2007年1月1日 - 2007年4月8日
青森県は新しい芸術表現の領域を切り拓いた美術家を多く輩出しています。
平成18年度の常設展示では、青森県ゆかりの美術家が持つエネルギッシュでユニークな芸術的特質を検証し、その魅力と多様性について紹介します。
一部屋ごとに個性的な展示が連続する「青森の魅力の複合体」を心ゆくまでお楽しみください。
※寸法は縦×横×高さ (立体は高さ×幅×奥行)
※出品作は都合により変更される場合があります。
- 展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
- 展示室N 小野忠弘:「縄文、あるいは原初への回帰」
- 棟方志功展示室 棟方志功 挿画の魅力
- 展示室O 青森の彫刻:小坂圭二
- 展示室O 青森の洋画:橋本花
- 展示室P 今和次郎、今純三:「見るという創造」
- 展示室Q 成田亨:「怪獣デザインの美学」
- 展示室M 青森県の日本画:「須藤尚義」/「工藤甲人」
- 展示室L 近藤悠三:「呉須ひとすじ」
- 展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一
- 展示室K 青森県の現代美術:「佐野ぬい、豊島弘尚」
- 展示室K 工藤哲巳:「前衛芸術家の魂」
- 展示室I 斎藤義重:「空間への意志」
- 展示室H 版画の魅力 版画の魅力:青森の四季と雪景色
- 展示室F 奈良美智:「ニュー・ソウルハウス」
- 展示室G 「寺山修司という虚構」
- アレコホール マルクシャガールによるバレエ「アレコ」の背景画
展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の集落跡です。たくさんの土器、石器のほか土偶や岩偶、骨角器、木製品、漆器、動物の骨や植物の種、他地域との交流・交易を物語るヒスイ、琥珀、黒曜石などが出土し、縄文時代の生活や文化、社会を考える上で重要な遺跡です。
縄文人の技や心の豊かさとともに、縄文の美をお楽しみください。
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展示室N 小野忠弘:「縄文、あるいは原初への回帰」
※2007年2月25日まで展示します。
学芸担当:工藤健志
弘前市に生まれ、1942年から福井県に在住して制作活動を続けた小野忠弘 (おの・ただひろ 1913 - 2001) 。縄文文化を原点として悠然と自己の芸術を追究したその作風は、フランスの批評家ミシェル・タピエに「世界に通じる日本的作品」と絶賛されたほどです。縄文遺物に着想を得たマチエールをとおして、原初の混沌がもつ実在感、秩序以前の生命力を探求した小野の、「創造」に対する真摯な想いが読みとれる作品を紹介します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| ホネイロの砂漠 | 1979 (昭和54) 年頃 | ミクストメディア | 91×182×4 |
| コキア | ミクストメディア | 93×93×4.5 | |
| アルプとオメガ | ミクストメディア | 92×92×3.4 | |
| エア ファウンデーション | 1966 (昭和41) 年 | 板・油彩 | 182.8×90.8 |
| テラテラの曠野 | 1980 (昭和55) 年 | ミクストメディア | 91.5×182 |
棟方志功展示室 棟方志功 挿画の魅力
展示協力:(財) 棟方板画館、(財) 棟方志功記念館 学芸担当:三好徹
棟方志功 (むなかた・しこう 1903 - 1975) の版画による挿画としてよく知られている谷崎潤一郎の『鍵』や『瘋癲老人日記』をはじめ、江戸川乱歩の『犯罪幻想』を展示します。折本形式の『鍵板画柵』も珍しく、『犯罪幻想』は希少な作例です。白と黒の世界で的確に各場面を表現する棟方挿画の魅力をお楽しみください。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) | |
| 富嶽大観々図 | 1972 (昭和47) 年 | 紙・墨画、金彩 | 69.2×135.0 | |
| あおもりはの柵 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・木版、手彩色 | 45.0×37.0 | |
| 清水川にて | 1926 (大正15) 年 | 紙・鉛筆 | 23.5×31.5 | |
| 雑園習作 | 1928 (昭和37) 年 | キャンバス・油彩 | 38.0×45.5 | |
| 奥入瀬渓流図 | 1938 (昭和13) 年頃 | 板・油彩 | 23.8×33.0 | |
| 勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅 | 1938 (昭和13) 年 | 紙・木版 | (各) 24.0×28.0 | |
| はまなすの柵 | 1961 (昭和36) 年 | 紙・木版、手彩色 | 40.3×30.3 | |
| 龍飛岬の柵 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・木版、手彩色 | 40.3×24.1 | |
| ゴッホの柳の柵 | 1962 (昭和37) 年 | 紙・木版、手彩色 | 38.0×29.5 | |
| 幻想板画柵 | 1956 (昭和31) 年 | 紙・木版 | (各) 12.9 - 14.5×12.6 - 14.8 | |
| 鍵板画柵 全59柵 | 1956 (昭和31) 年 | 紙・木版 | (各) 6.7×22.7 - 13.1×16.7 | |
| 瘋癲老人日記板画柵屏風 | 1963 (昭和38) 年 | 紙・木版、手彩色 | (各) 5.9×5.3 - 25.2×34.2 | |
| 鷲栖図 | 1971 (昭和46) 年 | 紙・着彩 | 275.0×803.0 | |
展示室O 青森の彫刻:小坂圭二
学芸担当:池田亨
