会期:2008年9月23日 (火) - 2008年12月24日 (水)

展示の見どころ

今期のコレクション展は、3つの小企画が中心となっています。

展示室K-I | 太宰治を取り巻く画家達-太宰生誕100年を前に
The painters around DAZAI Osamu

来年生誕100年を迎える太宰治と交流のあった本県の画家達 (小館善四郎、阿部合成、関野凖一郎など) の作品を紹介します。太宰治は、三兄の圭二が東京美術学校彫塑科で学んでいたこともあり、若い頃から美術に関心が高く、青森中学校時代には画家を志した時期もあったといわれています。小説家として知られるようになってからも、しばしば酔いにまかせて自ら絵筆をとり、画家の友人達と親しく交流していました。
(展示作品数:63点)

□ 主な作品展示
  • 小館善四郎 『赤衣少女』(1935年)
  • 阿部合成 『海を見る詩人』(1970年)
  • 関野凖一郎 『津軽金木』(1976年)
  画像:阿部合成『海を見る詩人』
  阿部合成『海を見る詩人』、1970年、板・油彩

展示室P-Q | 海外版画特集:人間と社会
European Prints Collection:Human and Society -BLAKE, KLINGER, KOLLWITS-

「人間と社会」をテーマに、近代ヨーロッパに生きた3人の作家による連作版画を取り上げます。18世紀後半から19世紀前半、ヨーロッパが大きく変動する時代にロンドンで活動したウィリアム・ブレイク (1757-1827) 。ドイツに生まれ、19世紀後半から第一次世界大戦終了までを生きたマックス・クリンガー (1857-1920) 。そして、二つの世界大戦を経験したケーテ・コルヴィッツ (1867-1945) 。それぞれの時代に真摯に向き合った作家たちが作品に込めた想いを探ります。
(展示作品数:40点)

□ 作品展示
  • ウィリアム・ブレイク 『ヨブ記』(1825年)

  • マックス・クリンガー 『死について 第二部』(1898-1910年)

  • ケーテ・コルヴィッツ 『織工の蜂起』(1893-1897年)
  マックス・クリンガー、『死について 第二部 6、戦争』
  マックス・クリンガー、『死について 第二部 6、戦争』、1898-1910年、紙・銅版

展示室O/M/J | ×Aプロジェクト:相馬貞三生誕100年記念 相馬貞三と青森の民芸
SOMA Teizo and Mingei(Folk Crafts) in Aomori

当館のコレクションと建築空間の新たな魅力を引き出すための継続的プロジェクト「×A (バイエー) プロジェクト」。第6回となる今回は、青森の民芸品を紹介するとともに、青森県における民芸運動の中心的存在であった相馬貞三 (1908-1989) の活動に焦点をあてます。相馬は、民芸運動の創始者である柳宗悦からの信頼もあつく、民芸の作家たちと深い交流をもち、また、棟方志功の親しい友人でもありました。今回の展示では、相馬の活動を振り返るとともに、青森の伝統工芸品や民芸運動の作家達の作品も併せて展示します。
(展示作品数:約190点)

□ 展示構成

  1. 「遊びと祈り」
    凧やずぐり (こま)、こけし、土人形等の玩具類、絵馬などを展示します。
  2. 「くらしの形、くらしの美」
    日常使いの器等を展示するほか、こぎんや菱刺しなどが施された着物類、あけび蔓細工の籠などを展示します。
  3. 「相馬貞三と民芸運動」
    相馬貞三の業績について、また柳宗悦や民芸運動との関わりについて紹介するほか、相馬自身による書画や相馬が収集した凧絵の古作、こぎんなどを展示します。
  4. 「民芸作家と用の美」
    伊達げら (模様が施された蓑) と濱田庄司、河井寛次郎ら民芸作家の陶芸作品を組み合わせて展示します。
今回の展示では、作品を鑑賞するだけではなく、制作風景を見たり自分の手で制作を体験して、より民芸に親しんでいただくため、会期中、制作実演、ワークショップなどの関連企画を開催します。
×Aプロジェクト:相馬貞三生誕100年記念 相馬貞三と青森の民芸 関連企画 詳細ページ


その他常設展示

棟方志功展示室 | 民芸運動と棟方版画 -模様の美
The Folk Crafts movement and Munakata's woodcuts -The beautiful of patterns

棟方志功 (1903-1975) の板画作品のなかでも模様化、装飾化が見られる作品を中心に紹介します。民芸運動の創始者である柳宗悦は、工芸美の特色のひとつに模様性をあげ、模様の美についても考察していますが、棟方は、花木を模様のように表現した板画「萬朶譜」をはじめとして、点や線を用いて白と黒を効果的に配置し、花鳥を模様化、装飾化するという表現方法で多くの傑作を生み出しました。
今回の展示では河井寛次郎、濱田庄司らの陶芸作品も併せて展示し、民芸運動を展開した作家達との交流についても紹介します。棟方板画と陶芸作品の模様美の共演をお楽しみ下さい。
(展示作品数:30点)

