10月27日(土)~2019年3月3日(日)

特別企画として、秋田雨雀、棟方志功、太宰治など、青森県出身の芸術家たちの座談会をテーマにした「昭和十四年『青森縣出身の在京藝術家座談會』の芸術家たち」を実施します。また、「追悼 浜田知明」と題して、今年7月に逝去した版画家・浜田知明と関連の作家たちの作品を展示する追悼企画、さらにはウルトラシリーズなど特撮美術の分野で活躍した成田亨の彫刻家としての仕事と怪獣のデザイン原画の関係を探る展示「成田亨:鬼と怪獣」を行います。



通年展示


【特別企画】昭和十四年『青森縣出身の在京藝術家座談會』の芸術家たち



  • 『月刊東奥』第1巻第9号10月号
    東奥日報社
    青森県史編さん資料 [協力: 東奥日報社]

太宰はおずおずと口を開いた。
「私は小説を書いている太宰治であります。北郡金木町生まれで、本名は津島修治・・・・・」
途中から急に声が低くなって、語尾が口の中に消えてしまった。そのとき上座から、棟方志功が大声で叫んだ。
「聞こえません。もういっぺん高くいって下さい」
途端に太宰は、それまで鬱憤を爆発させた。
「うるせえ、黙ってろ!」
太宰はいきり立った表情で、椅子に腰を下ろした。

長部日出雄による棟方志功の伝記『鬼が来た―棟方志功伝』の冒頭で描かれた、棟方志功と太宰治との緊張感溢れるこのやりとりは、実際に行われたある座談会の場でのことです。それは昭和14年9月20日、東京日比谷公園近くの「松本楼」を会場にした、青森県出身の在京芸術家たちによる座談会でした。
総合雑誌『月刊東奥』(1939年10月11日発行)へ収録すべく、東奥日報社が主催したこの座談会には、当時、東京を拠点に活動していた、文学、美術、舞踊など、さまざまな分野にわたる青森県ゆかりの31名の芸術家が参加しました。そこには、棟方志功、太宰治をはじめ、秋田雨雀、今純三など錚々たる顔ぶれが並んでいました。
ほぼ自己紹介と郷土の秋の風物の話に終始するこの会ですが、参加者たちの胸によほど深く刻まれたのでしょう。棟方志功、太宰治、関野凖一郎、今官一、列席した4人は、後にそれぞれの視点からこの座談会の出来事を小説や随筆の中で振り返っています。
時代は日中戦争の最中、ヨーロッパでは既に第二次世界大戦の火蓋が切られていました。軍国主義をいよいよ強める日本において、青森県に生まれた芸術家たちは、東京からどんな思いで故郷を語ったのでしょうか。『青森縣出身の在京藝術家座談會』の全出席者の内、当館収蔵品を核に、県内の諸施設や個人のご所蔵者のご協力も得て集めた22名の芸術家たちの作品と言葉から、それぞれの個性と時代を浮かび上がらせます。

出品作家
秋田雨雀、江口隆哉、清水(石橋)富久、中野桂樹、今ヤヨ、太宰治、阿部合成、今純三、橋本花、鳥谷幡山、鳴海完造、小林喜代吉、鳴海要吉、明本京静、関野凖一郎、棟方志功、須藤尚義、芳賀まさお、板垣直子、竹森節堂、今官一、田澤八甲


