9月13日(土)~12月15日(日)
休館日:9月24日(火)、10月15日(火)、10月28日(月)、11月11日(月)、11月25日(月)


今回のコレクション展は、企画展「青森EARTH2019:いのち耕す場所-農業がひらくアートの未来」(10月5日-12月1日)と関連させ、「土俗」と「前衛」をテーマに展示を行います。工藤甲人、工藤哲巳、村上善男、成田亨、豊島弘尚など個性豊かな青森の作家達を取り上げ、1950年代から60年代にかけての大きな特徴であった日本美術の土着性、前衛性と青森の風土との関係を探ります。
あわせて尼崎市との共催による特別展示として、1950年代からアクション・ペインティングを手がけ、その先駆として国内外で高い評価を受けている白髪一雄の画業の歩みを、同市が所蔵する貴重なコレクションをとおして振り返ります。



通年展示


展示室J,K:特集展示 尼崎市コレクションによる白髪一雄の世界 ~初期水彩画からアクション・ペインティングまで

共催:尼崎市

1954(昭和29)年、兵庫県芦屋市の吉原治良のアトリエに集まった若い画学生たちによって具体美術協会が結成されます。吉原治良の「今までになかった絵をかけ」という言葉により、既成概念にとらわれない表現や行為を展開し、戦後の日本美術に大きな足跡を残しました。白髪一雄はこの具体美術協会の重要メンバーとして活躍した、戦後日本を代表する美術家です。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)時代には日本画を学んだ白髪でしたが、油絵具特有の粘性と展性に魅力を感じて洋画に転向。その油絵具の流動感に端を発し、大画面で制作しようという意欲が相まって、天井から吊り下げたロープにつかまり、床に置いたキャンバスの上を滑るようにして絵具をのばしていく「フット・ペインティング」を手がけるようになります。自由奔放な身体表現の可能性を追求したこれらエネルギッシュな作品群は、日本におけるアクション・ペインティングの先駆として、国内外で高い評価を受けています。
本特集展示は白髪の出身地である尼崎市の協力を得て、同市が所蔵する貴重なコレクションをとおして、その画業の歩みを振り返るものです。京都市立絵画専門学校の卒業前後に描かれた、故郷尼崎や大阪、京都、神戸の風景を描いた初期の貴重な水彩画から、アクション・ペインティング以前の1949(昭和24)~1953(昭和28)年に描かれた半抽象的作品、そして1954(昭和29)年から晩年まで精力的に制作が続けられたアクション・ペインティングに至る計37点の作品により、白髪芸術の展開とその特質を紹介いたします。


  • 画像:白髪一雄《尼崎与茂川づつみ》
    白髪一雄《尼崎与茂川づつみ》
    1947年
    水彩・紙
    尼崎市蔵
  • 画像:白髪一雄《大威徳尊》
    白髪一雄《大威徳尊》
    1973年
    キャンバス・油彩
    尼崎市蔵

関連トーク・イベント「アクション・ぺインター白髪一雄の芸術」

講師:平井章一氏(関西大学教授)
日時:11月9日(土)14時~15時30 分
会場:ワークショップA
申込不要、参加無料(ただしコレクション展の観覧チケットが必要となります)

ページトップ

棟方志功展示室:青森の土に生まれ

棟方志功の画業の原点はネブタや凧絵であり、故郷の四季の移り変わりでした。棟方は画家を目指して上京して以来青森に住むことはありませんでしたが、郷土への愛は非常に強いものでした。今の自分があるのは、青年期まで過ごした故郷・青森が育ててくれたお陰だという強い思いがあり、それに対する感謝からの郷土愛だったのでしょう。青森の風土という土着的なものに根ざした棟方の感性は、細身の女性を描くのではなく健康でたくましい女性を画面に多く登場させました。また、棟方は人物の身体に模様を描き入れることが多くありました。それはまるで縄文を思わせるような模様であり、そこから派生したと考えられる人体への装飾的な描き込みでした。青森へ思いを馳せることで縄文の造形に至ったのかも知れません。棟方の世界の中心は青森でした。恐らく日本の何処にいても、或いは外国にいてさえも八甲田山、岩木山、よく写生に訪れた合浦公園、子供の頃の遊び場だった善知鳥神社などを思い浮かべていたのではないでしょうか。
このたびの展示では故郷を思い、心の赴くままに描いた風景や、祈りを込めた作品などをご紹介いたします。


