佐野ぬいさの ぬい [1932-2023]

1932(昭和7)年、佐野ぬいは弘前市の菓子店に生まれます。店内にはクラシックが流れるティールームがあり、家業の傍ら同人誌を発行していた父の友人たち、文学者や画家らがよく集っていたという文化的な環境の下で幼少期を過ごしました。父はまた、娘に津軽民謡を教える一方、フランス近代詩を暗唱させたといいます。
やがて女学校に入ると、終戦後に再び上映され始めた欧米映画、特に1930年代のフランス映画に心酔し、フランスに行きたい、パリの街を描きたいという思いに駆られ、まず津軽よりパリに近い東京へ行こうと、1951(昭和26)年、女子美術大学に入学します。
戦後間もない東京では、海外から新しい潮流が押し寄せ、それに呼応する斬新な芸術活動が次々と生まれていました。佐野は卒業後も大学に残り、画家の道を歩み始めます。やがて作品からは具体的な事物が消え、色彩の対比で画面構成を行う独自の作風を築き上げます。画面上では様々な色と形が響き合い、ニュアンスに富んだ筆線がときには素早い、ときにはゆっくりとした動きやリズムを奏でます。
佐野が創作の要として位置づけ、最も大切にしているのは「青」という色です。佐野自身もしばしば語っているように、明るく澄んだ青から暗く沈んだ青まで、「青」はとても幅の広い色です。日本にも水色、空色、藍、など多様な「青」がありますが、西洋由来の絵具にもいくつもの青色があります。セルリアンブルー、インディゴブルー、ウルトラマリンブルー、等々。これらのさまざまな「青」で、佐野はあるときは大胆に、またあるときは繊細に、キャンバスに形や線を描いていきます。そこに赤、白、黄、黒、などの色も加わると、色と形と線が隣り合い、重なり合いながらリズムを刻み、ハーモニーを奏ではじめます。リズムとハーモニーに導かれて画面をみていると、形や線の多くが一つの色で均一に塗られているのではないことに気付きます。絵具は盛り上げるように厚く塗られ、あるいは重ねた色が透けるように薄く塗られています、線は細く軽妙なタッチで描かれ、あるいは太く重々しく引かれています。なめらかでつややかに仕上げられた表面があるかと思えば、筆跡の凹凸を荒々しく残しているところもあります。色と形と線、そして画面の質感―マチエールの織りなすセッションが、画面に響き渡ります。
佐野は大学卒業後、新制作展や女流画家協会展を中心に多くの展覧会に出品し、国内外で個展を開催しています。また、母校で後輩の指導を続け、2007~11(平成19~23)年には学長を務めています。郷里の青森県立美術館や弘前市立博物館をはじめ、神奈川県立近代美術館など多くの美術館に作品が所蔵されています。

青の歴

《青の歴》
1965(昭和40)年
油彩・キャンバス
130.5×162.0cm

ペーパーガン・Z

《ペーパーガン・Z》
1991(平成3)年
油彩・キャンバス
162.0×162.0 cm

ブルーノートの構図

《ブルーノートの構図》
1994(平成6)年
油彩・キャンバス
212.0×182.0 cm