寺山修司てらやま しゅうじ [1935-1983年]

寺山修司は1935(昭和11)年、弘前市生まれ。青森県立青森高等学校を卒業後、1954(昭和29)年に早稲田大学教育学部国語国文学科へ入学。1955(昭和30)年にネフローゼを患い、1958(昭和33)年まで入院しますが、同年に第一歌集『空には本』(的場書房)を刊行。気鋭の文学者として注目を集めます。俳句や短歌を皮切りに、その後はラジオ、テレビ、映画、写真、そして競馬やスポーツ評論と多様なメディアを縦横無尽に駆け抜けていったマルチアーティストです。
1967(昭和42)年に寺山は横尾忠則、東由多加、九條映子らと「演劇実験室◎天井棧敷」を設立します。1960~70年代はいわゆるアングラ文化全盛の時代。高度成長によって近代化が急速に進む一方、社会的な構造と人間の精神との間に様々な歪みが生じ、そうした近代資本主義社会の矛盾を告発するかのように権力や体制を批判、従来の価値観を否定していく活動が盛んとなったのです。そうした世相の中、寺山は大衆の興味や関心をひきつける術に特異な才能を発揮。文学を活動の根底に据え、あらゆるジャンルを横断しながら、特に演劇、映像作品では無限に広がるイメージの世界を表現していきました。演劇、映画のあらゆる「約束事」が否定され、感情や欲望を刺激するイメージで覆い尽くされた寺山の多彩な作品は現在もなお多くの人々を虜にしています。
寺山はまた東京を活動の拠点としつつも、故郷青森の言葉や風土を意識した作品を数多く残しています。1974(昭和49)年、脚本と監督を手がけた長編映画第二作『田園に死す』は芸術祭奨励新人賞を受賞。恐山と新宿のイメージが交錯する物語で、青森の家の壁が倒れると突如新宿があらわれる不思議なラストシーンに象徴されるように、現実と虚構、都市と地方、現在と過去、内面と外面、創造と破壊、生と死といった対立する概念をあわせ持つ作品ですが、この両義性の魅力こそ寺山芸術の大きな特徴と言えるでしょう。
既成の「常識」や「価値」に異議を唱え、あえて世界を様々な角度から捉えていくことで、寺山は社会的な制約、不自由さといった人間を取り巻く状況を鋭く写し、人間の精神をあらゆる束縛から解放しようとしたのです。1983(昭和58)年のエッセイ「墓場まで何マイル?」が絶筆となり、5月4日、肝硬変と髄膜炎のため敗血症を併発、寺山は47歳という若さでこの世を去りました。
当館では寺山による実験映画12本のフィルムと、天井棧敷の公演ポスター、チケット等全33点をコレクションしています。

天井棧敷定期会員募集

横尾忠則
《天井棧敷定期会員募集》
1967(昭和42)年
シルクスクリーン・紙
103.4×73.1cm

書を捨てよ!町に出よう!

及川正通
《書を捨てよ!町に出よう!》
1969(昭和44)年
シルクスクリーン・紙
108.9×79.2cm

星の王子さま

宇野亜喜良
《星の王子さま》
1968(昭和43)年
シルクスクリーン・紙
102.7×72.9cm