彫刻家の小坂圭二 (こさか・けいじ 1918 - 1992) は野辺地町出身。中学時代に教員としてきていた画家の阿部合成に教えをうけ、美術家の道を志します。1938年、兵役で中国へ。1942年東京美術学校彫刻科に入学し、柳原義達に師事しましたが、翌年からラバウルに出征し、激戦地で苦渋に満ちた戦争を体験します。帰国後復学。新制作展に出品。1952年には敬愛する高村光太郎の助手として十和田湖畔の「乙女の像」の制作に携わります。38才で洗礼をうけ、さらに2年間のフランス留学を経て、キリスト教徒として、芸術家としての思索を深め、独自の造形の宗教的な彫刻を制作しました。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 死の中のキリスト | 1970 (昭和45) 年 | ブロンズ | 160×120×50 |
| ガダルガナルの落日 | 1979 (昭和54) 年 | ブロンズ | 150×60×40 |
展示室O 青森の洋画:橋本花
学芸担当:池田亨
橋本花 (はしもと・はな 1905 - 1983) は青森県青森市生まれ。旧姓原子はな子。1924年 (大正13) 上京して女子美術学校西洋画科入学、1926 (昭和元) 年、第7回帝展、「風景」で初入選、以降入選を続け、1932 (昭和7) 年には第13回帝展、「樹下」で特選となります。1929 (昭和4) 年に岩手県出身の画家橋本八百二と結婚。本県出身の女性洋画家の草分けのひとりであり、佐伯米子、深沢紅子らと新美術家団体連盟、三岸節子らと七彩会など女流洋画家団体の結成に多参加しました。1961 (昭和36) 年、サンパウロ日本文化会館の招きでブラジルを訪問し、サンパウロで個展を開催しました。1966 (昭和41) 年、青森県褒賞受賞。
帝展で若くして入選を重ねた油彩画家としての実力は原子はな子時代の『卓上静物』や、戦前の『兵士の図』に見ることができます。また、1940年から2年間従軍画家として東南アジアに滞在しましたが、『マニラ湾の落日』はその際目にした情景が描かれている作品です。戦後は、1961年から2年にわたり、南米およびヨーロッパを遊学。はなやかなブラジルの『カーニバル』などの題材にその折の経験が生かされています。
名前のとおり「花」を愛した花は、晩年は小品をふくめ数多くの花を描きました。『椿』や『春の山道』といった作品にはそうした対象に寄せる画家の愛情が感じられます。また、遺作となった『津軽風景』は、郷土の自然との一体感が感じられる不思議な魅力に満ちた作品です。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 兵士の図 | 1933 (昭和8) 年 | キャンバス・油彩 | 145.2×112.0 |
| 卓上静物 ※2007年2月25日まで展示 |
1928 (昭和3) 年 | キャンバス・油彩 | 90.9×116.7 |
| 奥入瀬渓流 ※2007年2月27日より展示 |
不詳 | キャンバス・油彩 | 80.0×116.8 |
| マニラ湾の落日 | 1942 (昭和17) 年 | キャンバス・油彩 | 31.8×40.9 |
| カーニバル | 1965 (昭和40) 年 | キャンバス・油彩 | 112.1×145.5 |
| 赤い屋根の見える風景 | 1965 (昭和40) 年 | キャンバス・油彩 | 65.2×53.0 |
| 椿 | 1970 (昭和45) 年 | キャンバス・油彩 | 31.8×40.9 |
| 春の山道 | 1980 (昭和55) 年 | キャンバス・油彩 | 116.7×90.9 |
| 津軽風景 | 1983 (昭和58) 年 | キャンバス・油彩 | 31.8×40.9 |
展示室P 今和次郎、今純三:「見るという創造」
展示協力:工学院大学図書館、青森県立郷土館 学芸担当:板倉容子
1923 (大正12) 年9月1日に発生した関東大震災は、今和次郎 (こん・わじろう 1888 - 1973) 、純三 (こん・じゅんぞう 1893 - 1944) 兄弟にとって、その後の彼らの活動を決定する大きな転換点となりました。和次郎は、震災を契機として復興していく東京の町を、様々な角度から克明に調査、記録する「考現学」を創始します。一方、純三は、震災を契機に青森に移住した後、銅、石版画の研究に力を注ぎ、数多くの作品を制作しました。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 今和次郎他 | 関東大震災バラック調査写真 | 1923 (大正12) | ||
| 関東大震災バラック調査スケッチ | 1923 (大正12) | |||
| バラック装飾社の仕事 (写真資料) | 1923 (大正12) | |||
| 参考資料:洪洋社刊『バラック建築 巻一』 | 1923 (大正12) | |||
| 今純三 | 銅版画原板「大震災風景 (焼けたる木) 」 | 1923 (大正12) | ||
| 今純三 | 銅版画原板「大震災風景 (バラック小屋) 」 | 1923 (大正12) |
展示室Q 成田亨:「怪獣デザインの美学」
展示協力:成田流里、 (株) 海洋堂 学芸担当:工藤健志
成田亨 (なりた・とおる 1929 - 2002) は、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。美術家の高い資質をもとにデザインされたヒーローや怪獣には、アートのみならず、文化遺産や自然界に存在する動植物を援用した「フォルムの意外性」が追求されています。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから形のおもしろさや意外性を打ち出していくというその一貫した手法からは、成田の揺らぐことのない芸術的信念が読み取れるでしょう。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| アイロス星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 39.7×36.2 |
| アボラス | 1966 | 鉛筆、水彩・紙 | 39.2×31.2 |
| アントラー決定稿 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 36.3×39.5 |
| イカルス星人イラスト | 1967 | ペン・紙 | 38.0×27.0 |
| ウルトラセブン初稿 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 44.6×37.3 |
