会期:2021年3月6日(土)~2021年5月9日(日)
休館日:3月22日(月)、4月12日(月)、4月26日(月)

日本人の文化に奥深く根付いている異形の存在、「鬼」。疫病や災害、巨大な悪の象徴として恐れられる一方で、「鬼」は権力にまつろわぬ者たちの変容した姿としても歴史の中に残されてきました。また、常識を超えた才能をもち、理想に向けて一心不乱に進み続ける求道者を畏怖とともに表現する言葉としても使われ、長部日出雄は『鬼が来た』という題名で棟方志功の評伝を書いています。
2021年度最初のコレクション展はこの「鬼」をテーマに、棟方志功の作品の他、成田亨が日本のさまざまなモンスターを描いた一連の作品と鬼の彫刻、田澤茂が鬼や魑魅魍魎、津軽の民俗などをテーマに描いた作品、馬場のぼるが描いた愛すべき鬼たちなどを展示します。

作家紹介

田澤茂、寺山修司、成田亨、馬場のぼる、棟方志功

通年展示

奈良美智、マルク・シャガール


展示構成

通年展示

※地下1階展示室M、N、O、P、Q、棟方志功展示室は企画展「富野由悠季の世界展」の展示会場となります。


  • 画像:田澤茂 魑魅魍魎》
    田澤茂
    魑魅魍魎
    1997
    194.0×259.0
    油彩・キャンバス

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展示室H|成田亨: 怪獣デザインの美学

成田亨(1929-2002)は、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。
成田は神戸市に生まれ、直後に青森県へ移りました。旧制青森中学(現青森高等学校)在学中に画家・阿部合成と出会い、絵を描く技術よりも「本質的な感動」を大切にする考え方を、さらに彫刻家の小坂圭二から対象物の構造や組み立て方、ムーブマンを重視する方法論を学んだ後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科へと進学。当初は油彩画を専攻していましたが、「地面から立ち上がるようなデッサンを求める」(成田)ため3年次に彫刻科へ転科。具象性を維持しつつもフォルムを自在に変容させ、動的かつ緊張感ある構成を作り上げていくという成田芸術の基礎がここで形づくられていきました。
武蔵野美術学校研究科に在籍していた1954年、成田は人手の足りなかった「ゴジラ」の製作に参加、そこで円谷英二と出会い、以降特撮美術の仕事も数多く手がけるようになります。
1965年、東宝撮影所で円谷英二と再会し、「怪獣のデザインはすべて自分がやる」という条件のもと「ウルトラQ」の2クールから制作に参加、以降「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」までのシリーズに登場するヒーロー、怪獣、宇宙人、メカニック等のデザインを手がけます。放映に際し、「これまでにないヒーローの形を」という脚本家・金城哲夫の依頼を受けた成田は、ウルトラマンのデザインを純粋化という「秩序」のもとに構築し、対する怪獣のデザインには変形や合成といった「混沌」の要素を盛り込んでいきます。
美術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出していくというその一貫した手法からは成田の揺らぐことのない芸術的信念が読みとれるでしょう。

特別出品:大森記詩《Training Day –Patchwork Super Robot》2020年

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展示室I|棟方志功:棟方志功に宿る鬼

生まれたばかりの頃、あまりの泣き声の大きさに「鬼でも生まれたのではないか」と近所で噂されたという棟方志功。作家の長部日出雄が『鬼が来た』というタイトルで評伝を描くなど、棟方は周囲の人からも鬼というイメージを持たれることが多かったようです。自身も著書や発言のなかで、「鬼」という言葉をよく用いており、同郷の版画家・関野凖一郎(1914~1988)に対して自身の仕事ぶりについて語った言葉に次のようなものがあります。

何かこう、棟方の臍(ヒチョコと津軽弁で言って)の後にある何かが描かせているので、神……神とも言えない、仏でもない、ウウ……まア神でも仏でもなんでもいい、ヒチョコの後ろに居る鬼、そんなものがじっとしていれなくて描かせる……(*1)

