三内まほろば文芸 短歌七十一首
「縄を綯(な)ふ」 梶原さい子



第一場 みどりの切符

森へゆけと誰かが言つたゆきますと応へて立てり醒めぎはの夢
ぼんやりと世は明るさへ傾きてけものの乳をすこし温める
どうせならもつと端つこへ行きたくて風の流るるホームへ立てり

古川発六時五十二分はやて

全席指定の透明な檻 眠りゐやう手負ひの小動物のごとくに
みどりいろの切符の中に「森」が見ゆ森のかけらを握りしめたり
一心にあのひとの棲む町を去れ列車揺れつつまた傾ぎつつ




第二場 海の底

そのむかし青森駅は海の底 海の底ひにそつと降り立つ
波打ち際をめざして歩き出すブーツ ヒラメと蛸と擦れ違ひたり
蟹のやうな女の語る津軽弁打つて弾 (はじ) きてしなやかにあり
(木曜は三味線 (しやみ) の稽古日木曜の夜はさみしくなくてすてきだ)
乾ききつた舗道を占めて雪が降る、だらうなかつて海だつたここに
遺跡行きのバスの中には女だけをんなのにほひとをんなのあたま
みんなみんな堪(こら)へてゐたりつつき出せば零れてしまふ水のふくらみ
ロータリーはまあるきところ女らを降ろしてバスは離れゆくのみ

乗り継ぎ

あちら行きのバスに乗ります行先はトンネルの向かう、光りたる丘



第三場 ガラスの骨

地下水に守られゐたり栗の木の柱ぬめぬめと黒く裂け
出土して並べられたる魚(うを)の骨きびきびと血を持たないでをり
生き物の骨はいちいち異なりてガラスケースのなかなる遠音
水晶の石鏃をもて狙ひしは牝鹿の柔きお尻のあたり
縫針は雄(おす)鹿の角 野を駆けしあのまひるまの光を溜めて
凹 (くぼみ) 石磨 (すり) 石敲 (たたき) 石並ぶ次第にみんなちびてゆくんだ

石の価値

むらさきの果実を裂けり尖りたる刃物としての存在 (レーゾン) 理由 (デートル)
もしもねがひがかなつたのならこの土偶こなごなにしてさしだしませう
人間は残してしまふ千年を捨て続けたる南盛土 (もりど)
琥珀には閉ぢ込められたる虫のゐて遺跡といふはかぎりなき曙光
小屋の奥に闇のありたり円筒の土器抱くときひんやりとして



第四場 縄 ~きつと幻灯を見たのです~

葉鞘を取り除きたり稲藁の乾く匂ひの籠もれる小屋に
女らは小さき小槌を男らは太き小槌をああ振りおろす
づんづんづんたんたんたんづんたんづづたんづたたたたあん
両つ音が混じり合ふとき横たはる藁のからだの香り 気高し
藁を打つ音やはらかし皮膚ごしの鼓動のやうに夜毎続きて
始まりの喜びがあり二組の藁を合はせて捩りゆくとき
「撚 (よる) 」といふ字が燃えてゐるてのひらが熱いあなたとわたくしのてが
那 (な) と吾 (わ) とがひとつに溶けてゆくことの 縄の編み目の玻璃の毛羽立ち
一本の縄の太きに沁みてをる素朴な液を愛してゐたり
縄の目を器に仕立て焼き締めばそのでこぼこは光生む、影生む



第五場 黒曜石

つめたいつめたい女らの骨 黒曜の石のごときの髪のかがやき
女らは護られてをり月山の石ぶらさがるその両つ耳
夜の溜息だとか潤みだとか泥炭に沈みてゐる北の谷
わたくしは魚であつて獣であつてそれでもいまはわたくしでゐる
閉ぢ込められつつひろがつてゐた 焦がれたりあなたの持てるゆふべの指に
肉 (しし) 叢 (むら) がかすかに戦ぐ村の奥の森の芯まで闇となるとき
身の熱を美しく受け黒曜は雫の形となれり 揺れをり
結ばれはしないわれらも生れゆけば残してしまふ確かさがある



第六場 赤子の墓

小屋のかたへに墓あまたあり小さき子を埋めし甕などとりわけ近く
墓の土に僅かに残る脂肪分ヒトを喰らふたらう虫のゐて
まろき石は甕の奥へと仕舞はれて眠りぬいつか経巡 (へめぐ) る魂
鍋なりし釜なりしもの焦げゐたり八〇〇個なる赤子の柩
お母さん、子どもを亡くしましたのね。山桑の実は黒く熟しぬ
木漏れ日を淡く映して大珠の翡翠は母の胸にありたり
母型の土偶の中の昏やみにほのかに秋の熱籠もりゐて
産まないでこの世を生きてゆくときに乳房は固く青めいてをり
子を産まずごめん母さん 縄文の平均寿命を超えた。わたしは
気の強い女であると思はれて石のナイフでさくさく捌く
子を抱けぬわたしであるよ二重螺旋の縄の先つぽぼんやりと持ち



第七場 海をゆかう

編 (あん) 布 (ぎん) の破片は海に散らばりてたとへば星の形のヒトデ
釣針の尖りは月の満ちるときやはりきらきら輝くだらう
喫水の線で切られてゐるときに大見張り台はあらあらとせり
北の谷より漕ぎ出してゆく男らよ天満 (あまみつ) 星 (ぼし) の流るる方へ
村はづれの小さき入り江 栗の木の櫂は水泡 (みなは) をつぎつぎと生む
鮫類の膠原質のひれの縁 地球の端をらくらく泳ぎ
この世にも留まれるものあると思ふ身を濯ぐための入り江の真水
海獣が滑りゆくとき海獣の乳房水際 (みぎは) を歪みて踊る
広場には温気がのぼり空よそらひろがるこれからを享受せよ



いくつもの悔しきことがありました夕焼け遺跡をひとつづつ焦がす
この世では届ききらない想ひあり遺跡に長く長く伸ぶる影
時代とふ括りを越えて満つるもの 美しき短編の連なり
三内にゆふぐれは来る隈取られ確かに深くゆふぐれが来る
海をゆかう。それでもわれら、縄の目の捩るる昼と夜のあはひの
幻の海の面 (おもて) を歩むとき右足も左足もひとつづつの奇跡




海のそばに森はありたり森へゆけと誰かが言つた誰かが言つた