美術館の思想、着想、そして形−基本設計をめぐって−

土の展示室

青木淳(建築家)

2000年2月、私たちの案は、設計競技において最優秀案に選ばれました。以降、私たちは、その案に基づきながら、運営にあたられる方々をはじめ関係する多くの方々と様々な議論を重ね、いま2001年の3月、ようやく基本設計をまとめあげたところです。
設計競技案のもっとも根幹にあるアイデアは、その断面構成に現われています。土が上向きに凸凹した地形をつくっています。その上から下向きに凸凹の構造体が覆い被さっています。構造体のある部分は、土にまで達し、またある部分は土に達する手前で終わっています。こういうことの結果、土の凸凹と構造体の凸凹との間に、隙間の空間が生まれています。私たちは、その隙間を展示室として使うことを提案しました。床は土です。壁も場所によってはまた土になるかもしれません。私たちは、そこを「土の展示室」と呼ぶことにしました。展示室は、構造体のなかにも設けられます。そこは「ホワイトキューブの展示室」です。「土の展示室」と「ホワイトキューブの展示室」。こうして、その対極的な二種類の展示室が、交互に現われる。それが設計競技案の建築的な面での、もっとも大切な提案でした。
なぜ「土の展示室」を提案したのかと言えば、この美術館に隣接して三内丸山縄文遺跡があるからでした。というと、話が逆、なのかもしれません。正確に言えば、まずそこに三内丸山縄文遺跡があったのです。この遺跡は非常に重要な意味を持っていました。それは、縄文時代に農耕や栽培が行なわれていたことを証拠だて、それらの起源を弥生時代とする定説をみごとに覆したのです。また、三内丸山では栗や稗が栽培されていたことがわかっています。つまり縄文時代の人々は多品種の栽培と、海や山での狩猟など、自然の生態系と共存しながら生きる術(すべ)を知っていたのでした。縄文時代の農耕は、弥生時代の稲という一品種に片寄った農耕とは異なるものでした。しかし、それは自然との共存という観点からすれば、むしろ弥生時代の農耕よりも優れていると言ってもいい、という意見もあるくらいです。青森の人々にとって、そういう三内丸山縄文遺跡が精神的なシンボルになったことは、想像に難くありませんでした。実際、この遺跡があったからこそ、そこに隣接する総合運動公園を文化の森として再整備することが決定されたのだと私たちは思っています。
そうであれば、その文化の森の中心施設であるこの美術館は、三内丸山縄文遺跡と強い連関をもつべきでしょう。では、どうやって?縄文はあまりに遠い時代です。そのころの建築様式はおろか、彼らが持っていたものの考え方も推測の域を出ません。彼らの思考様式がわからなければ、遺構からその時代の建築様式を正確に演繹(えんえき)することもできません。だとすれば、私たちが推測している縄文様式の建築というのが、本当に縄文時代の様式であったかどうかがわからないのです。私たちは、そんな悩みを抱えながら、三内丸山縄文遺跡に訪れることにしました。私たちがそこで見たものは、類まれな力強さをもった発掘された六本の巨大な柱の根元であり、土を縦横に切ってできたトレンチ(溝)の断面が示す深い時代の積み重なりでした。それらの風景に私たちは圧倒されていました。そしてそのときに、縄文時代そのものを引き継ぐことはできないにしても、その発掘現場の質なら美術館に引き取ることができるのではないか、という着想が私たちのなかに生まれました。美術館の空間を、発掘現場のトレンチ同様に、縦横に走る土の溝でつくりだしました。それが、上向きに凸凹な土の断面だったのです。
もちろん、この美術館は「縄文美術館」ではありません。現代の美術も扱う「県立美術館」です。だから、この「土の展示室」がなぜ美術館空間として相応しいのかという、美術館としての観点も欠かすことができません。あるいは、むしろそちらの方がより重大な問題なのかもしれません。
大谷石(おおやいし)の採掘場がそのまま展示空間として使われたことがあります。パリのクリュニー美術館では、ローマ時代の遺跡をそのかたちで残しながら、展示空間として使われています。これらの展示空間は、スケールとプロポーションと光の状態にまで還元された部屋、つまり「ホワイトキューブ」とは対極的な質を持っています。まずそこには空間としての強い特性があります。またその特性は誰かの作為ではなく、なんらかの正当な根拠があって、それを徹底的に展開した結果としての空間が出現してしまっています。そこにはそこでどう感じて欲しいという意図がないのと同時に、しかし強い質が存在しています。
美術館とは、人間がなにかをつくることに捧げられた空間だと思います。そして、なにかをつくるとき、そのつくる内容を空間が先回りしてしまっていては、ひどい窮屈を感じるものだと考えています。空間は、確かにつくることに先行して存在する場合もあるけれど、そこから読み取る内容はつくる側の手になければならない。つくる人が、その空間を前提として、そこでなにを行なうかを決め、それを実行する。それは、サイトスペシフィックなつくり方と呼ばれるものですが、それができるためには、その空間がある強い質を持っていながら、その質の向こうにこちらのつくることを決めつけるような意図があってはならないと私たちは考えました。
私たち設計者は、つねにそこでどんなことが行なわれるだろうか、という想定なしには空間をつくることはできませんし、またそうすべきではありません。しかし、そうすることが、結果として、そこでのつくることの自由を奪ってもいけない。「土の展示室」は、空間が作品に先行する、つまりサイトスペシフィックな作品に対応する展示室として考えました。土は空間に非常に強い個性を与えます。しかし、その個性は、そこで行なわれることの想定から生まれたものではありません。青森の、この場所だからこそ、生まれてくる空間なのです。



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