版画誌を追って

板倉容子(学芸員)

昨秋、青森県立郷土館で「緑の樹の下の夢―青森県創作版画家たちの青春展」という展覧会が開催された。この展覧会は、昭和戦前期に青森県内において刊行された創作版画誌の歩みをたどりながら、版画制作に情熱を傾けた青年達の作品を紹介しようというものであった。
数年前、当室で『葉蔭』と題された小さな版画集を収蔵した。5枚の版画を纏めたこの版画集は、蛙、イモリ、亀などの小さな生き物が葉の蔭から顔を覗かせている様を作品にしたものであるが、私がこの版画集に興味を惹かれたのは、版画自体もさることながら、版画集全体に貫かれた、作者のデザインに対するこだわりにあったように思う。装丁からモノグラムに至るまで瑞々しい感性とユーモアに溢れており、当時、この一冊の版画集と簡単な経歴以外には何の手がかりもなかった松下千春という、この版画集の作者に対して興味を募らせたのだった。その後、彼が昭和7年に『純』という版画誌を、県内初の創作版画誌である『緑樹夢』(昭和5年)に参加していた旧制青森中学校の同級生根市良三、柿崎卓治らとともに刊行していたことを知り、この展覧会を前に御遺族の方とお会いし、遺されていた資料について見せていただく機会に恵まれた。
松下は中学卒業後、昭和8年頃に上京。伊勢丹百貨店宣伝課に勤務するが、戦時中召集されて旧満州に赴き、戦後、シベリアで亡くなっている。彼が伊勢丹在職中に手掛けた広告デザインの数々は、『葉蔭』に通じる柔らかな感覚に溢れており、もし、彼が戦後も活躍していたら、と思わずにはいられなかった。資料の中には個人蔵書票集も5冊遺されていたのであるが、その表紙を飾る版画(象と豹の図柄と、「SYO」というローマ文字からなる)を何気なく眺めていて、それが「象SYO豹=蔵書票」を表していることが分かった時は、なんとも嬉しい気分にさせられた。版画誌『純』は一号のみで終刊したが、同人であった根市、柿崎とは生涯固い友情で結ばれていたようである。彼等3人は、昭和21年〜22年に32、33歳の若さで相次いで亡くなっているのであるが。
版画誌の調査をはじめて間もない頃、ある版画家から当時のことを伺った際に、彼が語った言葉がずっと頭から離れなかった。「なぜ、私達が版画誌を作っていたのかを理解するためには、もっと当時の社会状況や生活を知ってください。話をしたり、歌を歌ったりしながら皆で本を作る、それが唯一の楽しみだったような時代なんです。」
否応無く戦争という時代の波へとのみ込まれる直前の、ほんのひとときではあったが、版画、あるいは版画誌を通して彼等は青春を謳歌し、かけがえない友情を育んでいったように思えてならない。緑の樹の下で語り合い、版画に夢を託した青年たちの鼓動が、版画誌の中に今も息づいている。


学芸員エッセイ