自分の中には鬼がいて、じっとしておらず描かせるというのです。棟方が制作に打ち込んでいる時の勢いや集中力はすさまじく、その姿は超人的とも思えます。特に、筆致が直に画面に表れる倭画においては、制作中の溢れるエネルギーがそのまま伝わってくるかのようです。
また、棟方は新しい板画の表現を生み出す才能の持ち主でもありました。代表作《二菩薩釈迦十大弟子》では白い面と黒い面との対比を美しく描き出しましたが、1941年の《門舞頌》では、白と黒の対比の美しさはもちろん、衣服に文様を彫りこんで白で抜くという、肉筆画では考えられない板画ならではの装飾性の面白さを引き出しました。
1960年代には、大きな手と鋭い指先の人物を多く描くようになります。これは故郷・青森を題材にした作品に共通している特徴で、青森を苦しめている災害や貧困への嘆きと、その悲惨な状況が改善するようにとの強い思いの表れかもしれません。

「体の中の鬼がじっとしていない」という棟方のエネルギッシュな作品をご覧ください。

本章の構成:棟方志功記念館

*1関野凖一郎『版画を築いた人々 自伝的日本近代版画史』(1976年、美術出版社、42頁)

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展示室J|寺山修司:ジャパン・アヴァンギャルド

寺山修司 (弘前市出身/1935-83) は県立青森高等学校時代、「俳句」によって表現活動をはじめ、早稲田大学進学後は「短歌」の世界へ、その後凄まじいスピードでラジオ、テレビ、映画、そして競馬やスポーツ評論の世界を駆け抜けていったマルチアーティストです。1967年には「演劇実験室◎天井棧敷」を立ち上げ、人々の旧来的な価値観に揺さぶりをかけ、さらには多岐にわたる活動の中、美術、デザイン、音楽といった様々なジャンルで新しい才能を発見し、育てていったことも特筆すべき業績の一つと言えましょう。1960~70年代はいわゆるアングラ文化が全盛の時代でした。高度成長によって近代化が急速に進む一方、社会的な構造と人間の精神との間に様々な歪みが生じ、そうした近代資本主義社会の矛盾を告発するかのように権力や体制を批判、従来の価値観を否定していく活動が盛んとなっていったのです。特に寺山は大衆の興味や関心をひきつける術に特異な才能を発揮しました。演劇や実験映画ではそれが顕著で、演劇、映画のあらゆる「約束事」が否定され、感情や欲望を刺激するイメージで覆い尽くされた寺山の斬新な作品は多くの人々を虜にしていきました。
このコーナーでは、寺山が主宰したアングラ文化の象徴とも言うべき「演劇実験室◎天井棧敷」のポスター18点を紹介いたします。

