ラブラブショー2関連企画
DIALOGUES ダイアローグズ -作家たちの対話から
2017年3月11日(土) ~ 7月2日(日)



親密な交流を持った作家同士、同じ問題意識で結ばれた作家同士、あるいは一緒に作品を制作する過程で心を通わせた作家同士。
青森県立美術館の収蔵作品を中心に、春の企画展「ラブラブショー2」にちなみ、2人の作家の組み合わせで展示を構成し、作家同士の対話から浮かび上がるものをさぐります。
また、棟方志功展示室では昨年度から寄託を受けた、棟方の著名なコレクターである「小林コレクション」を特集で展示いたします。



  • 森山大道《三沢の犬》1971/2016年
    (C)森山大道

  • 阿部合成《海を見る詩人》1970年


  • 白木茂・作 / 馬場のぼる・絵
    『てんぐのめんの宇宙人』
    (刊行: 岩崎書店、1969年)

  • 今純三《風景(雪景)》1935年

通年展示


展示室I 寺山修司×森山大道:裏町人生

寺山修司と生前より親交が深く、多くの仕事をともにしてきた森山大道。かつて寺山修司と森山大道による『あゝ、荒野』を造本した町口覚によって再び寺山の「言葉」と森山の「写真」を組み合わせた写真集『Daido Moriyama : Terayama』(マッチアンドカンパニー)が2016年に刊行されました。スポーツの世界で燃えつきたヒーローをめぐる短編集『スポーツ版裏町人生』(1982年)から「友よいずこ」「小指の辰」「忘却の土俵入り」「夕陽よ、急ぐな」「牙」の5篇とこの本のために森山大道と町口覚が選んだ100余点の写真が、見る者を裏町の世界へと引き込みます。異なるジャンルながら表現の濃厚さが際立つ2人の個性と個性がぶつかり強烈なエネルギーを発する写真集です。
このコーナーでは、『Daido Moriyama : Terayama』をもとに展示としての再構成を試みます。表紙に使われた森山の代表作でもある《三沢の犬》(1971年)の他、森山自身によるニュープリントの写真と寺山の鋭い言葉が融合、呼応し、圧倒的な迫力をもって散っていったスポーツマンたちの裏町人生が迫ってくることでしょう。ふたつの芸術が交わることで力強く生まれ変わった表現世界を体感してください。


展示室J 白木茂×馬場のぼる:てんぐのめんの宇宙人

白木茂は、数多くの優れた児童文学作品の翻訳、紹介に尽力した翻訳家・児童文学者です。
白木茂と馬場のぼるとの出会いは、戦後まもなくの頃に遡ります。終戦に伴い地元三戸町に帰郷し、独学で漫画の勉強をしていた馬場は、当時、家族とともに同町で生活を送りながら文学活動をしていた白木と知り合います。いち早く馬場の才能を見出した白木は、大阪の出版社を紹介、1948(昭和23)年に馬場の処女作となる赤本漫画『怪盗カッポレ団』(昭文社)が出版されます。そして、翌年には馬場は漫画家を志して上京。白木の紹介により小学館に原稿を持込み、学年誌等の仕事を得た馬場は、その後、着実に漫画家への道を歩んでいくこととなりました。
『てんぐのめんの宇宙人』は、1969(昭和44)年、小学校低学年向けの創作SF童話集として岩崎書店より刊行された「SFえどうわ」シリーズのうちの一冊です。本シリーズは、国内の作家による創作物の他、H・G・ウェルズ、ジュール・ヴェルヌ等の作品に、井上洋介、長新太らが挿絵をつけた魅力的な作品群で、多くの子どもたちをSF文学の世界へと誘う入門書的な役割を果たしました。特に白木は、児童文学の世界ではSFが異端視されていた時代からその魅力をいち早く認め、子どもたちに向けたSF作品の翻訳・出版の企画に数多く携わりました。
「きたぐにのちっちゃな町」に住む小学生のくどうひろしくんと、その町のはずれに降り立った4人の宇宙人たちとの不思議な交流を描いた本作は、白木と馬場による唯一の共作となりました。
*今回の出品原画は、1986年の再版時に描き改められたものになります。


    

展示室L 今純三×関野凖一郎:町を写す

今純三は、戦前、青森において銅・石版画の研究、制作に取組んだ日本を代表する版画家の一人です。
特に、《青森県画譜》*は、青森の自然や名所、風物等を銅・石版画を用いて描いた全100枚から成る作品集で、青森県の歴史資料としても重要な意味を持った純三の代表作ですが、その制作の背景には、純三の兄、今和次郎の存在がありました。
和次郎は、昭和初期の急速に大都市化していく東京の街や人々の生活の変化を採集・分析した「考現学」の創始者であり、また、民家研究の分野でも重要な足跡を残しました。
純三は、和次郎の考現学調査に協力し、青森での採集の成果を和次郎の許に送っています。こうした仕事をとおして、青森の現在の姿を自らの手で記録しておくことの重要性を強く意識したことも、《青森県画譜》を制作するに至ったきっかけの一つとなりました。
一方、純三は自らの持つ知識や技術を広く普及することにも力を尽くしました。当時、純三のアトリエには、画家を志す若者達が訪れ、創作について学んだといわれています。その中には、戦後、日本近代版画の発展の一翼を担った関野凖一郎の姿もありました。
今純三のアトリエに足繁く通い、その制作の姿をつぶさに見ていた関野もまた、人々の暮らしの息遣いを感じさせる町の風景を愛し、生涯描き続けた作家でした。
*《青森県画譜》は、今純三自身により原作品をさらに石版画で大量印刷したものであり、昭和8年10月(第1集)から翌9年10月まで一ヶ月一集(8点~ 10点所収)の割合で、東奥日報社より刊行された。


