青森県立美術館に望む

第6回 長尾智子(フードコーディネーター)

青森のポシェットの中には

去年の晩秋のある日、早朝の便で青森に向かった。もうすぐ雪かも知れない、という情報をよそに、ところどころ紅葉の残る山肌に朝日が眩しく当たり、着陸前の飛行機の影を小さく映している。念のために持っていた毛布のようなショールなど全く必要のない、暖かい日だった。
私は青森に少しだけご縁がある。母方の先祖の墓が弘前の新寺町にあり、桜の頃や、まだ雪の残る八甲田山に行った思い出もある。母の本籍地は弘前城のすぐ側だったそうだから、その辺りを通る度に特別な思いが湧いて来なくもない。しかし、遠い親戚がいるだけで、実際には祖母も母も弘前で暮らした訳ではないから、写真でしか知らない祖父が食いしん坊で音楽が趣味だったことや、その親のこと、さらに遡っての先祖の話を「そうだったらしい」という曖昧さで聞いていた程度で、何の実感がある訳でもなかった。何年も前、桜が散りはじめる頃に家族でお墓参りをした時、時間の流れ方が違うという、それまで感じたことのない不思議な感覚に陥った。穏やかで独特なペースは街の動きだけではなく、言葉にも現われている。最近、東北に行く機会が多くなって思うのは、北の言葉の優しさと奥ゆかしさである。街を歩いて、買い物をしたり人と接した時にふと思う。何か大事なものがそこに見え隠れするような気がして、つい立ち止まって今聞いた言葉を反復してみたりする。そんな土地には、どんな美術館が似合うのだろう?最近は日本のあちこちで美術館ができて、建築が話題になることも多い。少しぐらい奇抜なものが建ったとしても私達は驚かなくなっているが、大切なのは、何故それがその土地に建てられるかだから、必然と思える説得力があれば、どんなに奇妙な形をしていても納得できるのかも知れない。中心地から少し離れた建築現場は、三内丸山遺跡の隣、視界の開けた見晴しのいい場所にあった。白く塗装が施されて野外に並んだレンガや土壁のサンプルを見た時、平面図や模型からは想像できなかった建物全体の手触りを一瞬にして目の当たりにする気がして、ちょっと慌てたものだ。これは大変。実際に出来上がったら、どんなことになってしまうのだろうと。早く、粗い土壁を触りながら階段を降りてみたい。そう思うほど、この土地と訪れる人の気持ちにフィットするに違いない質感であったわけだ。ここは多分、青森の気候風土や人や考え方の全てを表す場所になり得る、と直感した。私としては、そこには土地の豊かな産物を食べられるレストランやカフェがあってほしい。決して東京の流行りをなぞったようなものではなく、産地としての誇りに満ちた優しい食べ物があれば、誰でもそこに集まり楽しむもの。食材は正直だから、無理があれば居心地の悪そうな料理になるし、何の変哲もないりんごでも、誠意ある人の手で生かされれば、何ものにも変えられないご馳走になる。それは食べる人に、単においしいというだけでないメッセージとして必ず伝わるもの。身の回りから消えつつあるのも、そういう食べ物ではないか?と思えてならない。
穏やかな一日が終る頃、これが秋と冬との境なのかと思うような、冷たい風がひゅーっと吹いた。私は、それぞれの季節にきっと姿を変えて行くであろう美術館を想像する。そこは展覧会場の役割だけに留まらない、いつでも人が集っているような、暖かく魅力的な場所になって欲しいと心から思う。恐らくその日をきっかけに、青森は私にとって近い土地になったはずだから。先祖のお墓がある所、だけでなく。
縄文ポシェットの中には胡桃の実が入っていたからこそ、それを眼にした人の想像力を豊かにし、太古に思いを馳せるだけでなく、全く違う時代に生きていた彼等に親近感さえ覚えるのだと思う。どんなに箱が素晴らしくとも、重要なのは中に何が込められるかなのだ。展示物だけでなく、一体どんな場所なのかということ。
2006年、青森県立美術館というポシェットを覗くと、何が見えるんだろう?そこにはぜひ、人々の琴線に触れる魅力的な胡桃の実が入っていて欲しい。青森の言葉のような、奥ゆかしく優し気な音のする実がひと


ながお・ともこ
フードコーディネイター。東京都出身。クニエダヤスエ、花田美奈子に師事した後、1992年に独立。料理本出版の他、商品開発やメニューコンサルティング等で活躍。昨春六本木ヒルズ内にオープンした「トラヤカフェ」のフードデザインを手がけ、話題となった。素材の味わいを活かした、自由な発想のレシピで人気を集めている。主な著作に『スチームフード』*福田里香との共著(柴田書店)、『スープブック』(学研)、『ベジマニア』(文化出版局)などがある。母方の先祖は津軽藩士であった。


esperanza エスペランサ