| ウルトラセブン頭部 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.6×24.6 |
| ウルトラマン初稿 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 36.1×24.7 |
| ウルトラマン初稿 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 36.1×25.2 |
| エレキング | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.8×32.6 |
| カネゴン決定稿 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 34.5×22.2 |
| カネゴン決定稿 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 34.6×22.4 |
| カネゴン初稿 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 35.7×20.2 |
| ガヴァドン初稿 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 27.5×39.7 |
| ガヴァドン幼獣 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 27.1×37.9 |
| ガボラ | 1966 | ペン、水彩・紙 | 25.8×35.3 |
| ガボラ | 1966 | ペン、水彩・紙 | 21.7×39.5 |
| ガマクジラ | 1966 | ペン、水彩・紙 | 27.2×37.9 |
| ガラモン初稿 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 36.1×24.4 |
| 「キリがない」登場予定怪獣 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 21.9×29.6 |
| キングジョー決定稿 | 1967 | 鉛筆・紙 | 33.2×43.5 |
| ゲスラ決定稿 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 23.8×39.3 |
| ケムール人 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 37.4×24.3 |
| ケムラー | 1966 | ペン、水彩・紙 | 36.4×39.6 |
| ケムラー | 1966 | ペン、水彩・紙 | 24.0×36.7 |
| ケロニア | 1967 | ペン・紙 | 39.3×36.2 |
| ゴーガ | 1965 | 水彩、ペン・紙 | 22.1×26.9 |
| ゴーガ注意書き | 1965 | ペン・紙 | 18.1×31.8 |
| ゴドラ星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.4×25.4 |
| ゴモラ初稿 | 1966 | 鉛筆・紙 | 39.4×36.6 |
| ゴルドン初稿 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 21.9×38.5 |
| ザラガス | 1967 | ペン、水彩・紙 | 39.6×36.8 |
| ザラブ星人 | 1966 | ペン、水彩・紙 | 37.8×25.2 |
| シーボーズ | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.6×47.7 |
| ジャミラ | 1966 | ペン、水彩・紙 | 36.5×19.8 |
| ジラース | 1966 | ペン、水彩・紙 | 39.3×26.0 |
| ゼットンイラスト | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.6×25.4 |
| ゼットンイラスト |
1967 | ペン、水彩・紙 | 36.6×25.4 |
| セミ人間 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 35.6×21.6 |
| ダダAイラスト | 1967 | ペン、水彩・紙 | 38.0×26.8 |
| ダダBイラスト | 1967 | ペン、水彩・紙 | 38.0×26.9 |
| ダダCイラスト | 1967 | ペン、水彩・紙 | 38.0×26.9 |
| チブル星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.4×36.1 |
| テレスドン | 1966 | ペン、コンテ・紙 | 39.5×36.5 |
| バド星人 | 1968 | 鉛筆・紙 | 39.2×26.9 |
| バド星人頭部デザイン | 1968 | 鉛筆・紙 | 39.1×36.4 |
| バニラ | 1966 | ペン、水彩・紙 | 39.7×33.4 |
| バルタン星人初稿 | 1966 | ペン、鉛筆・紙 | 36.6×25.7 |
| プラチク星人 | 1968 | 鉛筆、水彩・紙 | 36.5×33.3 |
| ブルトン | 1966 | 鉛筆、水彩・紙 | 24.2×31.0 |
| ブルトン | 1966 | ペン、水彩・紙 | 27.5×36.6 |
| ペガッサ星人 | 1967 | 鉛筆・紙 | 36.4×22.2 |
| ベル星人 | 1968 | 鉛筆・紙 | 36.4×23.4 |
| ミクラス | 1967 | ペン、水彩・紙 | 46.0×36.5 |
| メトロン星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 39.6×36.5 |
| メフィラス星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 39.4×36.4 |
| レッドキング | 1966 | ペン、水彩・紙 | 38.6×36.3 |
