2006年7月13日 - 2006年9月24日
青森県は新しい芸術表現の領域を切り拓いた美術家を多く輩出しています。
平成18年度の常設展示では、青森県ゆかりの美術家が持つエネルギッシュでユニークな芸術的特質を検証し、その魅力と多様性について紹介します。
一部屋ごとに個性的な展示が連続する「青森の魅力の複合体」を心ゆくまでお楽しみください。
※寸法は縦×横×高さ (立体は高さ×幅×奥行)
※出品作は都合により変更される場合があります。
- 展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
- 展示室N 小野忠弘:「縄文、あるいは原初への回帰」
- 棟方志功展示室 「知られざる志功」
- 展示室O 青森県の洋画と彫刻:「阿部合成と小坂圭二」
- 展示室P 今和次郎、今純三:「見るという創造」
- 展示室Q 成田亨:「怪獣デザインの美学」
- 展示室M 青森県の日本画:「蔦谷龍岬と工藤甲人」
- 展示室L 近藤悠三:「呉須ひとすじ」
- 展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一
- 展示室K 工藤哲巳:読売アンデパンダン展の頃
- 青森県の現代美術:「佐野ぬい、村上善男、豊島弘尚」
- 展示室I 斎藤義重:「空間への意志」
- 展示室H 版画の魅力 関野凖一郎:「『棟方志功像』創作の秘密」 高木志朗:「日本の色と形」
- 展示室F 奈良美智:「ニュー・ソウルハウス」
- 展示室G 「寺山修司という虚構」
展示室N 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
出土品を代表する「大型板状土偶」と「縄文ポシェット」に加え、土器、土偶、石器、骨角器等の貴重な重要文化財を展示します。
縄文人の技や心の豊かさとともに、縄文の美をお楽しみください。
特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の集落跡です。たくさんの土器、石器のほか土偶や岩偶、骨角器、木製品、漆器、動物の骨や植物の種、他地域との交流・交易を物語るヒスイ、琥 珀、黒曜石などが出土し、縄文時代の生活や文化、社会を考える上で重要な遺跡です。
土偶:日本最多の土偶が出土しています。多くは薄い板状の十字形で、女性を表していますが、同じ表現のものはありません。子孫の繁栄や自然の恵みを祈るなどまつりや儀式に使われたものと考えられ、破片が多く、完全な形のものは珍しく貴重です。大型板状土偶は、離れた場所から頭部と胴体が出土したものです。
編み物・木製品:植物の蔓や茎を使ったかごが完全な形で出土するのは極めて稀です。「縄文ポシェット」と呼ばれる小さな編籠の中にはクルミの殻が入っていました。また、漆を塗った皿、鉢、櫛なども出土しています。
骨角器:動物の骨、角、牙を使った道具や装身具も作られました。釣り針や錐、針などは素材は違いますが、現代と同じ形をしています。装身具などには彫刻が施されているものもあります。
石器:用途に応じて適した石材を選び、打ち欠いたり磨いたりなどして、狩りの道具、加工の道具、調理の道具などいろいろな道具が作られました。石材には遠く北海道や長野から運ばれてきたものもあります。
土器:遺跡から出土した土器の多くは細長い筒形をしていることから円筒土器とよばれています。縄文時代前期の土器はいろいろな種類の縄を転がしたり、表面に押し付けて縄目の文様をつけています。中期の土器は表面に粘土紐を貼り付けて文様を描いたり、立体的な表現が多くなります。
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展示室N 小野忠弘:「縄文、あるいは原初への回帰」
学芸担当:工藤健志
弘前市に生まれ、1942年から福井県に在住して制作活動を続けた小野忠弘 (おの・ただひろ 1913 - 2001) 。縄文文化を原点として悠然と自己の芸術を追究したその作風は、フランスの批評家ミシェル・タピエに「世界に通じる日本的作品」と絶賛されたほどです。
本コーナーでは、縄文遺物に着想を得たマチエールをとおして、原初の混沌がもつ実在感、秩序以前の生命力を探求した小野の、「創造」に対する真摯な想いが読みとれる作品を紹介しま
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| エア ファウンデーション | 1966 (昭和41) 年 | 板・油彩 | 182.8×90.8 |
| ホネイロの砂漠 | 1979 (昭和54) 年頃 | ミクストメディア | 91×182×4 |
| テラテラの曠野 | 1980 (昭和55) 年 | ミクストメディア | 91.5×182×4.5 |
| コキア | ミクストメディア | 93×63×3 | |
| アルプとオメガ | ミクストメディア | 92×92×3.4 |
棟方志功展示室 「知られざる志功」
展示協力:(財) 棟方板画館、(財) 棟方志功記念館 学芸担当:三好徹
棟方志功展示室は、(財) 棟方志功記念館とともに、棟方志功 (むなかた・しこう 1903 - 1975) の調査研究を推し進めながら、展示していきます。初公開の「二菩薩釈迦十大弟子」の優品、青森時代の希少な油彩画、豊麗な女人像の倭画など、知られざる志功の側面を紹介します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) | |
| 初冬風景図 | 1924 (大正13) 年 | 板・油彩 | 23.0×32.0 | 棟方志功記念館蔵 |
| 雪国風景図 | 1924 (大正13) 年頃 | 板・油彩 | 23.6×32.9 | |
| 八甲田山麓図 | 1924 (大正14) 年 | 板・油彩 | 23.5×33.0 | |
| 星座の花嫁 | 1928 - 30 (昭和3 - 5) 年 | 紙・木版、多色摺 | 各6.2×8.6 - 19.2×25.6 | 棟方志功記念館蔵 |
| 桃真盛り | 1933 (昭和8) 年 | 紙・木版、多色摺 | 各16.9×45.5 | |
| 勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅 | 1938 (昭和13) 年 | 紙・木版 | 各24.0×28.0 | |
| 二菩薩釈迦十大弟子 | 1939 (昭和14) 年 / 1973 (昭和48) 年摺 | 紙・木版 | 各101.5×38.0 | 個人蔵 |
| 雑華山房主人像図 | 1942 (昭和17) 年 | 板・油彩 | 31.5×24.0 | |
