青森県立美術館に望む

第4回 北島敬三(写真家)

メモ:変死する写真

私は、美術館やギャラリーに飾られている写真には、どこか違和感を持つ。作品然とした写真を見ると、それがどんなにショッキングな被写体であろうと、あるいは重厚な支持体にささえられた巨大プリントであっても、結局とり澄ました弱々しいものに感じてしまう。そこでは、写真特有の<強度>が失われ、物足りなさを感じてしまうのだ。
もとより写真は、純粋な<イメージ>ではないし、あるいは確かな<物体>でもない。<イメージ>と<物>との中間に位置するような不安定な存在である。実際、写真は手で破くことができる。無論、絵画も破くことはできる。だが、そうではない。破かれて物質に帰る絵画とは違い、写真の断片は、そこでまた新たな<イメージ>を生成してしまう。それはまさに、一枚の写真にほかならない。逆に言うと、あらゆる写真はそもそも断片的な物であり、つねに複数的なイメージなのである。つまり、作品というものが持つ同一性や全体性は、写真においては初めからすでに解体されているのである。
また私は、写真が美術史にその一部としてすんなり組み込まれてゆくことにも抵抗感をもっている。
写真史が、写真作家史あるいは写真作品史として語られるときの胡散臭さもそこにある。R.クラウスが指摘するように、写真草創期に生涯2年間だけ写真を撮った人をあえて写真家と呼び、あるいはアジェの写真の整理番号(図書館の整理のため)をその作品性の証と誤読するような写真史はいくらでも見つかる。あるいはまた、J.クレリーによって批判、証明されたにもかかわらず、カメラ・オブスキュラとカメラとを連続した視覚装置とみなし、したがって写真的な視覚は絵画がすでに内包していたとするような、美術史中心主義もいまだに根強く残っている。だが、私は「19世紀に始まった写真の時代は、もし視覚の歴史といったものがあるとすれば、人類がそれまで経験したことがないほど大きな視覚の変容をもたらした、ある特殊な時代なのだ」という認識に同意している。美術史のような写真史など無意味だと思っている。
意外にも、写真が美術館やギャラリーに展示されるようになったのは、ごく最近のことである。
まず、60〜70年代のコンセプチュアルアートの作家が写真を多用したということがあった。つまり、美術館に展示したりギャラリーで売買することが不可能な作品の等価物として写真が取り扱われたのである。そこではじめて美術品として写真が流通するシステムが確立したのだ。その頃、多くの美術館が写真専門のセクションを作り、写真専用の展示スペースを確保し、写真を専門に売るギャラリーも出現しはじめた。80年代、いわゆるポストモダンの時代になると、写真がもっている脱構築する力といったものを、美術そのものを脱構築するために利用したということがある。写真を内在させた多くの絵画作品が制作され、写真家もまた頻繁に美術館に召喚されるようになる。さらに、美術制度のなかでのマイナー・メディアの位置づけを見直すという文脈のなかで、写真自体がPC(ポリティカル・コレクトネス)の対象になったということもある。いまだに絵画を頂点としたヒエラルキーが厳然と残ってはいるにしても、とりあえずは、写真も絵画や彫刻その他と同等に美術館やギャラリーに並べられるようになったのである。
しかし現在、そうした絵画や彫刻、写真といったジャンル分けを規定していたモダニズムの枠組み自体が無効になりつつあるのも事実だ。特に、1989年頃に冷戦構造が解体してからは、美術作品を価値判断する基準が無際限に拡大しているように思われる。そこでは、あらゆる解釈が可能になり、したがって、あらゆるものが正当性を持ちえるということである。もはや、特権的な価値やジャンルなど存在しないのである。美術制度の中で、写真がその正当性を主張する必要もまったく無い。むしろ逆に、この決定不能という事態の中で、写真は自らの役割を終えればよい。もともと写真は、誰にでも撮れるし、何処にでもあるものなのだ。
今後、写真というメディアは徐々に衰退していくだろう。
去年ついにデジタルカメラの生産量が従来型カメラのそれを上回ったという。最近のインターネットやコンピューターグラフィックス、あるいは3Dホログラフィーやバーチャル・ヘルメット、スーツなどの発達には目をみはるものがある。また、湾岸戦争のハイテク映像が私たちの知覚にあたえた影響も計り知れない。そういった仮想的な視覚空間においては、<写真=イメージ>がもっていた遠近法的な空間、観察者としての主体、現実の指示対象、ミメーシスのコード、複製機能といったものがことごとく消滅してしまっている。まったく新しい知覚空間が広がりつつあるのだ。それは、私達が慣れ親しんできた視覚空間が衰退していくということでもある。写真という19世紀的な視覚装置によって遡及的に生まれた<見る主体>というものが徐々に死んでゆくといってもいい。もともと<複数性>として生まれた写真は、その死においても同一性を持つことはない。拡散し変容する写真の死。そういった時代において、なお<作家>の名において写真を撮るということにどれほど積極的な意味があるのか。あるいは写真を<作品>という名のもとに美術館やギャラリーに展示するということに、はたしてどういうリアリティーがあるのか。そのことが問われているように思われる。

きたじま・けいぞう
1954年、長野県生まれ。75年にワークショップ写真学校の森山大道教室に参加し、翌年、森山らとともに自主ギャラリー「イメージ・ショップCAMP」を設立。82年に刊行した写真集『New York』(白夜書房)で木村伊兵衛賞を受賞。91年には、世界の大都市を大型のカメラで撮影した写真の展覧会「A.D. 1991」(パルコギャラリー/東京)を開催し、写真集『A.D. 1991』(1991年、河出書房新社)を刊行。2001年、当室のプロジェクト〈キッズ・アートワールドあおもり2001〉に招聘アーティストとして参加。また同年から翌年にかけて、近年取り組んでいるシリーズ「PORTRAITS」の展覧会「北島敬三写真展: PORTRAITS」を川崎市市民ミュージアムで開催。現在は写真家の仲間とともに運営する新宿の自主ギャラリー「photographers' gallery」(2001年開廊)を拠点に活躍。


esperanza エスペランサ