コレクション展2023-1

2023年4月22日(土) ━ 7月17日(月)

コレクション展 終了
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コレクション展2023-1

コレクション展2023-1

春から夏へ。青森の自然が最も華やぎ、生命の息吹に彩られる季節に、美しい色彩により独自の作品世界を創造した3人の作家、石井康治のガラス工芸、工藤甲人の日本画、佐野ぬいの油彩画を特集展示します。
この他、生誕120年を迎える棟方志功、怪獣デザインなど多彩なジャンルで活躍した成田亨、若手アーティスト青秀祐と大森記詩によるインスタレーション、通年展示として奈良美智の作品やシャガールによるバレエ「アレコ」舞台背景画を紹介します。

お知らせ

開催概要

会期

2023年4月22日(土)~2023年7月17日(月・祝)

休館日

2023年4月24日(月)、5月8日(月)、22日(月)、6月12日(月)、26日(月)、7月10日(月)(毎月第2・第4月曜日)

会場

地下1階、地下2階展示室

展示内容

展示室N/J,K|石井康治:詩・季・彩

石井康治
樹映―春の景
1995年
吹きガラス
29.0×35.5×15.0cm
撮影:大堀一彦
※画像転載不可

青森の自然に魅せられ、北国の光と風が織りなす四季を彩り豊かなガラス作品にうつしとった石井康治。1991年、現在青森県立美術館が建つ場所に程近い、青森市三内に工房を構え、96年に急逝するまで、この地で精力的にガラスの素材と技法について研究を重ね、青森の四季と風土にインスピレーションを受けた独自の造形を次々と生み出しました。
「色ガラスを用いて自分のイメージを詩のような感じで作りたい」―石井はこう語り、自身の創作テーマを「詩・季・彩(し・き・さい)」という言葉で表しています。生命の息吹と共に華やぐ春、爽やかな初夏から鮮烈な夏、秋の燦めく彩り、そして冬の雪がみせる様々な表象。残された作品は、今も彼の愛した青森の四季を謳う一編の詩のように私たちに語りかけてきます。
今回は、石井が工房で最後に制作していた作品の一つである《テーブルランプ》を始まりに、春から夏へとうつろう季節をイメージさせる作品を中心にご紹介します。

石井康治
樹映―夏の景
1995年
吹きガラス
36.5×24.0×14.0cm
撮影:大堀一彦
※画像転載不可

棟方志功展示室|旅する棟方志功

15人兄弟の6番目として青森市に生まれた棟方志功は、画家を志し上京した後、油絵から版画に転向し民藝運動の指導者達の知遇を得ます。この出会いによって仕事面でも生活面でも支えられ、板画家として躍進していきました。その一助となったのが旅でした。棟方は旅が好きで、故郷青森とは違う山並みや建築物のある風景、その土地の食べ物や産業といった異文化に触れる経験からも作品を生み出していきます。
民藝運動の指導者達の知遇を得た1936年には、「仏さまが見たいです」と京都の河井寛次郎邸に約40日間滞在。寺社を巡り、多くの訪客と会い、初めてきく禅話には自分がひっくり返るような大きな力を感じ、「魂命の太って来る」ような感覚を覚えたといいます。本州最北の青森で小学校しか出ておらず、貧しい暮らしの中でも志を高く持っていた棟方にとって、初めて訪れる西も、見聞を広めることも心震える出来事であり滋養でした。その後も、民藝同人らの沖縄民芸調査に参加したり、京都の木喰仏を訪ねたり、民藝のつながりから各地の窯で陶器に絵を付けたりと、民藝から始まった縁は全国に広がり、行きたい場所というだけではなく各地に訪れる理由ができます。
仕事から始まる旅もあります。日本人の海外渡航がまだ自由化されていない1959年、ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティによる招きで初めてアメリカへと渡りました。個展の開催や、各地の大学で板画の講義、夏には約1か月間ヨーロッパ旅行をし、念願叶って対面した絵画から想を得た作品も制作しています。また、東海道新幹線開業を目前に控えた1963年には、東海道五十三次を大阪まで延ばした《東海道棟方板画》制作のため取材旅行を始めます。これは後に海道シリーズへと発展し、九州、四国、東北を旅して制作された板画は安川電機のカレンダーに使われ現在でも愛されています。
大都市以外では道路舗装も行き届いていない時代に、忙しい中予定を詰め込んでても各地を回り、生涯にわたって旅を楽しみ多くのものを得た棟方の、その一端をご覧ください。