| 鐘溪頌 | 1945 (昭和20) 年 / 1969 (昭和44) 年摺 | 紙・木版、手彩色 | 各45.4×32.7 | 棟方板画美術館蔵 |
| 御三尊像図 | 1950 (昭和25) 年 | 板・着彩 | 左165.3×86.5・中165.3×85.7・右165.5×92.0 | |
| angels (A) | 1953 (昭和28) 年 | 紙・木版 | 各40.0×28.3 | |
| angels (B) | 1953 (昭和28) 年 | 紙・木版 | 各40.0×28.3 | |
| 華狩頌 | 1954 (昭和29) 年 | 紙・木版 | 132.0×158.0 | 青森市蔵 (棟方志功記念館寄託) |
| 鷺畷の柵 | 1960 (昭和35) 年 | 紙・木版 | 135.0×255.0 | |
| 瘋癲老人日記板画柵屏風 | 1963 (昭和38) 年 | 紙・木版、手彩色 | 各5.9×5.3 - 25.2×34.2 | |
| ミシシッピー河の自板像の柵 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・木版、多色摺、手彩色 | 29.5×25.0 | 棟方志功記念館蔵 |
| 御吉祥大辨財天御妃尊像図 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・着彩 | 135.0×69.5 | |
| 腰越の二人の柵 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・木版 | 86.5×103.0 | 棟方志功記念館蔵 |
| 沢瀉風の柵 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・木版、手彩色 | 20.1×14.4 | 棟方志功記念館蔵 |
| 黒板自板像の柵 | 1971 (昭和46) 年 | 紙・木版 | 37.0×25.0 | 棟方志功記念館蔵 |
| 写生自板像の柵 | 1972 (昭和47) 年 | 紙・木版、手彩色 | 14.4×12.2 | 棟方志功記念館蔵 |
| 青森山之神図 | 1974 (昭和49) 年 | 紙・墨彩 | 67.3×37.2 | 棟方志功記念館蔵 |
| 禰舞多運行連々絵巻 | 1974 (昭和49) 年 | 紙・着彩 | 34.3×1721.0 | 棟方板画美術館寄託 |
| 大印度の花の柵 | 1972 (昭和47) 年 | 紙・木版 | 36.4×31.0 | |
| 円融無碍頌女人観世音図 | 制作年不詳 | 紙・着彩 | 45.0×54.0 | |
| ステッキの自板像の柵 | 制作年不詳 | 紙・木版 | 25.5×13.0 | 棟方志功記念館蔵 |
展示室O 青森県の洋画と彫刻:「阿部合成と小坂圭二」
学芸担当:池田亨
太宰治の友人でもあった洋画家の阿部合成 (あべ・ごうせい 1910 - 1972) は、戦前の作品が反戦絵画と指弾され、敗戦後はシベリアに抑留されるなど、苦難に満ちた戦争の時期を過ごし、荒んだ精神のまま戦後を迎えました。その後2度訪れたメキシコで得た題材や技法を生かし、晩年にいたるまで、独自の宗教性を感じさせる作品を制作しています。
野辺地中学時代に合成に学んだことにより美術の道を志した彫刻家の小坂圭二 (こさか・けいじ 1918 - 1992) もまた、学徒出陣で苦渋に満ちた戦争を過ごした後、キリスト教信者として独自の造形の宗教的な彫刻を制作しています。
この二人の芸術家に共通する、異形の中に深い精神性を感じさせる祈りの造形に焦点をあて、展示します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 阿部合成 | 花 | 1959 (昭和34) 年 | 合板・油彩 | 91.3×49.0 |
| 阿部合成 | 自画像 | 1960 (昭和35) 年 | 合板・油彩 | 120.2×64.4 |
| 阿部合成 | 猫と柳 | 1964 (昭和39) 年 | 板に紙・油彩 | 61.0×73.2 |
| 阿部合成 | すすき | 1964 (昭和39) 年 | 板に紙・油彩 | 57.0×73.7 |
| 阿部合成 | KODACHI | 1964 (昭和39) 年 | ボード・油彩 | 61.0×94.0 |
| 阿部合成 | 声なき人々の群れ | 1966 (昭和41) 年 | 合板・油彩 | 92.2×56.1 |
| 阿部合成 | マリヤ | 1972 (昭和47) 年 | キャンバス・油彩 | 145.2×112.2 |
| 阿部合成 | 埋められた人々 | 合板・油彩 | 142.8×79.5 | |
| 阿部合成 | インデオたちの祈り | 合板・油彩 | 108.0×81.9 | |
| 小坂圭二 | 死の中のキリスト | 1970 (昭和45) 年 | ブロンズ | 139.0×121.0×43.5 |
| 小坂圭二 | ガダルガナルの落日 | 1979 (昭和54) 年 | ブロンズ | 154.0×73.0×35.0 |
| 小坂圭二 | 小川原湖姉妹像(姉) | 1987 (昭和62) 年 | 高さ220.0 | |
| 小坂圭二 | 小川原湖姉妹像(妹) | 1987 (昭和62) 年 | 高さ220.0 |
展示室P 今和次郎、今純三:「見るという創造」
展示協力:工学院大学図書館、青森県立郷土館 学芸担当:板倉容子
1923 (大正12) 年の関東大震災は、今和次郎 (こん・わじろう 1888 - 1973) 、純三 (こん・じゅんぞう 1893 - 1944) 兄弟にとって、その後の彼らの活動を決定する大きな転換点となりました。和次郎は「考現学」の創始者として知られていますが、その活動の原点は、震災前からおこなっていた民家調査にありました。一方、弟の純三は、大震災被災を機に青森市に転居し、銅、石版画の技法研究に専心した版画家です。作品には、兄の影響による「考現学」的な風景、風俗描写の他、多くの人物スケッチが残されており、人々の何気ない表情の中にも新鮮な興味をもって接していた純三の視線を感じるとることができます。
今期の展示では、「考現学」周辺の2人の活動を振り返り、彼らが「考現学」へと至った視線の跡をたどります。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) | |
| 今和次郎 | 信濃越後地方民家 | 1917 (大正6) 年 | 紙・インク、水彩 | 各17.7×21.5 | 工学院大学図書館蔵 |
| 今和次郎 | 青森県の農家 | 1920 (大正9) 年 | 12.5×18.2 | 工学院大学図書館蔵 | |
