版画誌を追って

板倉容子(学芸員)

私が創作版画誌というものの存在を知ったのは今からちょうど10年前、私の実家がある静岡の県立美術館で1991年に開催された『静岡の創作版画―昭和戦前・版画家たちの青春』という展覧会を見たのが最初だった。この展覧会は、私にとって非常に興味深いものだった。何気ない日常風景や草花などをモチーフにした素朴なタッチの版画が収められた、いかにも手づくりといった柔らかな雰囲気を持つ作品の世界にどことなく心惹かれた部分もあったが、何より私の心を惹き付けたのは、静岡の創作版画誌というものが、二十歳前後の、美術や文学好きの若者たちによって制作されていたという事実にあったように思う。当時の私にとっては、こうした活動を展観する展覧会自体も新鮮であったし、また、こうした活動が昭和戦前期、当時の若者の間で、一つのブームを形成していたという事実も新鮮だった。そして、創作版画誌の存在を知ったことは、昭和戦前期の若者と、当時の彼らと同世代だった私との時間的な距離をほんの少し縮めてくれたようにも思えた。現代でもさまざまな分野で若者たちが、自分を表現する媒体として制作するミニコミ誌やフリーペーパーといったものがそうであるように、創作版画誌には当時の若者文化とでもいうべきもののかけらが留められているような気がして、当時の若者がどんなことを考えていたのかを知る手がかりになるのではないか、そんなふうに思えたのである。

さて、大学を卒業して青森の美術館整備のために学芸員として採用された1994年。その頃には創作版画誌のことなど、すっかり頭から消え去っていた。そんな勤め出してまもない頃のこと、或る人物が「関野凖一郎の版画が貼ってあるハガキが出てきたのですが・・・」といって偶然持ってきたハガキを目にした時、私の中で、静岡の創作版画誌のことが思いがけなく甦ってきた。このハガキの宛名には『かけたつぼ』(静岡で発行されていた版画誌名)中川雄太郎様、差出人のところには佐藤米次郎と記されており、版画の原版を郵送するので、作品を刷って、版画誌に掲載してほしい旨が書かれてあったように記憶している(あるいは、宛名と差出人の名前が逆だったかもしれない)。このハガキがきっかけとなって少しずつ調査を進めるようになり、静岡と同様に青森においても、多くの若者たちの手により版画誌が制作され、全国各地の版画誌と交流が行われていたことがわかってきた。

今年、青森県立郷土館で、青森県の創作版画誌を展観する展覧会が開催されることになり、私も微力ながらお手伝いさせていただくことになった。本格的な調査はまだはじまったばかりであるが、この展覧会を通して、当時の若者たちがどんな青春時代をすごしていたのか、そして、どんな思いを込めて創作版画誌を制作していたのか、そんな時代の空気を少しでも感じることができたらと、私自身とても楽しみにしている。


学芸員エッセイ