  • 画像:棟方志功《奥入瀬渓流図》
    棟方志功《奥入瀬渓流図》
    1938年頃
    油彩・板

ページトップ

展示室N,M:工藤甲人 夢と覚醒のはざまに

1915(大正4)年、弘前の農家に生まれた工藤甲人は、19歳になる年に画家を志して上京します。働きながら画学校に通う一方、洋画を志す画友を通してシュルレアリスムなど西洋美術の新たな潮流にも触れながら制作に励み、公募展に入選を果たします。しかし、道半ばで戦争により二度の召集を受け、またそれまでに描いた作品は戦禍により失われてしまいました。
復員後、故郷で農作業に従事しながら再出発を期すなかで、戦前から敬愛していた先輩画家、福田豊四郎の誘いを受け、「創造美術」に出品をはじめます。「創造美術」は、「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」という宣言の下、新しい日本画の創造を目指す若手の作家たちが中心となって1948年に結成された団体でした。その後工藤は、「創造美術」から「新制作協会」「創画会」を舞台に活動を続け、戦後の日本画を代表する作家の一人となります。
2007年、青森県立美術館が開催した回顧展「工藤甲人展 夢と覚醒のはざまに」に、工藤は次のようなメッセージを寄せました。
『「夢」はつまり幻想、あるいはイメージの事であり絵を描く上重要ですが、それだけでは絵は描けない場合が多く、「覚醒」とは夢とは反対で、いわば現実、つまり自然の中に夢を解放して新しい自分の世界を芸術にする事が私にとっての「夢と覚醒」であるのです』
夢と覚醒のはざまにうまれた工藤の作品世界を紹介します。


  • 画像:工藤甲人《夢と覚醒》
    工藤甲人《夢と覚醒》
    1971年
    着彩・紙

ページトップ

展示室O:工藤哲巳 鳥籠/養殖/遺伝染色体

工藤哲巳は、1935年に五所川原出身の画家工藤正義の長男として生まれ、戦後の日本美術に新しい流れをつくった「反芸術」のホープとして活躍。東京芸大卒業後、1962年パリに渡り1987年に東京芸術大学教授となり帰国するまでの20数年間、ヨーロッパの閉塞した社会を自ら「社会評論の模型」と呼んだショッキングな表現方法による作品で挑発し続けました。
 今回の展示では、工藤がヨーロッパで注目され、活躍の場をひろげていった1960年代後半から、1970年代末までの作品をとりあげます。これらの作品で、工藤は分断された身体が鳥籠や水槽の中に飼育されることにより、西欧ヒューマニズムのよってたつ「人間の尊厳」の解体と「人間の自由」の虚妄を表現し、テクノロジーの終着点である放射能や環境汚染のはて、溶解し変容した人間と自然や機械とが「放射能による養殖」によって共生する悪夢のような未来像を提示しています。そして70年代終わりには、遺伝染色体に刻み込まれた運命に支配される人間のわずかな抵抗であるかのように、籠の中で糸をつむぎ、瞑想する頭部を制作するようになっていきました。
 東日本大震災に象徴される人間の脆弱さと制御不能なテクノロジーの恐怖を予言するかのような工藤哲巳の仕事は、21世紀にはいってから再評価が進み、フランス、アメリカ、日本、ドイツで回顧展が開催されるなど、さらなる注目を集めていいます。工藤が提示した「あなたの肖像」は、いまなお切実に私たちに突きつけられているのです。


ページトップ

展示室P,Q:村上善男、その画業とコレクション

東北の地に根をはり、東北の風土と一貫して向き合い続けた美術家村上善男。1950年代後半から活動を開始し、1960年代には注射針を画面に無数貼り付けた作品、さらには計測器具、新聞、各種統計図等にあらわれる数字を構成した作品で高い評価を得た村上は、1970年代に入って気象図や貨車をモチーフにした作品へと展開し、1982年以降は弘前市を拠点に活動を続け、古文書を裏返して貼り込んだ上から、あたかも釘を打つように白い点を描き、点と点とを結ぶ「釘打図」を数多く手がけていきました。時代を追うごとにその画業は大きく展開しましたが、緻密な計算による画面構成と抑制の効いた色彩を持つ理知的な作風が、村上芸術の一貫した特徴と言えます。形式的な伝統主義を越え、東北の磁場を自己に引きつけ、北の風土が持つ土俗性や民俗的要素の探求を続けた村上の作品群をとおし、芸術と風土の豊かな関係について考えてみてください。
また今回の展示では村上が長年にわたって収集を続けたコレクションも一堂に公開いたします。20世紀美術にもっとも大きな影響を与えたマルセル・デュシャン、星条旗や数字、アルファベット等を描き、その形や絵の具そのものの物質性に着目させることで戦後美術の流れを変えたジャスパー・ジョーンズ、さらにはアントニ・タピエス、アルマン、ハンス・ベルメールといった海外作家の作品に加え、村上が師と仰いだ岡本太郎、戦後日本美術の代表的作家である荒川修作、粟津潔、猪熊弦一郎、岡本信治郎、菅井汲、前田常作といった美術家の作品が多数含まれているこのコレクションは、村上作品の芸術的特質を検証していく上でも一級の資料と言えるでしょう。