| 今和次郎 | 民家写真集[東北] | 1920 (大正9) 年 | 19.0×14.5 | 工学院大学図書館蔵 | |
| 今和次郎 | 見聞野帖1 | 1917 - 18 (大正6 - 7) 年 | 紙・インク、水彩、鉛筆 | 20.5×16.0 | 工学院大学図書館蔵 |
| 今和次郎 | 見聞野帖2 | 1919 - 20 (大正8 - 9) 年 | 紙・インク、鉛筆 | 20.5×16.0 | 工学院大学図書館蔵 |
| 今和次郎 | 見聞野帖3 | 1921 - 22 (大正10 - 11) 年 | 紙・インク、鉛筆 | 20.5×16.0 | 工学院大学図書館蔵 |
| 今和次郎 | 野帖14 | 1924(大正13) 年 | 紙・鉛筆 | 16.5×10.0 | 工学院大学図書館蔵 |
| 今純三 | 夜 | 1930 (昭和5) 年 | 紙・エッチング | 6.5×9.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 棟方志功 | 1936 (昭和11) 年 | 紙・ドライポイント | 25.0×16.2 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 猫 | 1924 (大正13) 年頃 | 紙・エングレービング | 12.5×19.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 食事 | 1930 (昭和5) 年 | 紙・エッチング | 18.0×23.2 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 船水公明氏 | 1925 (大正14) 年 | 紙・エッチング | 15.5×10.6 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 烏 | 1924 (大正13) 年頃 | 紙・木版 | 12.5×12.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 凧を持つ子供 | 1936 (昭和11) 年 | 紙・エッチング | 38.0×27.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | マリ | 1931 (昭和6) 年頃 | 紙・鉛筆 | 30.0×28.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 自画像 | 1938 (昭和13) 年頃 | 紙・鉛筆 | 各23.5×16.0 | 青森県立郷土館蔵 |
| 今純三 | 自画像 | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | せつ | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | マリ | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | ミキ | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | 純一郎 | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | 家族 | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | 飼い猫など | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | 友人、教え子 | 青森県立郷土館蔵 | |||
| 今純三 | 風景 (雪景) | 1935 (昭和10) 年 | 紙・エッチング、アクアティント | 青森県立郷土館蔵 | |
展示室Q 成田亨:「怪獣デザインの美学」
展示協力:成田流里、 (株) 海洋堂 学芸担当:工藤健志
成田亨 (なりた・とおる 1929 - 2002) は、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。美術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出していくというその一貫した手法からは、成田の揺らぐことのない芸術的信念が読みとれるでしょう。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| カネゴン決定稿 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 34.6×22.4 |
| ケムール人 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・水彩 | 34.7×25.1 |
| ゴーガ | 1965 (昭和40) 年 | 紙・水彩、ペン | 23.2×34.7 |
| ゴルゴス | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 22.7×37.6 |
| セミ人間 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 35.6×21.6 |
| セミ人間頭部 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 35.6×24.7 |
| パゴス | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン | 26.8×37.5 |
| バルンガ | 1965 (昭和40) 年 | 紙・鉛筆、水彩 | 25.3×28.4 |
| ピーター決定稿 | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 22.2×35.6 |
| ボスタング | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 23.5×29.5 |
| ラゴン | 1965 (昭和40) 年 | 紙・ペン、水彩 | 37.4×24.5 |
| 人工生命M1号決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン | 35.7×14.8 |
| アボラス | 1966 (昭和41) 年 | 紙・鉛筆、水彩 | 39.2×31.2 |
| アントラー決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.3×39.5 |