| ワイアール星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 39.4×32.4 |
| ワイルド星人 | 1967 | ペン、水彩・紙 | 36.4×31.7 |
| 人工生命M1号初稿 | 1965 | 水彩、ペン・紙 | 34.6×15.7 |
| 「南海の怒り」登場予定怪魚 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 24.8×33.1 |
| 「南海の怒り」登場予定怪魚 | 1965 | ペン、水彩・紙 | 22.2×37.6 |
| タンクボール | 1970年代 | FRP | 径:120 |
展示室M 青森県の日本画:須藤尚義
※2007年2月25日まで展示します。
学芸担当:池田亨
須藤尚義 (すとう・なおよし 1902 - 1956) は青森県田舎館村生まれ。小学校4年生で東京に転居し、村上委山や松林桂月に師事。1928 (昭和3) 年からは蔦谷龍岬の「鐸鈴社」に入ります。1930 (昭和5) 年に「山荘の朝」、翌年には「勧行の夕」で帝展入選。龍岬の死後は小室翠雲、川合玉堂、児玉希望、川端龍子、中村岳陵に師事。一方、「青丘社」を主宰し、小山内尚城、佐藤潔、渡辺星人、一戸重太など青森県内の若手画家の育成にも努めました。
展示作品の『鶴と牡丹』は、鶴の群と、咲き乱れる牡丹の花を大胆な構図と華麗な色彩で組み合わせ、鶴の目には金泥を、地面の表現には銀箔を散らすなど、大変華やかな画面を持つ作品です。
右隻には薄桃色の牡丹を背景に、赤い頭頂部で、純白と漆黒の羽をもつ北に多く棲む丹頂鶴が、また、左隻には紅白の牡丹に顔が赤く体が灰色の、南国で越冬をする真鶴が描かれています。左右対照的な構図をとりながらも、鶴の動きに変化をつけ、顔の表現を様々に描き分けることによって画面が単調におちいることが避けられています。また色彩的にも微妙な色調の差を与えることで、二種の鶴が棲む風土の違いが巧みに描き分けられています。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 鶴と牡丹 | 不詳 | 紙本着色 | 170.0×383.2 (右隻) 170.2×387.5 (左隻) |
展示室M 青森県の日本画:工藤甲人
※2007年2月27日より展示します。
学芸担当:三好徹
戦後を代表する日本画家の一人である工藤甲人 (くどう・こうじん 1915 - ) は、ボッシュやブレイクといった西洋の幻想的な美術に大きな影響を受け、伝統的な日本画を脱した独自の画境をひらきました。創造美術、新制作、創画会を活動の場とし、今年92歳を迎える現在もなお創作意欲は衰えることなくますます盛んで、毎年創画展への出品を続けています。今年3月21日から県立美術館において開催される企画展「工藤甲人展―夢と覚醒のはざまに―」は、1950年から現在に至る代表作が一堂に会し、過去最大級の回顧展となります。一足早く今回の常設展示では、工藤甲人の1990年代初頭の屏風作品を紹介します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 山野光礼賛 | 1992 (平成4) 年 | 紙本着色 | 166.7×400.8 |
| 青雲 | 1991 (平成3) 年 | 紙本着色 | 166.7×400.8 |
展示室L 近藤悠三:「呉須ひとすじ」
学芸担当:三好徹
寄贈を受けた中村コレクション (94件150点) の中から、直径70cmを超える大皿「梅染附金彩大皿」をはじめ、花瓶、壷、また香炉などの小品を含め10数点展示し、染附の技法で人間国宝となった近藤悠三 (こんどう・ゆうぞう 1902 - 1985) のダイナミックな作品を紹介します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (径×高さ・cm) |
| 盃 五趣 (五客組) 柳呉須赤絵金彩 | 磁器・染付、金彩 | 6.5×3.0 | |
| 盃 五趣 (五客組) 柘榴呉須赤絵 | 磁器・染付 | 5.6×3.5 | |
| 盃 五趣 (五客組) 梅赤地金彩 | 磁器・赤地金彩 | 5.7×3.5 | |
| 盃 五趣 (五客組) 山染附 | 磁器・染付 | 5.6×4.0 | |
| 盃 五趣 (五客組) 清風染附 | 磁器・染付 | 5.8×3.0 | |
| 梅染附金彩瓢瓶 | 磁器・染付、金彩 | 11.0×21.0 | |
| 梅赤地金彩瓢瓶 | 磁器・赤地金彩 | 11.0×21.0 | |
| 三友染附香炉 | 1984 (昭和59) 年 | 磁器・染付 | 11.5×10.6 |
| 天目茶碗 銘 老僧 | 陶器・鉄釉 | 14.4×7.0 | |
| 茶碗 三友しぼり手 | 1982 (昭和57) 年 | 半磁器・染付 | 11.6×9.5 |
| 茶碗 ぶどう呉須 | 半磁器・染付 | 12.0×9.5 | |
| 茶碗 呉須松梅 | 1982 (昭和57) 年 | 半磁器・染付 | 11.6×9.5 |
| 梅染附金彩大皿 | 1976 (昭和51) 年 | 磁器・染付、金彩 | 73.5×10.5 |
| 梅染附面取壷 | 1974 (昭和59) 年 | 磁器・染付 | 30.0×29.0 |
| 竹の子染附面取壷 | 1968 (昭和43) 年 | 磁器・染付 | 29.0×29.0 |
| 松染附花瓶 | 1977 (昭和52) 年 | 磁器・染付 | 30.0×32.0 |
| 赤地金彩花瓶 | 1969 (昭和44) 年 | 磁器・赤地金彩 | 25.0×35.0 |
展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一
展示協力:小島弘子 学芸担当:高橋しげみ
厳寒の津軽や下北をひたすら歩き、風景や人々の姿を撮り続けた小島一郎 (こじま・いちろう 1924 - 1964) と、銃声と砲火が絶えることのないベトナムの戦地に被写体を追い求めた澤田教一 (さわだ・きょういち 1936 - 1970) 。戦後の青森が生んだ異色の2人の写真家の仕事を振り返るとともに、青森の風土との関連性について探ります。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) | |