    

展示室M 小館善四郎×阿部合成:太宰治、われらが共通の友

この展示室では、太宰治と交友のあった本県の画家二人を組み合わせて展示します。
太宰の親戚で、帝国美術学校時代に東京で太宰と親しく交流した洋画家、小館善四郎は、太宰の伝記には必ず登場します。後年は梶井基次郎の小説『檸檬』からインスピレーションを得、檸檬をモチーフとする静物を数多く描き、「れもんの画家」として知られています。
今回は小館が得意とした静物に加え、小館の兄に嫁いだ太宰の姉の娘の少女(太宰と小館の共通の姪)を描いた数点の作品を展示しています。身近な人物を描いたときの優しく暖かな視線は、彼のもう一つの面を見せてくれます。
阿部合成は太宰と青森中学時代の同級生であり、文章もよくした合成と、美術にも関心をもっていた太宰は、同人雑誌『星座』を共に発行する友人であり、ライバルでもありました。
彼らは昭和12年頃東京で再会し、詩人・評論家の山岸外史も交え、親密な友情を結びます。太宰のいくつかの作品の登場人物には彼の面影が指摘されています。合成が召集され出征する際には、彼らは風呂に入ってともに身体を洗い合い、別れを惜しんだというエピソードがあるほどあつい友情で結ばれていました。
ここでは人生と格闘するような合成の情熱にあふれる牛の屏風2点、太宰の思い出を彷彿とさせる《海をみる詩人》、そして金木公園の太宰治碑のアイデアスケッチなどを展示します。


展示室P、Q 立石大河亞×中村宏:観光

1950年代には「ルポルタージュ絵画」を手がけていた中村宏は、やがて政治、社会状況などの外的要因に左右されない芸術のあり方を模索するようになり、1960年代には記憶の果て、意識の奥底にあるフェッティシュなモチーフ、すなわち「女学生」、「機関車」、「飛行機」、「便器」、「眼鏡」といった「呪物」を導き出し、それらを様々に組み合わせた「精神の地形化」とも言うべき観念的風景画を制作するようになっていきました。中村の描く風景画は、「観賞」という行為によって自身の深い内面から導き出された「呪物」に満たされた人工の自然であり、その「蘇生」した「覚醒的物質」の組み合わせが生み出す様々な物語は見る者の想像力を様々に刺激します。つまり中村は、こうした描写をとおして「絵画のための絵画」を追求したと言えます。「念じるものを観る」というこうした観念絵画はやがて「光を観る」と翻案されて、1964年に立石紘一(後に「立石大河亞」と改名)と「観光芸術研究所」を設立します。
立石大河亞はレッテルを貼られることを常に拒み続けた作家であり、立石紘一、タイガー立石、そして立石大河亞と改名を繰り返しつつ、油彩、彫刻といった旧来的な美術の枠組みに収まらないユニークな作品を手がけ、さらには漫画やデザイン、絵本といった分野でも活躍しました。表現領域は多岐にわたりましたが、時間と空間、事象や観念の集積による視覚と思考の回路が幾重にもはりめぐらされ、どこまでも「観ることの快楽」が追求されている点はすべての作品に一貫しています。
中村と立石が示した「光を観る」という視点による「観光芸術」をとおして、「見る」という行為、そして「観光」という概念について、今一度考えてみてください。


棟方志功展示室 小林コレクションを中心に

棟方志功は多くの文人との交友がありました。
歌人の小林正一氏もそのひとり。その交友は、1959年頃、小林氏が日本経済新聞の歌壇欄に棟方作品を詠んだ歌「志功描く 女の顔はいとあやし 遊女とも見ゆ 菩薩とも見ゆ」を投稿したところから始まります。
この歌が第一位に選ばれたことがきっかけとなり、小林氏は荻窪の棟方の自宅を訪ね、交友が始まりました。このときの選者は吉井勇。やはり棟方と交友があった歌人で、今回、吉井の歌に棟方に板画を彫った「流離抄」も展示されています。
棟方と小林は意気投合し、1962年年頃からさらにその交際は深まっていきます。小林は詠んだ歌を棟方に送り、棟方が気に入ったものを気の向くままに板画とし、20点をまとめて《山懐頌》としました。
このほかにも小林は数多くの棟方作品を収集していますが、板画だけでなく、棟方に依頼して描いてもらったという肉筆画はとりわけ優れたものです。小林氏は長野県野沢温泉村の出身で、1973年には棟方の信州スケッチ旅行の案内もしています。
今回は、今年度から寄託いただいている小林コレクションを中心に、青森県庁舎が落成した際に制作された「花矢の柵」など代表作を展示します。




通年展示


展示室F,G 奈良美智 《Puff Marshie》《Hula Hula Garden》

国内外で活躍する青森県出身の美術作家・奈良美智(1959- )は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでありながらどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで若い世代を中心に、多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から、絵画やドローイングなど、奈良美智作品の収集を始めました。現在、170点を超えるそのコレクションの多くは、奈良が1988年から2000年まで滞在したドイツで生み出されたものです。
この展示室では、当館がほこる奈良美智の90年代のコレクションを中心に、《Puff Marshie (パフ・マーシー) 》(2006年)や《Broken Heart Bench (ブロークン・ハート・ベンチ) 》(2008年)など、作家からの寄託作品も展示しています。


アレコホール マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。この背景画は、ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで、「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」からの依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。

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