| ウルトラマン | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×25.3 |
| ウルトラマンイラスト | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×25.3 |
| ガヴァドン成獣 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 27.0×38.0 |
| ガヴァドン幼獣 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 27.1×37.9 |
| ガボラ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 25.8×35.3 |
| ガマクジラ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 27.2×37.9 |
| ギガス | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.1×27.5 |
| ギャンゴ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.4×25.8 |
| グリーンモンス決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.7×28.7 |
| ゲスラ決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 23.8×39.3 |
| ケムラー | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×39.6 |
| ケムラー | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 24.0×36.7 |
| ゴモラ決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.7×34.8 |
| ザラブ星人 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 37.8×25.2 |
| ジャミラ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.5×19.8 |
| スフラン | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.5×36.4 |
| ドドンゴ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・水彩、ペン | 38.0×31.1 |
| ドラコ決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.5×27.6 |
| バニラ | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.7×33.4 |
| バルタン星人決定稿 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×25.8 |
| ブルトン | 1966 (昭和41) 年 | 紙・鉛筆、水彩 | 24.2×31.0 |
| ブルトン | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 27.5×36.6 |
| ミイラ人間 | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.6×21.9 |
| レッドキング | 1966 (昭和41) 年 | 紙・ペン、水彩 | 38.6×36.3 |
| ウー決定稿 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン | 39.3×36.3 |
| ウルトラセブン決定稿B案 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.4×35.0 |
| ウルトラセブン頭部 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.6×24.6 |
| エレキング | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.8×32.6 |
| キーラ | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.6×36.7 |
| キュラソ星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、鉛筆 | 35.7×26.0 |
| キングジョー決定稿 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・鉛筆 | 33.2×43.5 |
| ゴドラ星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×25.4 |
| サイゴ | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 19.6×39.5 |
| シーボーズ | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.6×47.7 |
| ダダ | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.8×27.2 |
| チブル星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 36.4×36.1 |
| ビラ星人決定稿 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・鉛筆 | 35.6×25.8 |
| ペガッサ星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・鉛筆 | 36.4×22.2 |
| ミクラス | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 46.0×36.5 |
| メトロン星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.6×36.5 |