| 小島一郎 | 津軽 | 1958年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.3×24.5 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1958-60年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 28.2×19.8 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 下北郡脇野沢村九艘泊 | 1961年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 23.5×16.4 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1958年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16×24.4 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1960年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 21.2×29.5 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 下北 | 1961年頃 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.3×24.1 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1958-60年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.4×15.9 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1960年頃 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.7×25.3 | 小島弘子氏所蔵 |
| 小島一郎 | 津軽 | 1960年頃 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.2×15.7 | 小島弘子氏所蔵 |
| 澤田教一 | 《草原を行く》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《米空母「ボン・ホーム・リチャード」の発艦》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1965. 8. 20 チュライ | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1965.10.22 プレイメ | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1965.12.24. プレイク南東 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1966.4.3. ラプチュアン | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1966.4.3. ラプチュアン | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 《海兵隊の尋問》 | 1966 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《海兵隊の尋問》 | 1966 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1966. 9. 21 非武装地帯南 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1966.6.30 カンボジア国境近く | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 《アオザイの女》 | 1970 (昭和45) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1967.4.30 ケサン | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1967.7.1 メコン・デルタ | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1967.10.25 ダナンの南16キロ | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 《タバコを吸う兵士》 | 1967 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1968.2.14 王城の攻防 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1968. 2. 15 王城外壁にて | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 1970. 10. 6 タンフォク | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | ||
| 澤田教一 | 《ベトナムの村人》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《負傷した母親を慰める少年》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《安全への逃避》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《敵をつれて》 | 1966 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《泥まみれの死》 | 1966 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《わが子を抱き悲嘆にくれる母親》 | 1968 (昭和43) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) |