展示室L | 2000年後の青森県立美術館~三内丸山遺跡
SHIBAKAWA Toshiyuki:Messege from the 41th century

アートイン三内丸山遺跡プロジェクトを展開中のアーティスト、柴川敏之 (1966- ) さんの作品を紹介します。
(展示作品数:約80点 *三内丸山遺跡からの出土遺物を含む)

?作家からのメッセージ?
私は十数年間、「2000年後から見た現代社会」をテーマに制作活動をしています。2000年後の41世紀に、私たちの現代社会が“化石”として発掘されたとしたら、一体どうなっているのでしょう。例えば、2000年後にはキューピーやウルトラマンも化石化し、仏像やお地蔵さんと勘違いされて大切に展示されているかもしれません。また、携帯電話も人骨とペアで発掘され「お守り」だったと勘違いされているかもしれません。
2000年後を考えることは現代を考えることと同じです。2000年後から見れば現代も縄文時代も同じ過去であり、私たちは歴史のひとつの断面に生きていることを実感できます。2000年後の未来の視点で考えてみると、現代を生きる私たちが、今、何をすべきかということも見えてくるのではないでしょうか。
このプロジェクトを通じて、歴史とは何か? 現代を生きる意味とは? そして環境や平和問題など現代がかかえる様々な問題を解決していくには? これらの問題を考えていく上でのヒントになれば幸いです。 柴川敏之

展示室H | 戦場カメラマン・澤田教一
A War photographer, SAWADA Kyoichi

1950年代半ばから約20年間におよんだベトナム戦争は、当事国のみならず、世界のさまざまな国を巻き込んで、激しい論争を引き起こしました。日本においても、日米安保体制のもとアメリカの政策を支持していた政府を厳しく批判する反戦の声が高まりました。
ベトナム戦争に対する世論の形成に大きな役割を果たしたのが、戦地の生の状況を取材し、リアルタイムで発信したジャーナリストやカメラマンでした。青森県出身の澤田教一 (1936-1970) は、そうした戦場カメラマンの一人です。
ベトナムやカンボジアなど、銃声と砲火の絶えないインドシナ半島の戦況をひたすらカメラで追い続けた澤田は、短期間に多くの傑作を生み出し、取材中に若くして命を落としました。ここでは、1966年のピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」をはじめとし、澤田教一が残した写真の数々をご紹介します。
(展示作品数:25点)

展示室F | 奈良美智:インスタレーション
Installation by NARA Yoshitomo

青森県弘前市出身の奈良美智 (1959- ) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
《Hula Hula Garden》と《ニュー・ソウルハウス》という2点のインスタレーション (空間設置作品) を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。

展示室G | 寺山修司:寺山修司と青森県
TERAYAMA Shuji:TERAYAMA Shuji and Aomori

寺山修司(1935-1983) が、中学校、高校時代、その編集に携わった学校新聞や文芸雑誌等の資料を中心に紹介し、青森における青年期の寺山の足跡を振り返ります。
(展示作品数:38点)

寺山修司 (1935-1983) が後年、自身で書き記した自らの出生地については、弘前市、三沢市、五所川原市などがある。
寺山修司がなぜこのように自らの出生地を青森県の様々な地にしたのか?その心情はさだかではないが、そのヒントは著書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』に述べられている。

私は1935年12月10日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌36年の1月10日に生まれたことになっている。この20日間のアリバイについて聞き糾すと、私の母は「おまえは走っている汽車の中で生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。 (略) 私は「走っている汽車の中で生まれた」という個人的な伝説にひどく執着するようになっていた―
実際に寺山修司が生まれた地は、警官だった父・八郎が勤務していた「弘前市」というのが現在の定説になっている。
その後父の転勤にともなって少年・寺山修司は、五所川原?浪岡?青森?八戸?再び青森市と、めまぐるしく青森県内を転々とする。
そして昭和20年7月28日の青森空襲によって焼け出され、父の故郷・三沢 (古間木) へ。さらにその後、母が九州へ働きに行くことになり、ははの親戚が住む青森市に身を寄せる。中学2年の時だった。この青森市で高校3年までをすごし、早稲田大学進学にともなって上京。少年期に別れをつげるのである。
(企画・展示:テラヤマ・ワールド)

展示室N | 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財

縄文の表現
特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前-4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人間が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。

アレコホール | マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887-1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

作品名 制作年 材質技法 寸法 (cm)
『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》 1942年 綿布・テンペラ 887.8×1472.5
『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》 1942年 綿布・テンペラ 883.5×1452.0
『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》 1942年 綿布・テンペラ 891.5×1472.5
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