| メフィラス星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.4×36.4 |
| ワイアール星人 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・ペン、水彩 | 39.4×32.4 |
| バド星人 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・鉛筆 | 39.2×26.9 |
| プラチク星人 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・鉛筆、水彩 | 36.5×33.3 |
| ベル星人 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・ペン、鉛筆、水彩 | 39.4×25.1 |
| ポール星人 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・鉛筆 | 39.4×36.4 |
| ユートム | 1968 (昭和43) 年 | 紙・鉛筆 | 39.5×36.4 |
| タンクボール | 1970年代 | FRP | 径:120 |
展示室M 青森県の日本画:「蔦谷龍岬と工藤甲人」
学芸担当:池田亨
蔦谷龍岬 (つたや・りゅうこう 1886 - 1933) は文展、帝展等で活躍し、後進も数多く育てるなど、当時の日本画壇で強い影響力を持っていました。その画風は大和絵を研究しながらも、濃厚な詩情をただよわせた独自のものです。
戦後を代表する日本画家の一人である工藤甲人 (くどう・こうじん1915 - ) は、ボッシュやブレイクといった西洋の幻想的な美術に大きな影響を受け、伝統的な日本画を脱した独自の画境を開きました。
大和絵の伝統に立ち戻ろうとした蔦谷龍岬と、新しい日本画を切り開いた工藤甲人。青森県の戦前と戦後を代表する二人の日本画家の作品を紹介します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 工藤甲人 | 蓮 | 1950 (昭和25) 年 | 紙本着色 | 97.0×130.3 |
| 工藤甲人 | 星占いの鳥 | 1961 (昭和36) 年 | 紙本着色 | 63.5×46.6 |
| 工藤甲人 | 夢と覚醒 | 1971 (昭和46) 年 | 紙本着色 | 195.0×135.0 |
| 工藤甲人 | 永日 | 1991 (平成3) 年 | 紙本着色 | 各159.6×219.2 |
| 蔦谷龍岬 | 後朝の別 | 1903 - 4 (明治36 - 7) 年頃 | 紙本着色 | 133.0×92.0 |
| 蔦谷龍岬 | 霜の大原 | 1920 (大正9) 年頃 | 絹本着色 | 143.5×49.9 |
| 蔦谷龍岬 | 雨情三題 | 1925 (大正14) 年 | 紙本着色 | 各207.0×91.0 |
| 蔦谷龍岬 | 野守りの宿 | 1928(昭和3) 年 | 絹本着色 | 238.3×115.7 |
展示室L 近藤悠三:「呉須ひとすじ」
学芸担当:三好徹
寄贈を受けた中村コレクション (94件150点) の中から、直径70cmを超える大皿「梅染付金彩大皿」をはじめ、花瓶、壺など10数点展示し、染付の技法で人間国宝となった近藤悠三 (こんどう・ゆうぞう1902 - 1985) のダイナミックな作品を紹介します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 三葉絵呉須花瓶 | 1930 (昭和 5) 年 | 器・染附 | 径15.0×高17.5 |
| 柳白盛飴釉外瑠璃皿 | 1936 (昭和11) 年 | 磁器 | 径43.0×高6.0 |
| 山水染附壷 | 1956 (昭和31) 年 | 磁器・染附 | 径31.0×高31.5 |
| 山染附花瓶 (浅間噴煙) | 1963 (昭和38) 年 | 磁器・染附 | 径34.5×高37.5 |
| 薊染附大皿 | 1965 (昭和40) 年 | 磁器・染附 | 径40.0×高7.0 |
| 山釉裏紅壷 (四国屋島五剣山) | 1966 (昭和41) 年 | 磁器・染附、釉裏紅 | 径33.0×高31.0 |
| ぶどう染附大皿 | 1966 (昭和41) 年 | 磁器・染附 | 径43.0×高9.5 |
| 薊染附花瓶 | 1967 (昭和42) 年 | 磁器・染附 | 径30.0×高30.0 |
| 竹の子染附花瓶 | 1969 (昭和44) 年 | 磁器・染附 | 径24.0×高36.0 |
| 梅染附金彩壷 | 1975 (昭和50) 年 | 磁器・染附、金彩 | 径27.0×高27.0 |
| 梅染附金彩大皿 | 1976 (昭和51) 年 | 磁器・染附、金彩 | 径73.5×高10.5 |
| 富士金彩染附赤絵壷 | 1980 (昭和55) 年 | 磁器・染附、赤地金彩 | 径32.5×高34.0 |
展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一
展示協力:小島弘子 学芸担当:高橋しげみ
厳寒の津軽や下北をひたすら歩き、風景や人々の姿を撮り続けた小島一郎 (こじま・いちろう 1924 - 1964) と、銃声と砲火が絶えることのないベトナムの戦地に被写体を追い求めた澤田教一 (さわだ・きょういち 1936 - 1970) 。
戦後の青森が生んだ異色の2人の写真家の仕事を振り返るとともに、青森の風土との関連性について探ります。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) | |
| 小島一郎 | 下北 1958ー1961 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.0×15.9 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 下北 1961 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 23.9×16.4 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 下北 1961 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.0×23.7 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 下北 1961年頃 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.3×24.1 