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展示室K|田澤茂、成田亨:鬼が来た

青森県の田舎館村に生まれた田澤茂は、仏教、神話、民話、妖怪や鬼などの日本的な題材や、化粧地蔵など、故郷の津軽の風土に根ざした土着性を感じさせるような作品を数多く描いています。「鬼」は特に好んだ主題の一つで、「鬼の門」と題された作品では、さまざまな表情をもった鬼や異形の者たちが浮き彫りのように描かれ、「樹炎菩薩」「地の声」など、地蔵や菩薩を描いた作品にも数多くの鬼の姿が描かれています。死んだ子供の回向のために作られたという金木の千体地蔵に触発され、地蔵を描くようになったという田澤は、「地蔵とは閻魔の使で鬼の化身なり、この世の不幸な子を護る菩薩なり」と言われていると書いていますが、田澤にとって善悪・明暗すべての要素を含む人間の様々な生や感情への関心を表現するための題材が「鬼」であり「仏」でもあったのかもしれません。そして、平安時代の「地獄草紙」などから想を得た、鬼や妖怪が跋扈する「魑魅魍魎」。「私の魑魅魍魎の絵も現世を描いている。欲とカネの腐敗した時代を見つめて表現するのが現代の画家だと思っている。」との言葉どおり、ここでは愚かな人間を見つめる画家の目は、菩薩のやさしさよりも鬼の苛烈さをもっているようでもあります。
ウルトラ怪獣のデザインからはじまり、世界のモンスターを研究した成田亨は晩年、鬼をはじめとする日本のモンスターを研究し、作品を制作しています。中でも、西洋のモンスターとは異なり、忌み嫌われる一方で守り神としてあがめられ、善悪二元論をこえた聖性をそなえた存在としての「鬼」に強い関心を持った成田は、鬼の伝承が残る大江山を訪れたことを契機に、同所に「鬼のモニュメント」の制作を依頼され、全身全霊をもって制作にあたりました。さらに4年後には岩手県の北上市立鬼の館にも鬼のレリーフを制作しています。
「鬼のモニュメント」には、大江山にたてこもったとされる、酒呑童子、茨城童子、星熊童子、黒船童子があらわされています。酒呑童子が指し示す方向には、彼ら「まつろわぬ者」たちを排除した貴族のすむ京の都。権力者の豪奢な生活のために抑圧され搾取された民衆の怒りを表しているかのように、力強く生命力にみちたこのモニュメントの造形には、精神性を失った現代社会へむける成田の烈々たる批判精神がこめられているかのようです。

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展示室L|馬場のぼるの鬼

青森県三戸町出身の漫画家、馬場のぼるは、絵本『11ぴきのねこ』(こぐま社)シリーズの作者として広く知られています。一冊目の『11ぴきのねこ』は1967(昭和42)年に出版されましたが、50年以上を経た現在もなお、多くの子どもたちに愛され続けています。
それゆえに「ねこ」の作品のイメージが強い作家ですが、じつは「おに」が登場する作品も少なくありません。現在、当館で確認できる「おに」が登場する最初の作品は、1960(昭和35)年に発表された子ども漫画『どんぐり子とおに』ですが、この作品に登場する「おに」も、その後の作品の中に登場する「おに」たちも、馬場作品において、多くの「おに」は、“いい鬼”として描かれています。
馬場のぼるは『らしょうもんのおに』(こぐま社、1994年)を出版した際の「作者のことば」のなかで、鬼について次のように語っています。

「人間たちを一段高いところから優しく見守っていて、一種の自由人というか、社会のしきたりに縛られない存在なのです。つまりこの鬼は、私の中にある理想の姿といったものです」

怪力の持ち主ながら、のんびりとおおらかで、お人好しで騙されやすく、人間に恐れられ敵対心を抱かれながらも争いを好まない馬場のぼるの「おに」。
馬場のぼるは、古来より異界の存在として語られてきた「おに」の世界を想像しながら、一方で、生き馬の目を抜く現実世界に生きる人間という存在に思いをはせていたのかもしれません。

今回は、「おに」をモチーフにした馬場のぼるの作品を展示いたしました。理屈抜きで魅力的な、馬場のぼるの「おに」の世界をお楽しみにいただければ幸いです。

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通年展示

展示室F,G|奈良美智:「家」をめぐって

青森県出身の美術家・奈良美智は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで世界中の多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から奈良美智作品の収集を始め、現在、その数は170点を超えます。
奈良の絵には初期の頃から「家」のモチーフがよく現れます。キャンヴァス画やドローイング(素描)に描かれるとんがり屋根の一軒家。2000年代以降、展示空間の一部として奈良がデザインしてきた素朴な小屋も、どこか家のイメージと重なります。それらは幼い頃の大切な思い出がつまった故郷・弘前の家のようでもあり、また郷里から離れて過ごす時間の中で奈良が見つけた新たな安住の場としての「家」でもあるようです。
「家」のモチーフに注目した作品や作家からの寄託作品などを展示いたします。


アレコホール|マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。
残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。
アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。


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