棟方志功
富嶽大観々図
1972年
倭画、墨、金彩・紙
68.5×134.0cm
※画像転載不可

展示室O|特別企画「青秀祐 × 大森記詩 ARMORY SHOW SITE-A : Damage Control」

青秀祐と大森記詩は、2017(平成29)年に青森県立美術館で開催された「ラブラブショー2」展に参加。同展では、それぞれ別の作家とコラボレーションで作品を発表し、その後の2021(令和3)年には青が「富野由悠季の世界」展、大森が同時開催の「コレクション展2021-1~2」に特別出品するなど、間接的に影響を受けあう関係にありました。その2人の作家が、県立美術館の特徴的な空間を最大限に活用し、現代社会と文化のあり方を問う、初のコラボレーション展示を行います。
本展のタイトルであるARMORY(アーモリー)は本来、火器弾薬を備蓄する保管施設を指し、2人が作品で扱うイメージやモチーフに通底するキーワードです。さらに、緊急的に発生している、もしくはいずれ発生するかもしれない事態への処置、対策や対応を意味する軍事用語「Damage Control(ダメージ・コントロール)」を付すことで、分断と混乱の進む世界の情勢に対するひとつの視座を提示します。
我々を取り巻く世界の状況は加速度的に変化しており、世界を駆け巡る膨大な情報もまた非常に短いタイムラグで、かつ相応のリアリティをもって私たちの意識へと到達します。重要な点は、世界のあらゆる人間がメディアをとおして否応なく世界のトータルダメージに巻き込まれ、さらに、その分配されたダメージの再分配に加担しているという「事実」です。
今回、青はこれまで自身の制作において重要な要素となっている「ダミーバルーン」から着想した表現をより深化させ、一方の大森は現在進行形の紛争によって都市の中に出現したビジュアルから受けた衝撃を「土嚢」というモチーフに象徴させることで、それら問題と対峙します。ダミーバルーンや土嚢は、本来ダメージを肩代わりし、あるいは緩和、防衛する役割を担うものであり、現実の戦争におけるダメージ・コントロールの一種と捉える事ができます。青と大森は、それらモチーフの引用の過程で、メディアをとおして伝播される衝撃、もしくはこれから我々が実際に直面するかもしれない衝撃を、既存のイメージの分解、再構築という操作(ダメージ・コントロール)をとおして展示室内にインストールします。そのわずかな痛みを伴う虚実皮膜のダメージイメージは、「超安全圏」である美術館という武器庫に安置され、次の媒介者を静かに待ち続けるのです。

