成田亨なりた とおる [1929-2002]

成田亨は『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』という初期ウルトラシリーズのヒーロー、怪獣、宇宙人、メカをデザインし、日本の戦後文化に大きな影響を与えた彫刻家兼特撮美術監督です。
成田は1929(昭和4)年、神戸市に生まれますが、年末に青森市へ転居(父と母はともに青森県出身)。旧制青森中学在学中に画家・阿部合成と出会い、絵を描く技術よりも「本質的な感動」を大切にする考え方を、さらに彫刻家の小坂圭二から対象物の構造や組み立て方、ムーブマンを重視する方法論を学んだ後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科へと進学。当初は油彩画を専攻していましたが、「地面から立ち上がるようなデッサンを求める」(成田)ため3年次に彫刻科へ転科。具象性を維持しつつもフォルムを自在に変容させ、動的かつ緊張感ある構成を作り上げていくという成田芸術の基礎がここで形づくられていきました。1954(昭和29)年の卒業後は新制作展に彫刻作品を出品する一方、映画『ゴジラ』(1954年)の製作に参加、映画美術の世界に入ります。1965(昭和40)年、東宝撮影所で円谷英二と再会し、「怪獣のデザインはすべて自分がやる」という条件のもと『ウルトラQ』の制作途中から参加します。『ウルトラマン』の制作に際し、「これまでにないヒーローの形を」という脚本家・金城哲夫の依頼を受けた成田は、ウルトラマンのデザインを純粋化という「秩序」のもとに構築し、対する怪獣のデザインには変形や合成といった「混沌」の要素を盛り込んでいきます。
美術家としての高い感性によってデザインされたヒーロー、怪獣は、モダンアートの成果をはじめ、文化遺産や自然界に存在する動植物を引用して生み出される形のおもしろさが特徴です。誰もが見覚えのあるモチーフを引用しつつ、そこから「フォルムの意外性」を打ち出していくというその一貫した手法からは成田の揺らぐことのない芸術的信念が読みとれるでしょう。
子供向け番組だからと手を抜かず、「私は彫刻家ですから、形を基礎に怪獣を考えました」と述べる成田。自らの芸術的信念を貫いて多くのヒーロー、怪獣、宇宙人を創造し、その成果はアートとサブカルチャーを横断した表現の先駆として、今も多くのアーティストに影響を与え続けています。
ウルトラシリーズ以降も、テレビでは『マイティジャック』や『突撃ヒューマン』、『円盤戦争バンキッド』など、映画では『新幹線大爆破』や『戦争と人間』、『この子を残して』、『トラック野郎』シリーズ、『麻雀放浪記』などを手がけ、晩年は鬼の研究に没頭。1990(平成2)年に京都府大江町に彫刻《鬼のモニュメント》を制作しました。絵画、彫刻、デザイン、映画美術など、幅広いジャンルで活動を続けた成田は、2002(平成14)年2月に72歳でこの世を去りました。

ウルトラセブン決定稿B案

成田亨
《ウルトラセブン決定稿B案》
1967(昭和42)年
ペン、水彩・紙
39.4×35.0cm

カネゴン決定稿

成田亨
《チブル星人》
1967(昭和42)年
ペン、水彩・紙
36.4×36.1cm

チブル星人

成田亨
《カネゴン決定稿》
1965(昭和40)年
ペン、水彩・紙
34.5×22.2cm