展示室I 成田亨:鬼と怪獣



  • 成田亨《ミクラス》

「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」に登場するヒーロー、怪獣、宇宙人、メカニックのデザインを手がけ、その世界観を構築した成田亨。もともと美術家、彫刻家であった成田は、怪獣デザインに芸術家としての持てる力、すなわち成田が同時代の美術や西洋モダンアートから吸収した造形センスを惜しみなく怪獣デザインにつぎ込み、誰も目にしたことのない意外性を持つ形が次々に生み出され、今も変わらず愛され続けています。形そのものを創出する彫刻家の仕事をそこに認めることができるでしょう。
後年、成田は世界各地に残る神話、伝承上のモンスターを本格的に研究し、イラストの連作を制作しました。おそらくこの仕事をとおして成田はモンスターの形象に宿る精神の力、物語と分かち難く結びつく形というものに気づいたのではないでしょうか。成田にとっても、長年にわたる怪獣デザインの仕事を踏まえつつ、「怪獣とは何か」という根本的な問いを考察するきっかけとなったように思います。そして、その末にたどり着いたモチーフが日本のモンスターの象徴的存在である「鬼」でした。忌み嫌われながらも、ある時は聖性を帯びたマレビトとして崇められる鬼。善と悪、明と暗といった対概念を併せ持つ存在であり、そこに「純粋美術」と「特撮美術」の狭間で苦悩した自らの境遇を重ねあわせたのかも知れません。
今回の展示では、酒呑童子の伝説に着想を得た成田彫刻の集大成である《鬼モニュメント》(1991年)をはじめとする鬼の作品と、怪獣のデザイン原画を比較展示いたします。成田の類い希なる造形センスに加え、それらモチーフに込められた成田の想いを感じ取ってみてください。


展示室H 追悼 浜田知明



  • 浜田知明《初年兵哀歌(歩哨)》

今年7月17日、版画家浜田知明が100歳で世を去りました。
1917年に熊本に生まれた浜田は、東京美術学校を卒業した1939年に招集を受けて戦地に赴き、終戦後、軍隊生活や戦場での体験をテーマにした銅版画を発表して大きな反響を呼び、日本を代表する銅版画家の一人としてその足跡を残しました。
戦後間もない頃、浜田と青森出身の版画家関野凖一郎との出会いがありました。復員後1948年に再び上京し、銅版画に取り組もうとしていた浜田が、当時、関野が高円寺の自宅で開催していた銅版画研究所を訪ねてきたのです。
浜田は、美術学校の後輩でもある駒井哲郎に問い合わせたことがきっかけで関野を紹介されてプレス機の発注について相談し、また、自身のプレス機で納得がいく摺りができないと、関野宅を訪ねて試し摺りをしたこともあったと回想しています。
関野もその著書『版画を築いた人々』で、浜田は「無口で物静かな人」であったと回想し、また、やはり当時銅版画に取り組んでいた浜口陽三が浜田とともに訪ねてきたこともあったといいます。
浜田はこの頃、1951年から54年にかけて、自身の代表作となる銅版画「初年兵哀歌」シリーズを制作し、54年制作の《初年兵哀歌(歩哨)》は56年のルガノ国際版画ビエンナーレで受賞することになります。
1950年代に入り、日本の作家による版画作品が世界各地の国際展で受賞を重ね、国際的な評価を確立していきました。戦後の物不足の中、手探り状態で試行錯誤を重ねながらも、銅版画に魅せられ、その独自の表現を創造していった作家たちにとって、関野の銅版画研究所はひとつの拠り所であったと思われます。
青森県立美術館のコレクションから、関野の銅版画研究所のことなどを交え、戦後、銅版画に情熱的に取り組み、現代の銅版画の礎を築いた作家たちの作品を展示し、浜田知明への追悼とします。

出品作家
浜田知明、関野凖一郎、駒井哲郎、浜口陽三、長谷川潔


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通年展示

展示室F、G 奈良美智 《Puff Marshie》《Hula Hula Garden》

国内外で活躍する青森県出身の美術作家・奈良美智(1959- )は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでありながらどこか哀しげな犬の立体作品などで、これまで若い世代を中心に、多くの人の心をとらえてきました。
青森県立美術館では、開館前の1998年から、絵画やドローイングなど、奈良美智作品の収集を始めました。現在、170点を超えるそのコレクションの多くは、奈良が1988年から2000年まで滞在したドイツで生み出されたものです。
この展示室では、当館がほこる奈良美智の90年代のコレクションを中心に、《Puff Marshie (パフ・マーシー) 》(2006年)や《Broken Heart Bench (ブロークン・ハート・ベンチ) 》(2008年)など、作家からの寄託作品も展示しています。


アレコホール マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。
残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。
展示期間:2017年4月25日 - 2021年3月頃(予定)
アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。


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