展示室K 青森県の現代美術:「佐野ぬい、豊島弘尚」
学芸担当:工藤健志、菅野晶
弘前市生まれの佐野ぬい (さの・ぬい 1932 - ) は、豊かな色彩とリズム感溢れる作風で知られています。豊島弘尚 (とよしま・ひろなお 1933 - ) は八戸市に生まれ、郷土や北欧の風土、神話に着想を得た作品を手がけている作家です。
2人の作家の仕事をとおして、青森県が生んだ様々な現代の表現を紹介します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 豊島弘尚 | 複眼を持つ頭部 64-C | 1964 (昭和39) 年 | キャンバス・油彩 | 162.0×130.3 |
| 豊島弘尚 | 花屍の湿り (円・A) | 1973 (昭和48) 年 | キャンバス・油彩、鉛筆 | 227.3×181.8 |
| 豊島弘尚 | 花屍の湿り (円・B) | 1973 (昭和48) 年 | キャンバス・油彩、鉛筆 | 227.3×181.8 |
| 佐野ぬい | 青い自画像 | 1954 (昭和29) 年 | キャンバス・油彩 | 53.0×40.9 |
| 佐野ぬい | くるまの唄 | 1955 (昭和30) 年 | キャンバス・油彩 | 91.0×72.5 |
| 佐野ぬい | ブルーノートの系譜 | 1994 (平成6) 年 | キャンバス・油彩 | 91.0×116.5 |
| 佐野ぬい | 青と白のスクゥエア | 1995 (平成7) 年 | キャンバス・油彩 | 145.5×145.5 |
| 佐野ぬい | オペラ・ノート | 1991 (平成3) 年 | キャンバス・油彩 | 196.0×242.0 |
展示室K 工藤哲巳:「前衛芸術家の魂」
学芸担当:三好徹
工藤哲巳 (くどう・てつみ 1935 - 1990) は、1935年に五所川原出身の画家工藤正義の長男として生まれ、戦後の日本美術に新しい流れをつくった「反芸術」のホープとして活躍しました。東京芸大卒業後、1962年パリに渡り、晩年、1987年に東京芸術大学教授となり帰国するまでの20数年間、ヨーロッパの閉塞した社会をショッキングな表現方法で挑発し続け、その活動は高く評価されました。1990年に急逝するまでの55年という短い生涯、“生きる”ということについて真摯に問い続け、駆け抜けました。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| パリの仏陀 | 1976 (昭和51) 年 | ミクストメディア | 35.0×18.0×41.0 |
| カゴの中のカゴの中のカゴ | 1976 (昭和51) 年 | ミクストメディア | 23.0×21.0×16.5 |
| パリの仏陀 | 1977 (昭和52) 年 | ミクストメディア | 33.0×39.0×17.0 |
| 危機の中の芸術家の肖像 | 1978 (昭和53) 年 | ミクストメディア | 29.0×45.0×20.0 |
| 遺伝染色体による無限のあやとり | 1979 (昭和54) 年 | ミクストメディア | 31.0×33.0×21.0 |
| 未来と過去とのエンドレステープの間での瞑想 | 1979 (昭和54) 年 | ミクストメディア | 32.5×38.0×22.0 |
| 前衛芸術家の魂 | 1986 (昭和61) 年 | ミクストメディア | 240.0×109.0×109.0 |
展示室I 斎藤義重:「空間への意志」
展示協力:斎藤史門、 (株) まつもと 学芸担当:工藤健志
本館の調査で弘前市出身であることが判明した、日本の戦後美術を代表する作家、斎藤義重 (さいとう・よししげ 1904 - 2001) 。
1960年代前半の、ドリルを使い合板に条痕を刻み込んで豊かなマチエールを創り出した平面作品および、1980年代に始まるスプルース材の板を黒一色で塗装し、複雑に組み合わせた「複合体」シリーズを構成することで、空間そのものを取り込んだ作風へと展開していく斎藤の思考の過程を検証します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 青の構成 | 1961 (昭和36) 年 | 合板・油彩 | 181.5×121.0 |
| 柵木 | 1998 (平成10) 年 | 木、合板、ラッカー、ボルト | 290.0×607.0×235.0 |
| Negative | 1993 (平成5) 年 | 合板・ラッカー | 300.0×430.0×155.0 |
| R to | 1999 (平成11) 年 | 合板・ラッカー | 118.0×80.0×3.0 |
| B to | 1999 (平成11) 年 | 合板・ラッカー | 136.0×122.0×5.0 |
| 複合体 | 1996 (平成8) 年 | 合板・ラッカー | 800×600×1030 |
展示室H 版画の魅力:青森の四季と雪景色
学芸担当:菅野晶
青森から世界に広がる版画の世界をご紹介します。第3期は、一年の始まりにあわせたシリーズと雪景色の特集です。
季節の変化がはっきりとしている青森の風景や風俗を一年を通して色鮮やかに描いた連作、そして作家たちがそれぞれに工夫を凝らした冬景色をお楽しみ下さい。