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 津軽 1958ー60 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.25×16.05 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 津軽 1958ー60 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.7×24.6 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 津軽 1958ー60 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.1×15.7 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 北津軽群中里 - 十三村 1960 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 24.5×16.2 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 西津軽郡十三村 1959 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.1×24.2 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 小島一郎 | 西津軽群木造村 1959 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | 16.2×24.45 | 小島弘子氏所蔵 | |
| 澤田教一 | 《草原を行く》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《負傷した母親を慰める少年》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《ベトナムの村人》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《安全への逃避》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《米空母「ボン・ホーム・リチャード」の発艦》 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1965.10.22 プレイメ | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1965.12.24. プレイク南東 | 1965 (昭和40) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《海兵隊の尋問》 | 1965 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《泥まみれの死》 | 1965 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《敵をつれて》 | 1965 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1966.4.3. ラプチュアン | 1965 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1966.4.3. ラプチュアン | 1965 (昭和41) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1966.9. 21 非武装地帯南 | 1965 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1966.6.30 カンボジア国境近く | 1965 (昭和43) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《タバコを吸う兵士》 | 1965 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1967.10.25 ダナンの南16キロ | 1965 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1967.4.30 ケサン | 1965 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1967.7.1 メコン・デルタ | 1965 (昭和42) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《わが子を抱き悲嘆にくれる母親》 | 1965 (昭和43) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1968. 2.15 王城外壁にて | 1965 (昭和43) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 《アオザイの女》 | 1965 (昭和45) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) | |
| 澤田教一 | 1970.10. 6 タンフォク | 1965 (昭和45) 年 | ゼラチン・シルヴァー・プリント | (ニュープリント2006) |
展示室K 工藤哲巳:読売アンデパンダン展の頃
学芸担当:三好徹
1950年代に「反芸術運動」の旗手として活躍した工藤哲巳 (くどう・てつみ 1935 - 1990) の初期作品を展示します。
実質のデビュー作となる1950年代後半のアンフォルメル的傾向を持つ平面作品から、やがて立体へと展開し、人間の根源的な自由を獲得するための「インポ哲学」を打ち立て、1962年にパリへ渡るまでの期間を、読売アンデパンダン展出品作を中心にして紹介します
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 融合反応No.5810 | 1958 (昭和33) 年 | ミクストメディア | 169.5×183.0 |
| 精神に於ける流動とその凝集性 | 1958 (昭和33) 年 | 布・水性顔料 | 260.0×275.0 |
| 増殖性連鎖反応-1 | 1959 (昭和34) 年 | キャンバス・油彩 | 119.4×59.2 |
