村上善男むらかみ よしお [1933-2006]

村上善男は1933(昭和8)年、岩手県盛岡市に生まれました。1954(昭和29)年岩手大学学芸学部国語科乙一類修了、同年花巻市立湯本小学校に赴任(その後、岩手町立岩手第一中学校、岩手県立盛岡高等学校で勤務)。
1953(昭和28)年の二科展で初入選し、以後1961(昭和36)年まで毎年出品します。1955(昭和30)年の二科展出品作が岡本太郎の目にとまり、「二科九室」(通称「太郎部屋」)に展示されて以降、岡本太郎に私淑しました。1962(昭和37)年、吉仲太造、馬場彬らと「集団α」を結成し、新宿第一画廊(東京)で展覧会を開催。「第6回シェル美術賞展」にて三席受賞。また「第14回読売アンデパンダン展」(東京都美術館)に出品。1968(昭和41)年、宮城県仙台市に移住。1960年代においては注射針を画面に無数に貼り付けた作品とともに計測器具、新聞、各種統計図等にあらわれる数字や記号を用いて構成した作品を発表し、高い評価を得ます。1970年代においては気象図や貨車に付随する記号をモチーフにした作品へと展開します。
1982(昭和57)年、弘前大学に赴任するとともに青森県弘前市に移住。以降は弘前市を拠点に作品制作を主としてデザインや著述活動など、多彩な創作活動を展開します。この時期の古文書を折り返して張り込んだ上から、釘を打つようにして白い点を描き、点と点とを結ぶ「釘打ち」シリーズは村上の代表作といえます。総じて村上の作品は自身の「民俗の最深部は、現代美術の最前線に通底する」といった言葉にも示されるような、モダンと土俗的な情緒性を同居させる理知的な画面構成が特徴であり、芸術表現と東北の風土の豊かな関係性を示すものです。2005(平成17)年に回顧展「北に澄む 村上善男展」(萬鉄五郎記念美術館、川崎市岡本太郎美術館、他)が開催されました。
村上は2006(平成18)年、盛岡にて亡くなりましたが、没後も青森県立美術館や弘前れんが倉庫美術館をはじめ、全国の美術館の展覧会でその作品が紹介されています。

汎

《汎》
1957(昭和32)年
油彩・キャンバス
73.0×100.0cm

針供養A

《針供養A》
1963(昭和38)年
釘、鉄、樹脂
36.0×15.0×15.0cm

津軽、赤倉澤支脈釘打圖

《津軽、赤倉澤支脈釘打圖》
1996(平成8)年
アクリル、和紙、古文書等・キャンバス
227.3×181.8cm