青 秀祐
Hollow Trail
2023年
制作プランCADモデル
※画像転載不可

大森 記詩
Urban Trophies
2023年
鋳造用原型 部分(タミヤ1/35情景用土のうセット)
※画像転載不可

展示室P,Q|成田亨のエッセンス:美術/特撮/怪獣

成田亨は彫刻家、画家、デザイナー、特撮美術監督とジャンルの垣根を越えた多彩な表現活動を行った作家です。旧制青森中学(現青森高等学校)在学中に画家・阿部合成と出会い、絵を描く技術よりも「本質的な感動」を大切にする考え方を、さらに彫刻家の小坂圭二からモチーフの構造とその構成を重視する手法を学んだ後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)で絵画、彫刻を学び、新制作展を舞台に気鋭の彫刻家として活躍を続けます。一方、アルバイトとして映画「ゴジラ」(1954年)の製作に参加したことをきっかけに、以降特撮美術の仕事も数多く手がけていきました。1965年から68年にかけて制作、放映された「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」では実質的美術総監督としてヒーロー、宇宙人、怪獣、メカニックやセット等のデザインを担当し、「成田怪獣」と称される名キャラクターを次々に生み出していきました。成田の高い芸術的感性が反映された卓越した造形センスにより、「成田怪獣」は放映から50年以上経った今もなお愛され続けていいます。「ウルトラ」以降も、テレビ番組では「マイティジャック」や「突撃ヒューマン」、「円盤戦争バンキッド」など、映画では「新幹線大爆破」や「戦争と人間」、「この子を残して」、「麻雀放浪記」などの特撮を手がける一方で、個展を中心に油彩画や彫刻の作品発表も続けていきます。また古今東西のモンスターへの関心と知識を深めた成田は、1990年に巨大彫刻「鬼モニュメント」(京都府福知山市)を制作しますが、本作は彫刻家としての成田の集大成的作品と言えるでしょう。
今回のコレクション展では、多彩なジャンルで活躍した成田亨の仕事のエッセンスを紹介いたします。さらに開催中の「庵野秀明展」と連動した特別出品として、認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構と須賀川特撮アーカイブセンター、RAB青森放送のご協力により、成田がデザインし、庵野秀明が敬愛する「万能戦艦マイティジャック号」の大型ミニチュアも公開いたします。

成田亨
ウルトラ警備隊マーク
1967年
ペン、水彩・紙
16.2×33.6cm
※画像転載不可

展示室M|工藤甲人:永日 ― 日はながく、うららかに

故郷、津軽を創造の源泉として独自の作品世界を築き、日本画に斬新な表現を切り拓いた工藤甲人。弘前の農家に生まれ、身近な自然の小さな草花や生き物、或いは家の中の畳の目や壁のシミをじっと見つめて想像の世界に遊び、詩や文学に熱中した少年は、やがて画家を目指して上京します。働きながら絵を学び、公募展への入選も果たしますが、戦争により招集を受け画業は中断。戦禍により作品も失われてしまいますが、終戦後、故郷で農作業に従事しながら再出発を期し、新しい日本画の創造を目指す作家達が結成した「創造美術」に参加します。1960年代初頭には、自然を題材としながら樹、鳥、枯葉などが現実を超えた存在と化して画面に息づく独自の世界を創造し、やがて蝶をはじめ小さな生き物や草花、さらに象徴的な人物像が現れます。1962年からは神奈川県平塚市に居を構え、2011年、96歳の誕生日を迎える前日に逝去するまで、独創的な作品世界を創造し続けました。
工藤の作風は、しばしば幻想的といわれますが、工藤は自らの作品が幻想的と評されることをよしとせず、夢幻と現実のはざまに漂う世界こそが自分にとっての真実だと繰り返し語っています。《夢と覚醒》という作品タイトルにもあるように、二つの相対する世界が、豊かな色彩と精緻な技法に裏付けられた洗練された作風によって調和され、独特な詩情を湛えた世界が創造されています。それは、1975-76年に四季をテーマに制作された《休息(冬)》、《渇仰(春)》、《化生(夏)》、《野郷仏心(秋)》の四部作が、「春」ではなく、暗く長い「冬」に春を待つ想いから始まるように、故郷、津軽の自然に育まれた画家の精神から生まれた世界であり、深い雪の中で春を恋う想い、そして春の訪れに感じる生命が湧き上がるような喜びが、工藤の創作の根源にあるのです。
夢と覚醒のはざまを漂う世界から、今回は春と夏をテーマにした作品を中心にご紹介します。

