コレクション展2022-4

2023年2月4日(土) ━ 4月16日(日)

コレクション展 終了
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コレクション展2022-4

コレクション展2022-4

第4期コレクション展では、三沢市・六ヶ所村・新郷村など三八上北地方で開催した「美術館堆肥化計画2022」の成果展示を中心に、棟方志功、成田亨、馬場のぼる、奈良美智の作品展示を行います。美術館が県南地域をフィールドとして展開したアートプロジェクトの豊かな成果を一堂に紹介するとともに、青森ゆかりの作家の個性に富む表現の数々をお楽しみください。

開催概要

会期

2023年2月4日(土)~2023年4月16日(日)

休館日

2023年2月13日(月)、27日(月)、3月13日(月)、27日(月)、4月10日(月)

会場

地下1階展示室

展示内容

特別展示  展示室O、P、Q、M、L、J|美術館堆肥化計画2022 成果展示

展示の詳細はこちら

展示室N+棟方志功展示室|棟方志功:文字をえがく

棟方志功は書作品はもちろん板画や倭画の中でも「文字」を表現するということに長けていました。その多くが俳句、短歌、詩といった文学の世界がテーマの作品に見られます。「僕は文字を彫るのが好きで…」「字もやはり絵だと思っているのです」(*1)と語る棟方の板画や倭画の中の文字は、対象の文学作品を伝える言語としての役割を果たすと同時に、美しく図柄化されたものとして味わい深い存在です。特に板画では、陽刻と陰刻を組み合わせたり、レタリング風にしたり、扱い方は自由自在。絵と同等の主役と言っても過言ではない作品も少なくありません。谷崎潤一郎は、「あなたの文字はなかなか面白い」(*2)、司馬遼太郎は、初期の頃は浄瑠璃本のようだったがやがて石工が鏨で叩き彫った金文や石文のようになった(*3)と、文学者らもその文字表現を讃えています。

若い頃から文学に惹かれ、短歌や詩を自作することもあった棟方にとって、感銘を受けた文学作品は創作意欲を駆り立てるものでした。例えば、《大和し美し》(1936年)は佐藤一英の詩「大和し美し」を、《流離抄》(1953年)は吉井勇の短歌を、それぞれ板画にしたいという思いが湧き上って生み出した作品です。文学者たちとの結びつきも強かったことから、本の挿絵や装幀、題字の仕事にも恵まれ、無名時代から晩年に至るまで、生涯で携わった本の数は千冊にも及ぶと言われます。そうした仕事の積み重ねもあって、文字の扱いや、絵との一体化を磨いていったのでしょう。

優れたデザイン力と詩人的感性を兼ね備えた棟方の、図柄的な文字と絵が共存した情感あふれる画面は、唯一無二の存在感を放っています。

 

*1 「歌々板画巻をめぐって」『歌々板画巻』(1957年、宝文館)

*2 前掲書

*3 司馬遼太郎『街道をゆく 41 北のまほろば』(1997年、朝日新聞出版、258頁)

棟方志功
赤富士の柵
1965年
木版、彩色・紙
※画像転載不可

展示室I|成田亨:彫刻と怪獣の間で

「真の芸術って何だろう?おそらく無償の行為だろう?私は、そう思っています。映画をつくったり、デザイナーと云われる人種は、芸術家ではなくなりそうです。世の中の変化と要求に、作家の方がピントを合わせて、努力は、自己探求ではなく、環境の変化への目移りだ、と云う事になりそうです。パイオニヤは薄幸の中にこの世を去り、そのパイオニヤの開いた道を、手際よく頂いて、我が世の春を謳うのがデザイナーと云う人種かも知れません。(中略)私はデザイナーです。これは彫刻家のアルバイトと、割り切れるものでもありません。新しい形を創ろうとしている自分は何だろう?(中略)私は彫刻家なのだろうか?或いはデザイナーなのだろうか?その両方だろうか?そのどちらでもないのだろうか?」(*1)

 

青森高校在学中、阿部合成に学び、詩人山岸外史から薫陶を受けた成田亨。合成に「君は抒情詩人だ。浪漫派だ。」と賞され、「作為に満ちたエモーションのない絵は一喝された。」という成田は、晩年まで「初発的感情」という創作動機の重要性を繰り返し述べていました。少年期に戦争記録画を見て衝撃を受け、戦後の混乱期に多感な青年期を過ごし、高度成長期に入ると同時に映画、そしてテレビの仕事を手がけ、バブル期に自身の彫刻の集大成とも言える《鬼のモニュメント》(1991年)を京都府大江町に完成させた成田は、ある意味で戦後社会の動向に沿いつつ創作活動を続けた作家と言ってよいでしょう。さらに、自らがデザインしたウルトラマンや怪獣が消費の対象という「商品」になってしまったことで精神的に疲弊した成田は「悲劇的なもの」へと傾倒し、晩年には「僕の描きたい絵のテーマは〈絶望〉です」(*2)と述べるようになっていきました。