| 増殖性連鎖反応-2 | 1960 (昭和35) 年 | キャンバス・油彩 | 45.0×52.0 |
| 集合ー増殖 | 1960 (昭和35) 年 | ミクストメディア | 46.0×180.0 |
| インポ哲学 | 1960 - 1 (昭和35 - 6) 年 | ミクストメディア | 立体部110.0×540.0×90.0・平面部200.0×200.0 |
| 黒メカから白メカへ、それから… | 1961 (昭和36) 年 | ミクストメディア | 121.1×91.3 |
| 養殖・郷愁病用・あなたの居間に | 1967 (昭和42) 年 | ミクストメディア | 44.0×59.0×32.0 |
| 電子回路の中における放射能による養殖 | 1970 (昭和45) 年 | ミクストメディア | 径48.0×高25.0 |
| あなたの肖像 1970ー1974 | 1970 - 4 (昭和45 - 9) 年 | ミクストメディア | 37.0×48.0×23.0 |
| 遺伝染色体による無限のあやとり | 1979 (昭和54) 年 | ミクストメディア | 31.0×33.0×21.0 |
| 人生のドップラー効果 透明ブルーの輪になる可能性は一億分の一の確率 |
1983 (昭和58) 年 | ミクストメディア | 48.0×22.0×10.0 |
青森県の現代美術:「佐野ぬい、村上善男、豊島弘尚」
学芸担当:工藤健志、菅野晶
弘前市生まれの佐野ぬい (さの・ぬい 1932 - ) は、豊かな色彩とリズム感溢れる作風で知られています。岩手県生まれの村上善男 (むらかみ・よしお 1933 - 2006) は、岡本太郎の薫陶を受けて前衛表現を追求、1982年からは弘前市に滞在し、釘打ちをモチーフにした作品を数多く発表しました。豊島弘尚 (とよしま・ひろなお 1933 - ) は八戸市に生まれ、郷土や北欧の風土、神話に着想を得た作品を手がけている作家です。
3人の作家の仕事をとおして、青森県が生んだ様々な現代の表現を紹介します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 佐野ぬい | ブルーノートの構図 | 1994 (平成6) 年 | キャンバス・油彩 | 212.0×182.0 |
| 佐野ぬい | ブルーノートの領域 | 1996 (平成8) 年 | キャンバス・油彩 | 194.0×162.0 |
| 佐野ぬい | 午後のダイアリー | 1999 (平成11) 年 | キャンバス・油彩 | 194.0×162.0 |
| 村上善男 | 津軽圏、弘前、品川町胸肩神社前線釘打圖 | 1996 (平成8) 年 | ミクストメディア | 227.3×181.8 |
| 村上善男 | 津軽、赤倉澤支脈釘打圖 | 1996 (平成8) 年 | ミクストメディア | 227.3×181.8 |
| 豊島弘尚 | ものみなねむれ (1) | 1965 (昭和40) 年 | キャンバス・油彩 | 160.0×130.0 |
| 豊島弘尚 | ものみなねむれ (2) | 1965 (昭和40) 年 | キャンバス・油彩 | 160.0×130.0 |
| 豊島弘尚 | ものみなねむれ (3) | 1965 (昭和40) 年 | キャンバス・油彩 | 160.0×130.0 |
| 豊島弘尚 | 墓獅子舞 (B) | 1968 (昭和43) 年 | キャンバス・油彩 | 194.0×259.0 |
展示室I 斎藤義重:「空間への意志」
展示協力:斎藤史門、 (株) まつもと 学芸担当:工藤健志
本館の調査で弘前市出身であることが判明した、日本の戦後美術を代表する作家、斎藤義重 (さいとう・よししげ 1904 - 2001) 。
1960年代前半の、ドリルを使い合板に条痕を刻み込んで豊かなマチエールを創り出した平面作品および、1980年代に始まるスプルース材の板を黒一色で塗装し、複雑に組み合わせた「複合体」シリーズを構成することで、空間そのものを取り込んだ作風へと展開していく斎藤の思考の過程を検証します。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 青の構成 | 1961 (昭和36) 年 | 合板・油彩 | 181.5×121.0 |
| Negative | 1993 (平成5) 年 | 合板・ラッカー | 300.0×430.0×155.0 |
| 複合体 | 1996 (平成8) 年 | 合板・ラッカー | 800×600×1030 |
| 柵木 | 1998 (平成10) 年 | 木、合板、ラッカー、ボルト | 290.0×607.0×235.0 |
| R to | 1999 (平成11) 年 | 合板・ラッカー | 118.0×80.0×3.0 |
| B to | 1999 (平成11) 年 | 合板・ラッカー | 136.0×122.0×5.0 |
展示室H 版画の魅力
関野凖一郎:「『棟方志功像』創作の秘密」 高木志朗:「日本の色と形」
学芸担当:菅野晶
青森から世界に広がる版画の世界にご案内します。第一期は、関野凖一郎 (せきの・じゅんいちろう 1914 - 1988) が世界に飛び出した大先輩を描いた『棟方志功像』を、版木や色版 (摺り重ねの状態が分かるように一部の版木だけを摺った見本) などの貴重な資料とともに展示して創作の秘密に迫ります。
また、日本の色と形を追求した高木志朗 (たかぎ・しろう 1934 - 1998) の大型で色彩鮮やかな作品世界を紹介します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 関野凖一郎 | 棟方志功像 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・多色木版 | 66.9×53.4 |
| 関野凖一郎 | 棟方志功像 (色版) | 1968 (昭和43) 年 | 紙・多色木版 | 各66.4×53.3 |
| 高木志朗 | 話してる | 1957 (昭和32) 年 | 紙・多色木版 | 81.8×54.6 |
| 高木志朗 | 女-No.3 | 1957 (昭和32) 年 | 紙・多色木版 | 81.2×52.5 |
| 高木志朗 | 紅の幻想 | 1964 (昭和39) 年 | 紙・多色木版 | 52.4×80.2 |
| 高木志朗 | 紅裙一C | 1965 (昭和40) 年 | 紙・多色木版 | 86.3×56.2 |
| 高木志朗 | 女・うらおもて | 1967 (昭和42) 年 | 紙・多色木版 | 85.5×56.5 |
