青森県立美術館に望む

第2回 三浦雅士(評論家)

本県主義者の弁

ねえ、本県主義って知ってる?
昔、寺山修司さんが、何かの話のついでに、そう尋ねてきた。封建主義じゃない、本県主義。もちろん、こっちは知るわけがない。辞典にだって載ってやしない。すると、寺山さんは、青森県の新聞にはね、青森県出身の人をめぐる記事や、青森県出身の人が書いた記事が載ると、必ずその末尾に「誰それは本県出身者」って入るんだよ、それが本県主義というわけ、と、いかにも愉快そうに笑った。そうか、それが本県主義か、と、こっちは笑うに笑えなかった。なんか、青森県人の屈折した悲哀のようなものを感じたからだ。
こっちは隠しようもない津軽出身者である。経歴につねに青森県生まれ弘前高校卒と記されるからだけではない。気質がまるっきり津軽なのだ。太宰治の『津軽』に登場する蟹田のSさんそっくりだと何度か言われた。このSさん、典型的な津軽人で、かなり滑稽な人物、ほとんど道化的な人物なのである。その道化的人物に似ていると言われて、はじめは傷ついたが、いまは慣れた。いや、むしろ密かに誇るところさえある。よろしい、こっちは先祖代々、津軽の水呑百姓、関西はもとより関東にさえ差別されてきた種族である。菅江真澄が描いたような北の果ての歴史をすべて引き受けて、毅然と立って闘ってやろうじゃないか、という気持ちがないわけじゃない。
津軽名物のひとつに自殺がある。たとえば太宰治の戯曲『秋の枯葉』に、その典型的な心情が描かれている。こっちにも似たような気質があってほとほと困っている。原稿にそう書いて、書きなおしを命ぜられたことがある。怒り心頭に発したが、依頼主がJR東日本のPR誌だった。鉄道の雑誌で自殺を煽ってはやはりまずいだろうなあ。そう思いなおし、誠実に書きなおしたのである。こういう軽薄かつ短気も津軽って感じがする。さて、津軽名物のもうひとつに互いに足を引っ張るという話がある。もちろん、そんなことは日本全国どの地方にもある。けれど津軽は度が過ぎる。仲間どうし貶しあうこと夥しい。ちょっとでも名が出ると、あの洟垂らしが何を偉そうに、ということになる。本県主義は、ほんとうはこの足引っ張りの裏面なのである。寺山さんと話して、ちょっと複雑な気持ちになった理由だ。
自殺はいい、だけど足引っ張りはまずい。裏返しの本県主義には警戒せねばならぬ。別に悶々としたわけではないが、少なくともこっちは、自殺はともかく、足引っ張りだけはしないことに決めたのであった。そして密かに、裏返しではない、素直な本県主義者たらんと決意したのである。これはしかし簡単なことだ。恥ずかしがらずに思うことをそのままに言えばいいだけの話なのだ。葛西善蔵も太宰治も石坂洋次郎も素晴らしい。寺山修司も棟方志功も工藤哲巳も素晴らしい。親類を誇るのはみっともないような気分で、同郷人のことを謙遜よろしく、いやそれほどのものでも、なんてことは絶対に言わない。なぜ優れているのか、明言する。そう決めたのである。青森県の、津軽であれ南部であれ、あの風土に育ったものはそれだけで得点一。そう公言することにした。津軽出身だが、幼年時代の数年は八戸で過ごしているのだ。南部の風土だってよく知っている。あ、県人会が始まったなんて言われるが、それで結構。
そんな話、美術館といったいどんな関係がある?と言われそうだが、関係あるのだ。
この北の風土、北の気質をもっとよく示すのがネブタだ。ぱっと激しく華やかに燃えて、あっという間に燃えつきる。精根込めて造った巨大な灯篭を、数日後には川に流し、海に流してしまう。後生大事に取っておくなんてことはしないのである。すごいね、これは。これこそ津軽の思想のエッセンス、北の思想のエッセンスだが、じつは同時に美術館の本来あるべき姿なのだ。そう思うのである。
何がなんでも取っておいて、時代順、空間順に並べて、それで児童の歴史知識を養い、審美眼を養うなんて、そんなケチな真似はしない。美とは生の体験であって、いまここにこうして生きているそのことを圧倒的な力で感じさせるものなのだ。そういうものを美というのだ。リルケじゃあないが、美とは恐るべきもののはじめなのである。つまり、恐怖の体験なのである。
「ネブタの副産物は喧嘩だ。全市各部隊のオンパレードで一通りの運行が了えると、十一時頃から各部隊は自由行動にうつる。喧嘩が始まるのは大抵深夜の一時二時頃だ。双方かなりの大部隊で、石合戦に火蓋をきり、最後は竹や竹槍の相当凄まじい白兵戦を演ずる。その筋を憚って戦争地帯にはおおむねもの寂しい屋敷町を選ぶが、『そら始まった!』となると、いつどこにひそんでいたものか、瞬く間におびただしい見物の群集が集まってくる。」
石坂洋次郎の短篇「風俗」の一節。一九三三年、『文芸』に発表された。いまは『わが日わが夢』(路上社)で読むことができる。
津軽名物に喧嘩も付け加えなければならなくなりそうだが、昔は確かに喧嘩ネプタってのがあった。文字通り恐怖の体験だが、これこそ美の体験に近いものなのだ。この時空を美術館に現出させること、すなわち、美術館をひとつの劇場と化すこと、美術が空間芸術である以上に時間芸術その日その場のその体験がすべてである芸術であることをはっきりと印象づけること、つまり、北の風土をそのまま美術館に変貌させること。素直な本県主義者としては、そう力説したいのである。
管見では、世界の美術館はいまそういう方向に、すなわち劇場化の方向に向かっているのである。そして本県主義者としては、津軽こそその先端を切ることができるはずだ、なぜならネブタがあるから、と、確信しているのである。以上、本県主義者の弁。


みうら・まさし
1946年青森県生まれ。弘前高校を卒業後、出版社「青土社」創立に参加。『ユリイカ』、『現代思想』などの編集長をつとめる。1981年に退社して執筆に専念。1984年『メランコリーの水脈』で第6回サントリー学芸賞・学術文学部門、1991年『小説という植民地』で第29回歴程賞、1996年『身体の零度』で第47回読売文学賞・評論伝記部門を受賞。1984年から1986年まで、米コロンビア大学客員研究員。文芸評論のほか、1991年に『ダンスマガジン』誌の編集長に就任し、舞台芸術の分野でも批評活動を行う。近年の著書に『バレエの現代』(1995)、『考える身体』(1999)、『バレエ入門』(2000)、『批評という鬱』(2001)、『青春の終焉』(2001)など。


esperanza エスペランサ