学や演劇にも関心が深く、棟方にとって芸術について語りあう親友でした。松木は後に上京、1938年にはかねてよりあこがれていた美術の中心地、フランスへの渡航を果たします。家族の不幸や戦争の激化などにより、1年半で帰国を余儀なくされますが、帰国後の作品には印象派の明るい光がとりいれられるようになっていきます。今回はパリへの渡航の際の船中や寄港地などで描かれた淡彩によるスケッチと、渡航前と渡航後の油彩画を一点ずつ展示します。
 七戸出身の鷹山宇一は、棟方と出会った当時、旧制青森中学の学生でしたが、青光画社に参加します。戦前はフォービズムの影響をうけた油彩画、シュールレアリスムの精緻な木版画を描いていましたが、戦後は豊かな幻想をたたえた油彩画を主にえがくようになり、二科会の重鎮として活躍しました。今回は戦後の作品の中から、郷愁にあふれた幻想的な作品を展示します。
棟方と同世代で、画家を志していた若者達の中には、のちに絵画団体示現会の創立者の一人となり、日展を中心に活躍した弘前生まれの洋画家、奈良岡正夫もいました。小学生の頃から絵を描き始め、青光画社展に刺激されて弘前から絵を担いでいき、一緒に展示してもらったこともあったといいます。兵役をうけたあと入院していた陸軍病院で出会った画家・考古学者の小野忠明に励まされ、本格的に画家の道を志すようになりますが、小野は前衛芸術家の小野忠弘の兄で、棟方志功にゴッホの「ひまわり」の図版を見せた人物でもありました。今回は東奥日報社から寄託されている大変貴重な戦前の静物画を展示します。
 「青光画社」展で自信をふかめた若者達は、つぎつぎに上京し、棟方は当時もっとも権威があった帝国美術院展覧会(帝展)に入選することをめざしますが、何度も繰り返し落選してしまいます。その頃、女子美術学校(現女子美術大学)の学生でありながら、帝展に入選し、棟方達から羨望の目でみられていたのが、青森市の女性画家、橋本花(結婚前の名前は原子花)でした。帝展に落選し、意気消沈した棟方は、橋本花に自らの絵をみせてアドバイスを求めます。「デッサンができていない」というのが花の答えでした。特定の師もなく、美術学校などでの正式の教育をうけているわけでもない棟方はその意味がはっきりとわからないままに、必死で様々な対象、さまざまな形を描く訓練をし、それが後の即興的で自在な描画の基礎となったといいます。ここでは、昭和初年、ちょうど棟方が帝展をめざし苦闘をつづけ、ようやく入賞することができたころの、花の作品を展示します。

展示室M 成田亨:怪獣デザインの美学

成田亨(1929-2002)は、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という 初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、 日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。美 術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モ ダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引 用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのある モチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出してい くというその一貫した手法からは成田の揺らぐことのない芸術的信念 が読みとれるでしょう。

無料ゾーン(キッズルームとしてもご利用いただけます)

展示室H 馬場のぼる:“ネコばば”と仲間たち

馬場のぼるは、絵本「11ぴきのねこ」シリーズの作家として知られる青森県三戸町出身の漫画家です。一冊目の『11ぴきのねこ』は1967(昭和42)年に出版された作品ですが、40年以上を経た現在もなお、多くの子どもたちに愛され続けています。
昭和を代表する漫画家、横山隆一をして「馬場のぼるにはネ。『ネコ』を描かせたくない・・・あんなスゴイ猫はいかん。ばばネコは禁じ手だよ。」と言わしめた馬場のぼるを、漫画家仲間たちは敬意を表して、猫を描く名人“ネコばば”と呼んでいました。
今年は馬場のぼる没後10年にあたります。今回の展示では、馬場のぼるのイラスト原画を展示するとともに、馬場のぼるが長年活動を共にし、よき遊び仲間でもあった「漫画家の絵本の会」メンバーのうち5人の漫画家によって描かれた馬場のぼるへのオマージュ作品をあわせて展示します。