怪獣デザインについても成田は、「怪獣が芸術ではないというのは、内容的に芸術的であるかないかという問題じゃなくて、やっぱり芸術の分類の形式から、そうなっているんじゃないですか。」(*3)と述べていますが、それはサブカルチャーが「傍流」であるという集合的無意識を反映したものと言えるのではないでしょうか。そうした一般的な価値観と、自身の表現との間で終生苦悩したのが成田亨という芸術家でした。それを成田個人の問題と捉えるのではなく、広く戦後日本の文化史/社会史の中に位置づけ、考えてみること。社会の閉塞感が再び強まりをみせる今、成田亨の歩んだ人生と残された作品から考えるべき点は多いように思います。

 

*1 成田亨「彫刻と怪獣との間」『成田亨 彫刻・映画美術個展』リーフレット、1968年

*2 成田亨『特撮と怪獣』フィルムアート社、1995年、p.256

*3 前掲書『特撮と怪獣』 p.251

成田亨
ウルトラセブン頭部
1967年
ペン、水彩・紙
※画像転載不可

展示室H|馬場のぼる:『絵巻えほん 11ぴきのねこマラソン大会』を中心に

(青森県立美術館サポートシップ倶楽部共催展)

馬場のぼる(1927-2001)は、青森県三戸町出身の漫画家、絵本作家です。戦後、漫画家としてデビューし、児童漫画・少年漫画の世界で活躍した後、大人漫画へと活動の幅を広げる一方で、1960年代後半からは活動の中心を絵本制作へと移行させていきました。特に1967年に第1作を発表した『11ぴきのねこ』(こぐま社)シリーズは馬場のぼるの代表作として、現在も多くの人たちに愛読されています。

『絵巻えほん 11ぴきのねこマラソン大会』は、こぐま社が刊行する「絵巻えほん」シリーズのうちの一作として制作された作品です。馬場のぼるは、この大画面を舞台にねこの国で繰り広げられるマラソン大会の様子を、スタートからゴールまでの時間の経過とともに周囲の風景も含めてパノラミックに描き出しました。

最終的に描かれたねこの総数は約1400匹にも及びます。それぞれのねこの大きさにバラつきがでないよう、基準となるねこのサイズを設定した鯨尺ならぬ“ねこ尺”を用いながらの制作は、アイデアスケッチやラフスケッチを描きつつ、修正を重ねながらの下描きまでに約2か月、そこから墨書きに入り、彩色して完成させるまでにさらに約2か月を要する大仕事となりました。

作品のメインはマラソン走者として登場するおなじみの「11ぴきのねこ」をはじめ、ねこの国に暮らす大勢のねこたちですが、他にも馬場のぼるの絵本によく登場する動物やキャラクター、馬場のぼるが好んだ草花、思い出の風物などが丹念に描き込まれており、読者は、マラソン走者のねこたちを目で追いながらも自由にサイドストーリーを想像し、楽しむことができるのです。まさに「絵で物語る」ことができた馬場のぼる作品の真骨頂といえるでしょう。

本展では『絵巻えほん 11ぴきのねこマラソン大会』原画を中心に、馬場のぼるが愛し、描き続けた作品世界の一端を紹介します。長年にわたり、絵を見ることの楽しさ、面白さを多くの子どもたちに届けてきた馬場のぼるの作品世界をどうぞお楽しみください。

馬場のぼる
『絵巻えほん 11ぴきのねこマラソン大会』原画(部分)
1984年
鉛筆、墨、水彩・紙
個人蔵
©Noboru Baba
※画像転載不可

展示室F+G|奈良美智:1990年代を中心に

青森県出身の美術作家・奈良美智は、挑むような目つきの女の子の絵や、ユーモラスでどこか哀しげな犬の立体作品で、これまで国内外の多くの人の心をとらえてきました。 現在170点を超え、世界最大規模を誇る当館収蔵の奈良美智作品の多くは、美術館が開館する8年前の1998年に収集されています。その頃ドイツに留学していた奈良は、制作の拠点をケルンに置いていました。欧米での発表の機会が増え始め、個人コレクターの間でも人気が高かった奈良の作品は、当時既に散逸が危ぶまれていました。郷土が輩出した新しい世代のアートの旗手として奈良を注視していた青森県は、その年、1980年代後半の初期作品から当時の最新作にいたるまで124点の作品を一度に収集しました。本展はその年の収集作品を多数含む奈良の1990年代のドイツ時代の作品を中心にしつつ、作家から寄託されている2000年代以降の作品も合わせて展示いたします。 奈良は2000年にドイツから帰国。翌年以降、初の大規模な個展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館を皮切りに、広島や弘前(現:弘前れんが倉庫美術館)など全国5か所で開催されると、奈良美智の名前は日本国内に広く知られるようになります。

奈良美智
White Riot
1995年
アクリル絵具・キャンバス
©Yoshitomo Nara
※画像転載不可

通年展示 アレコホール| マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の舞台背景画

青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。 これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」の依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。 残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。

 

★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。 アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。