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 一月 馬門初日出 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.4×21.2 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 二月 中村川雪景 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.3×21.2 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 三月 下川原土人形 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 27.6×24.0 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 四月 岩崎弁天島 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.4×21.5 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 五月 弘前j城亀甲門 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.6×21.4 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 六月 蒼龍窟羅漢 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.7×21.4 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 七月 恐山 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.2×21.6 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 八月 東通放牧場 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.6×21.3 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 九月 野辺地祇園祭山車 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.4×21.6 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 十月 小川原湖マテ小屋 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.3×21.1 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 十一月 三戸城 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.3×21.6 |
| 下澤木鉢郎 | 「陸奥十二題」 十二月 津軽の農婦 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・多色木版 | 24.2×21.4 |
| 下澤木鉢郎 | 下北の女 | 1948 (昭和23) 年 | 紙・多色木版 | 41.5×35.0 |
| 関野凖一郎 | 青森柳町 (朝市) | 1975 (昭和50) 年 | 紙・多色木版 | 33.1×45.4 |
| 関野凖一郎 | 津軽金木 | 1976 (昭和51) 年 | 紙・多色木版 | 32.9×46.2 |
| 関野凖一郎 | 「陸奥の四季」 常盤八幡宮 | 1980 (昭和55) 年 | 紙・多色木版 | 32.4×45.4 |
| 関野凖一郎 | 「陸奥の四季」 弘前城 | 1980 (昭和55) 年 | 紙・多色木版 | 33.0×46.0 |
| 関野凖一郎 | 「陸奥の四季」 尻屋崎 | 1980 (昭和55) 年 | 紙・多色木版 | 32.4×45.8 |
| 関野凖一郎 | 「陸奥の四季」 奥入瀬 | 1980 (昭和55) 年 | 紙・多色木版 | 33.0×46.0 |
| 関野凖一郎 | 「陸奥の四季」 青森駅 (雪) | 1980 (昭和55) 年 | 紙・多色木版 | 32.4×45.8 |
| 今純三 | 市日 | 1936 (昭和11) 年 | 紙・銅版 | 24.1×34.2 |
| 今純三 | 客を待つ馬橇 | 1940 (昭和15) 年 | 紙・銅版 | 11.8×17.6 |
| 今純三 | 雪景 | 1936 (昭和11) 年 | 紙・銅版 | 13.9×24.0 |
| 今純三 | 風景 | 1935 (昭和10) 年 | 紙・銅版 | 13.1×19.9 |
| 今純三 | 風景 | 制作年不詳 | 紙・リトグラフ | 13.3×8.5 |
| 畦地梅太郎 | 遠い雪原 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・多色木版 | 33×21.2 |
| 川瀬巴水 | 弘前最勝院 | 1936 (昭和11) 年 | 紙・多色木版 | 36.2×24.0 |
| 前川千帆 | 雪国風景 (角巻き姿) | 紙・多色木版 | 28.5×40.1 |
展示室F 奈良美智:「ニュー・ソウルハウス」
展示構成:奈良美智+graf
ソウルのロダン・ギャラリーで展示したソウルハウスが、三層構造から美術館の空間に合わせてアレンジされ、並列に変わりました。小屋の内部には県立美術館のコレクションを展示します。別棟で「Hula Hula Garden」も展示します。
また、青森県立美術館のコミッションワークとして、美術館の建築と一体化した「あおもり犬」も展示室から観覧できます。「あおもり犬」は、高さ8.5メートルの像で、奈良美智 (なら・よしとも 1959 - ) の最大の作品です。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 続いてゆく道に | 1990 (平成2) 年 | コットン・アクリル | 100.0×100.0 |
| まぼろしの犬のピラミッド | 1991 (平成3) 年 | コットン・アクリル | 65.3×65.3 |
| まぼろしの犬の山 | 1991 (平成3) 年 | コットン・アクリル | 162.5×64.5 |
| O.T (チェッカーズ) | 1993 (平成5) 年 | 紙・アクリル | 47.6×33.7 |
| Last Right | 1994 (平成6) 年 | コットン・アクリル | 100.0×100.0 |
| 回天 | 1994 (平成6) 年 | コットン・アクリル | 60.0×60.0 |
| Hula Hula Garden | 1994 (平成6) 年 | ミクストメディア | |
