青森県立美術館に望む

第3回 奈良美智(美術家)

縄文と美術館で思い出したこと

小学校の高学年の頃、土器を発掘するのが流行ったことがあった。どこそこの神社の床下を掘ると出るらしいと聞けば、みんな競うようにして自転車を走らせた。その頃、弘前公園の中にある建物で土器が見れるという情報もゲットして、日曜日になると弘前公園に向かってペダルをこいだ。追手門をくぐって左におれて、市民会館の脇を進むとそこには小さな建物があって県内から出土した縄文式土器やなんかが展示されていた。人気の無い展示室でガラスケースの中を覗きこんでいると心がときめいたものだ。そのときめきは博物館学的な興味によるものではなく、薄茶けた古代のかけらにそれを作ったであろう人という存在を想うという少しロマンチックな気持ちだった。後にその資料館は同じ公園内での市立博物館の建設と完成に伴い無くなってしまったと記憶しているが、立派な博物館ができた頃は小学生の気まぐれな考古熱も冷めてしまい、新しく流行りだした切手集めにみんな熱中するようになっていた。

新しく建った博物館には中学、高校と何回か行ったはずなのだけど、今こうして当時を回想してみても何故か思い出せず、あの小さな小屋のような資料館だけが、あの頃の気持ちそのままに頭の中に浮かんでくるのはなぜだろう。あれが生まれて初めてのミュージアム体験らしきものだったからだとも思うけれど、それだけではないことは確かだ。

高校卒業後、上京して一人暮らしにも慣れたある日の午後、僕は上野公園にある西洋美術館で一枚の絵の前にずっとたたずんでいた。その絵はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの油絵で、彼特有の生き生きとしたタッチと色で郵便配達夫が描かれていたのだけれど、僕をその絵の前に留まらせていたものは、色や構図が良いとかモチーフがどうとかそんな感慨とは違っていたと思う。それは絵の前に立った時の「まさにこの位置に画家が立っていたのだ!」という感動だったのだ。画家はここに絵筆とパレットを持って立ち、このキャンヴァスとその少し向こうで椅子に座ってポーズをとるモデルとを交互に見つめながら描いていたんだと思うと、その場所から動けなかったのだ。絵が掛けられた壁の向こうにポーズをとっている郵便配達夫が確かに居て、僕は彼までの距離すらはっきりと感じられるようで、その奇妙な感覚をずっと体験していたかったのだ。たった一枚の絵が、僕の体をタイムマシンのように時と場所を越えさせていること。それは幼い頃にあのちっぽけな資料館で見た土器、その土器の表面にまとわりつくように動いた縄文人の手を感じた感覚よりもリアルだった。

閉館時間がやってきた美術館を後にして、夕暮れ迫る上野公園をゆっくりと歩きながら僕は余韻を楽しんだ。そして適当なベンチに体を横たえて、生い茂る樹木の枝を仰ぎながら、ひとつ又ひとつと星の数が増えていくのを見ていた。

さて、今は2002年。時は静かに過ぎていつのまにか21世紀がやってきたけれども、星はあの頃と変わらずに瞬いている。考えてみれば太陽が生まれてから100億年、その太陽を回る地球が生まれて50億年、そして人類がその地球上に姿をあらわしてから200万年…。無限とも思われる宇宙の歴史を考えると、人類の歴史はほんの一瞬の瞬きなのかもしれないな、なんて思ったりもするのだけれど、それは決して悲観的な思いではない。逆に今生きているという時間の貴重さを感じるのだ。そう思うと、ちっぽけな縄文土器のかけらすらも、誰かが作りそして使っていたこと、いつしか土の中に埋まりながら長い年月を経て掘り出され現代人と対面することも、いとおしいことに感じる。そして青森県に新しく誕生することになる美術館は、偶然にも20世紀の終わりに発掘された三内丸山という縄文時代の集落跡に隣接して建つことになり、蓄積された膨大な時間を有する遺跡との関係性が充分に考慮されたものになるらしい。最近その設計者である青木淳氏とお会いする機会があって、設計図面を見たりしながらいろいろ話すことができた。建てられる場の持つ特性との関連だけでなく、展示室とその空間自体が必然的に抱え込む「建築空間として自立しながらも、展示されて成立しなければならない空間」という根本的な問いの答えが実際にどんなふうに眼前に開けるのか、楽しみにさせてくれる話だった。

日本の高度成長期から雨後の竹の子のように各地方に美術館が建てられ始めたけど、そのほとんどは作品が展示しにくい空間になっていて、展示構成する側にしてみたらかなりの苦労を強いられた気がする。絵や彫刻、作品と呼ばれるものは、いつか見たゴッホの絵のようにそれひとつでも、成立していなければいけないものなのだろうけど、美術館という入れ物があって展示室という箱があるのなら、その中に作品たち自体が相互に気持ちよく納まっているのが理想だろう。しかたなくそこに飾られるのではなく、そこにあることが作品たち自体をも活性化させていなければならない。遺跡を見て感じるリアリティは、発見された後でそう言い切るのはあまりにも当たり前すぎるかもしれないけども、そこにそういうふうにしてなければならなかったと言い切れるものたちが、そこにそういうふうにしてあったからだ。

たとえば、最近の遊園地は綿密に計算されて造られているから、園内を巡るコースをたどっていくだけで誰もが楽しめるようなっていて、しかしその分楽しみ方は画一化されてしまう。何もない原っぱで遊び走り回る時は、人の数だけそこにコースが生まれ、みんなが何日も遊ぶうちにそこが独特の遊園地に変わっていくのだろうけど、そこには個人の創造力が必要とされるだろう。遺跡に隣り合うようにして建つ美術館は、きっとその両者の長所がうまくミックスされたような展示空間を所有するものになるだろう。そして、その空間を想像し始めると僕自身の創造力も自ずと喚起されていくのだけど、それは美術館の開館に向けて準備している方々もそうだろうし、開館を待っている人々はきっとみんなそんな気持ちなんだろうと思う。

そして、やっぱりレストランには郷土色あふれるメニューが並んでたらいいなぁ・・・


なら・よしとも
1959年青森県弘前市生まれ。愛知県立芸術大学修士課程修了。1988年ドイツに渡り、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学。1993年に同アカデミーを修了後、ケルンで創作活動を続け、2000年に帰国。現在は日本に活動の拠点をおき、国内外で作品を発表している。青森県をはじめ、徳島県立近代美術館、サンフランシスコ近代美術館、ロサンゼルス現代美術館などに作品が収蔵されている。昨年から今年にかけて新作による個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館を皮切りに芦屋市、広島市、旭川市と全国を巡回、今年の夏には弘前市を最終会場として開催される。


esperanza エスペランサ