| 高木志朗 | 日本の鬼 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・多色木版 | 85.5×56.2 |
| 高木志朗 | 聖女 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・多色木版 | 75.4×55.2 |
展示室F 奈良美智:「ニュー・ソウルハウス」
展示構成:奈良美智+graf
ソウルのロダン・ギャラリーで展示したソウルハウスが、三層構造から美術館の空間に合わせてアレンジされ、並列に変わりました。小屋の内部には県立美術館のコレクションを展示します。別棟で「Hula Hula Garden」も展示します。
また、青森県立美術館のコミッションワークとして、美術館の建築と一体化した「あおもり犬」も展示室から観覧できます。「あおもり犬」は、高さ8.5メートルの像で、奈良美智 (なら・よしとも 1959 - ) の最大の作品です。
| 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 続いてゆく道に | 1990 (平成2) 年 | コットン・アクリル | 100.0×100.0 |
| まぼろしの犬のピラミッド | 1991 (平成3) 年 | コットン・アクリル | 65.3×65.3 |
| まぼろしの犬の山 | 1991 (平成3) 年 | コットン・アクリル | 162.5×64.5 |
| O.T (チェッカーズ) | 1993 (平成5) 年 | 紙・アクリル | 47.6×33.7 |
| Last Right | 1994 (平成6) 年 | コットン・アクリル | 100.0×100.0 |
| 回天 | 1994 (平成6) 年 | コットン・アクリル | 60.0×60.0 |
| Hula Hula Garden | 1994 (平成6) 年 | ミクストメディア | |
| Mumps | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| The Last Match | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| Pancake Kamikaze | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| So far apart | 1996 (平成8) 年 | コットン・アクリル | 120.0×110.0 |
| E.P.Girl | 1997 (平成9) 年 | ミクストメディア | 35.7×30.5×19.0 |
| Heads | 1998 (平成10) 年 | FRPに彩色、貼布 | 11.0×120.×8.0(6p) 10.0×12.0×8.0(1p) |
展示室G 「寺山修司という虚構」
展示デザイン:小竹信節 監修:九條今日子 進行:笹目浩之 設営:CーCOM コーディネート: (株) テラヤマ・ワールド 学芸担当:工藤健志
短歌、俳句、詩、劇作、シナリオ、評論、映画と幅広いジャンルで活躍した寺山修司は、1967年に演劇実験室「天井棧敷」を設立し、アングラ文化、そして前衛芸術の旗手として圧倒的な支持を集め、死後もなおその影響力は衰えることを知りません。
本コーナーでは、元夫人で天井棧敷プロデューサーだった九條今日子氏、天井棧敷の舞台美術を手がけた小竹信節氏及び (株) テラヤマ・ワールドの協力によって、展示室内に寺山修司的な虚構世界を構築し、コレクションであるポスター18点を展示します。
| 作家名 | 作品名 | 制作年 | 材質技法 | 寸法 (cm) |
| 横尾忠則 | 天井桟敷定期会員募集 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 103.4×73.1 |
| 横尾忠則 | 大山デブ子の犯罪 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 109.4×78.9 |
| 宇野亜喜良 | 人魚姫 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 104.1×73.2 |
| 紫乱四郎 | 花札伝綺 | 1967 (昭和42) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.9×72.5 |
| 辰巳四郎 | 年間スケジュール1968年 | 1968 (昭和43) 年 | 紙・オフセット | 103.0×73.6 |
| 井上洋介 | 青ひげ | 1968 (昭和43) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.1×72.4 |
| 宇野亜喜良 | 星の王子さま | 1968 (昭和43) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.7×72.9 |
| 及川正通 | 書を捨てよ!町に出よう! | 1969 (昭和44) 年 | 紙・シルクスクリーン | 108.9×79.2 |
| 及川正通 | オデッセイ'69 | 1969 (昭和44) 年 | 紙・オフセット | 71.7×34.1 |
| 及川正通 | 時代はサーカスの象にのって | 1969 (昭和44) 年 | 紙・オフセット | 72.0×34.3 |
| 宇野亜喜良 | ブラブラ男爵 | 1970 (昭和45) 年 | 紙・シルクスクリーン | 104.6×73.3 |
| 横尾忠則+横尾ヤスエ | 人力飛行機ソロモン | 1970 (昭和45) 年 | 紙・シルクスクリーン | 109.8×79.5 |
| 及川正通 | イエス | 1970 (昭和45) 年 | 紙・オフセット | 104.5×74.1 |
| 及川正通 | トマトケチャップ皇帝 | 1969 (昭和44) 年 | 紙・シルクスクリーン | 71.8×35.0 |
| 宇野亜喜良 | 毛皮のマリー (パリ・レアール公演) | 1971 (昭和46) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.0×73.2 |
| 榎本了壱 | 地球空洞説 | 1973 (昭和48) 年 | 紙・シルクスクリーン | 103.4×72.4 |
| 花輪和一 | 盲人書簡-上海篇 | 1974 (昭和49) 年 | 紙・シルクスクリーン | 102.7×72.5 |
| 合田佐和子+戸田ツトム | 百年の孤独 | 1981 (昭和56) 年 | 紙・オフセット | 103.0×73.0 |