| Mumps | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| The Last Match | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| Pancake Kamikaze | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| So far apart | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| E.P.Girl | 1997 (平成9) 年 | ミクストメディア | 35.7×30.5×19.0 |
| Heads | 1998 (平成10) 年 | FRPに彩色、貼布 | 11.0×120.×8.0(6p) 10.0×12.0×8.0(1p) |
展示室G 「寺山修司という虚構」
展示デザイン:小竹信節 監修:九條今日子 進行:笹目浩之 設営:CーCOM コーディネート: (株) テラヤマ・ワールド 学芸担当:工藤健志
短歌、俳句、詩、劇作、シナリオ、評論、映画と幅広いジャンルで活躍した寺山修司 (てらやま・しゅうじ 1935 - 1983) は、1967年に演劇実験室「天井棧敷」を設立して、アングラ文化、そして前衛芸術の旗手として圧倒的な支持を集め現在に至っています。
本コーナーでは、元夫人で天井棧敷プロデューサーだった九條今日子氏、天井棧敷の舞台美術を手がけた小竹信節氏及び (株) テラヤマ・ワールドの協力によって、展示室内に寺山修司的な虚構世界を構築し、コレクションであるポスター18点を展示します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 横尾忠則 | 天井桟敷定期会員募集 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 103.4×73.1 |
| 横尾忠則 | 大山デブ子の犯罪 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 109.4×78.9 |
| 宇野亜喜良 | 人魚姫 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 104.1×73.2 |
| 紫乱四郎 | 花札伝綺 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.9×72.5 |
| 辰巳四郎 | 年間スケジュール1968年 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・オフセット | 103.0×73.6 |
| 井上洋介 | 青ひげ | 1968 (昭和43) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.1×72.4 |
| 宇野亜喜良 | 星の王子さま | 1968 (昭和43) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.7×72.9 |
| 及川正通 | 書を捨てよ!町に出よう! | 1969 (昭和44) 年 | 紙・シルクスクリーン | 108.9×79.2 |
| 及川正通 | オデッセイ'69 | 1969 (昭和44) 年 | 紙・オフセット | 71.7×34.1 |
| 及川正通 | 時代はサーカスの象にのって | 1969 (昭和44) 年 | 紙・オフセット | 72.0×34.3 |
| 宇野亜喜良 | ブラブラ男爵 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・シルクスクリーン | 104.6×73.3 |
| 横尾忠則+横尾ヤスエ | 人力飛行機ソロモン | 1970 (昭和45) 年 | 紙・シルクスクリーン | 109.8×79.5 |
| 及川正通 | イエス | 1970 (昭和45) 年 | 紙・オフセット | 104.5×74.1 |
| 及川正通 | トマトケチャップ皇帝 | 1969 (昭和44) 年 | 紙・シルクスクリーン | 71.8×35.0 |
| 宇野亜喜良 | 毛皮のマリー (パリ・レアール公演) | 1971 (昭和46) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.0×73.2 |
| 榎本了壱 | 地球空洞説 | 1973 (昭和48) 年 | 紙・シルクスクリーン | 103.4×72.4 |
| 花輪和一 | 盲人書簡-上海篇 | 1974 (昭和49) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.7×72.5 |
| 合田佐和子+戸田ツトム | 百年の孤独 | 1981 (昭和56) 年 | 紙・オフセット | 103.0×73.0 |
アレコホール マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画
学芸担当:高橋しげみ
20世紀を代表する画家の一人、マルク・シャガール (1887 - 1985) は1941年にナチスドイツの迫害から逃れてアメリカに亡命します。プーシキンの原作、チャイコフスキーの『ピアノ三重奏曲イ短調』による音楽、レオニード・マシーンの振り付けによって制作されたバレエ「アレコ」の舞台美術は画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
青森県は平成6年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガールが制作したバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕,第2幕,第4幕を収集し、このアレコホールに常設展示しています。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 『アレコ』第一幕 月光のアレコとゼンフィラ | 1942年 | 綿布・テンペラ | 887.8×1472.5 |
| 『アレコ』第二幕 カーニヴァル | 1942年 | 綿布・テンペラ | 883.5×1452.0 |
| 『アレコ』第四幕 サンクトペテルブルクの幻想 | 1942年 | 綿布・テンペラ | 891.5×1472.5 |