工藤甲人
夢と覚醒
1971年
着彩・紙
195.0×135.0cm
※画像転載不可

展示室I,H|佐野ぬい:ブルー・ノート/オペラ・ノート

1932年、佐野ぬいは弘前市の菓子店に生まれます。店内にはクラシックが流れるティールームがあり、家業の傍ら同人誌を発行していた父の友人たち、文学者や画家らがよく集っていました。父は娘に津軽民謡を教える一方、フランス近代詩を暗唱させたりしたといいます。やがて女学校に入ると、終戦後に再び上映され始めた欧米映画、特に1930年代のフランス映画に心酔し、フランスに行きたい、パリの街を描きたいという思いに駆られ、まず津軽よりパリに近い東京へ行こうと、1951年、女子美術大学に入学します。
戦後間もない東京では、海外から新しい潮流が押し寄せ、それに呼応する斬新な芸術活動が次々と生まれていました。佐野は卒業後も大学に残り、画家の道を歩み始めます。やがて作品からは具体的な事物が消え、色彩の対比で画面構成を行う独自の作風を築き上げます。画面上では様々な色と形が響き合い、ニュアンスに富んだ筆線がときには素早い、ときにはゆっくりとした動きやリズムを奏でます。
佐野の作品には様々なイメージを想起させるタイトルがつけられており、しばしば色の名前や地名などが織り込まれています。そのなかで、いくつもの作品タイトルに登場するものに、「ブルー・ノート」と、「オペラ・ノート」或いは「オペラ色」、があります。「ブルー・ノート」はジャズ、「オペラ・ノート」はオペラと、それぞれ音楽を連想させ、実際、画面をよくみると、音符や楽譜に思えるイメージがみつかることもあります。
一方で、「ブルー」は「青」色であり、佐野が創作の要として位置づけ、最も大切にしている色です。佐野自身もしばしば語っているように、明るく澄んだ青から暗く沈んだ青まで、とても幅の広い色で、西洋由来の絵具にも、セルリアンブルー、インディゴブルー、ウルトラマリンブルー、等々いくつもの青があります。そして「オペラ」は、20世紀初頭に華やかなオペラをイメージして作られた絵具の色の名前でもあります。明るい赤紫、或いは濃いピンクに見える「オペラ」色は、画面の中でひときわ目を引く、美しく華やかな色です。
いくつもの「青」色、「オペラ」色、そして黄、赤、白、黒、など、選び抜いた色の絵の具で、佐野はあるときは大胆に、またあるときは繊細に、キャンバスに形や線を描いていきます。やがて色と形と線が隣り合い、重なり合いながらリズムを刻み、ハーモニーを奏ではじめます。一つ一つの画面の中で、多彩な色と形と線が織りなすセッションをじっくりと味わってみてください。

佐野ぬい
ブルーノートの構図
1994年
油彩・キャンバス
212.0×182.0cm
※画像転載不可

展示室F+G|奈良美智:1990年代を中心に

青森県出身の美術作家・奈良美智は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでどこか哀しげな犬の立体作品で、これまで国内外の多くの人の心をとらえてきました。 現在170点を超え、世界最大規模を誇る当館収蔵の奈良美智作品の多くは、美術館が開館する8年前の1998年に収集されています。その頃ドイツに留学していた奈良は、制作の拠点をケルンに置いていました。欧米での発表の機会が増え始め、個人コレクターの間でも人気が高かった奈良の作品は、当時既に散逸が危ぶまれていました。郷土が輩出した新しい世代のアートの旗手として奈良を注視していた青森県は、その年、1980年代後半の初期作品から当時の最新作にいたるまで124点の作品を一度に収集しました。本展はその年の収集作品を多数含む奈良の1990年代のドイツ時代の作品を中心にしつつ、作家から寄託されている2000年代以降の作品も合わせて展示いたします。 奈良は2000年にドイツから帰国。翌年以降、初の大規模な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館を皮切りに、広島や弘前(現:弘前れんが倉庫美術館)など全国5か所で開催されると、奈良美智の名前は日本国内に広く知られるようになります。

奈良美智
White Riot
1995年
アクリル絵具・キャンバス
©Yoshitomo Nara
※画像転載不可

通年展示 アレコホール| マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。 これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。 残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。 アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。