  • 村上善男《変数分離》
    1959年
    油彩・キャンバス

ページトップ

展示室I:現実を超えて:成田亨と高山良策

彫刻家成田亨と画家高山良策は、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』における怪獣デザインとその造型の仕事によって広く知られています。一見すると彫刻家のデザインを画家が立体化するという関係性は、逆転した役回りのようですが、この異色のコラボレーションをとおして、レッドキングやメフィラス星人など人気の高い怪獣や宇宙人を次々と生み出していきました。
成田亨のウルトラ怪獣の着想源は、自然界に存在する事象や、モダンアートなど多岐にわたります。成田は怪獣をデザインするにあたり、自然界に存在する動植物など既存のイメージを引用しながらも、それらが本来的にもつ意味やバランスといった関係性を無視し接合、抽象化することにより、意外性のあるフォルムを追求しました。その創作方法は、互いにかけはなれた事象の出会いの効果によって思いがけない関係性を生み出すシュルレアリスムの技法、コラージュを想起させるとともに、想像上の生き物としての怪獣が元来もつ自然界との神秘的な結びつきを感じさせるものといえます。
一方、成田の怪獣デザインを造形化したことで知られる高山良策は、日本にシュルレアリスムを移植した福沢一郎に師事し、美術文化協会を舞台に画家としての活動を開始します。以降、山下菊二や中村宏らとともにシュルレアリスム的な表現に社会風刺を織り交ぜたルポルタージュ絵画を制作し、後年は、異形の人間像や不可思議なオブジェなどが画面を支配する独自の幻想絵画へと到達しました。こうした前衛画家としての高山の姿勢は、怪獣造形の仕事においても反映されているようであり、敗北者としての悲哀や愛敬にあふれたその怪獣造形は“高山怪獣”として、半世紀近い時を経た今もなお多くの人々を魅了し続けています。
このコーナーでは、成田亨による怪獣デザイン原画と、シュルレアリスム的な幻想性や抽象性を感じさせる高山良策の絵画作品を紹介します。


  • 画像:成田亨《レッドキング》©Narita/TPC
    成田亨《レッドキング》
    1966年
    ペン、水彩・紙
  • 画像:高山良策《内壁から・・・》
    高山良策《内壁から・・・》
    1960年
    油彩・板

ページトップ

展示室H:種牛は呵(わら)う:豊島弘尚とグループ「新表現主義」の画家たち

「新表現主義」は県ゆかりの画家・豊島弘尚が同世代の芸術家4名(のち8名)と東京で結成したグループ展の名称です。1957年の第1回展以降、途中「新表現」と名を変え1985年の第9回展まで開催されました。前衛芸術の性質を「絶えざる価値概念の変革」と捉え、それを「カラ回り」「観念のみの遊戯」として批判し、自らの「内発の声」に従い制作を始めようとするその姿勢は、同郷の工藤哲巳らが代表格とされた「反芸術」の動向や関西の「具体美術協会」などとは一線を画し、80年代を席巻した「ニュー・ペインティング」の動向をも先取りするような独自の芸術活動といえます。
本展示室ではそんな「新表現主義」の画家の中から豊島を軸に、当館所蔵の針生鎮郎、松本英一郎(いずれも1960年からグループに参加)による作品を紹介します。身体への志向を画面上に再構成し、「種子」や「北欧」をめぐる想像をもとに未見の大地を絵画空間に現出させた豊島。鮮烈な色彩に基づく土俗性を感じさせる画面を追求した針生。「平均的肥満体」シリーズから出発し、身体のフォルムと絵画空間の交差からやがて独自の風景画を志向、「花と雲と牛」シリーズとして展開させた松本。三者の表現は各自の内面から発するものに依拠しながらも、絵画空間の構成においてはどこか響き合うものがあるようです。そうして彼らの「新表現主義」という連帯から生まれた作品は、当時日本の芸術が、土着や前衛をはじめとする様々な動向を内に含んだ「沃野」的な様相を示していたことを改めて伝えてくれます。そうして芸術の明日を拓こうとした作品たちから今、何を見出し、次の表現として培うべきか。可能性はいつ・どこにでも大口を開けて私たちを待っています。


  • 画像:豊島弘尚《その扉は開かれるか・楕円》
    豊島弘尚《その扉は開かれるか・楕円》
    1970年
    油彩、アクリル・キャンバス

ページトップ

通年展示

展示室F、G:奈良美智 《Puff Marshie》《Hula Hula Garden》

国内外で活躍する青森県出身の美術作家・奈良美智(1959- )は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでありながらどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで若い世代を中心に、多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から、絵画やドローイングなど、奈良美智作品の収集を始めました。現在、170点を超えるそのコレクションの多くは、奈良が1988年から2000年まで滞在したドイツで生み出されたものです。
この展示室では、当館がほこる奈良美智の90年代のコレクションを中心に、《Puff Marshie (パフ・マーシー) 》(2006年)や《Broken Heart Bench (ブロークン・ハート・ベンチ) 》(2008年)など、作家からの寄託作品も展示しています。


アレコホール:マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。
残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。
展示期間:2017年4月25日 - 2021年3月頃(予定)
アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。


ページトップ