青森県立美術館に望む

第1回 西野嘉章(東京大学総合研究博物館教授)

誇りとしての「独善」

待望の施設がいまわれわれの前に姿を現わそうとしている。新しい美術館の誕生は青森県民にとって大きな福音となる。とくに地方分権の流れのなかで地域文化の活性化が求められる時代ゆえ、なおさらである。県の芸術文化活動の実質的な受け皿として、また県民の社会生活の象徴的なランドスケープとして、様々な可能性を秘めたこの巨大施設が、地域の文化拠点として順調に船出できるかどうかは、そのプロセスを支援し、看守する県民の姿勢にかかっている。美術館が存在感を発揮するために必要とする、こう言って良ければ「個性的」な振る舞いを、県民はどこまで許容できるか。芸術文化に接する県民一人一人の理解力の幅と、寛容さの度合いがいま問われているのである。
国内のミュージアムの現状を顧みると、新しい美術館を取り巻く外的な条件は決して甘くない。われわれはいまや美術館・博物館がすでに三千館近くを数えるミュージアム乱立時代にある。しかも、現在構想が固まりつつある新美術館は県立レヴェルの施設として国内最後発であり、かてて加えて、他府県で既存の公立美術館が改修や新修を迎えようとする時期に新しく誕生しようとしている。収蔵品について言えば、平成四年に美術資料取得等基金を設け潤沢な資金を備えてはいるものの、展示品の中核をなす固有のコレクションを蔵していたわけでなく、今後も外部からの作品購入に頼らざるを得ない状況にある。社会教育や情報発信のサーヴィスについてもまた、アーティスト・イン・レジデンス、ハンズオン、デジタル・アーカイヴなど、他所ではすでに「次世代型」事業のあり方が模作されつつある時代に、大型の新しい美術館として発足することになる。
なるほど、こうしてみると青森県の美術館の先行きは容易でなさそうである。しかし、新しい美術館を取り巻く前件を、ネガティヴなものとばかり見る必要はない。最後発の県立美術館というのは立派な属性であって、既存館の持ち合わせぬその特殊性を生かす術(すべ)はないものか。というよりも、そのことをむしろ逆手に取って、国内各地の美術館が経験してきたことを教訓として学び、それらの反省を踏まえつつ新しい事業を興すことができるという点で、青森県の美術館はいまや最良のスタート・ポイントに立っていると考えるべきである。
最後発館の振る舞いとして是非とも避けて欲しいのは、既存の美術館の現状を是認(ぜにん)し、その運営方法を盲従することである。既存館の経験から、これまでなされずにきたことを知悉(ちしつ)し、それを実現するにはどのような手立てが考えられるか、いまいちど冷静に考え直すに若くはない。美術館運営の「常道」なるものを排し、美術館としての独自性を主張するために、組織や運営の面で出来るだけ斬新な仕掛けを工夫すること。当然のことながら、個性の強化のためには、建物や施設のディテールに至るまで、細かく神経を砕かねばならない。これについては幸い、オープンコンペにより青木淳氏という思考において柔軟な建築家を得て、独創的なコンセプトが具体化しつつある。学芸担当者は建築家に対し、機能の充足というミニマムな要求を突きつけるだけでなく、建築空間の構成から設備備品の詳細に至るまで、他では到底実現し得ぬような独創的な装いの実現を求め続けて欲しいと思う。
同様に、活動プログラムや収集事業にも斬新な試みへの挑戦が期待される。いまさら繰り返すまでもないことかもしれないが、実現可能なこととして新美術館に期待する事業を以下に掲げておきたい。
その一つは、「美術館建設基本計画」も触れているが、青森県内の既存の博物館施設および博物館相当施設のネットワーク化の推進である。独りアート情報や単発型イヴェントのやり取りだけでなく、中長期的なスパンでもって人的資源や収蔵品の交流を図り、県内に蓄積された文化的社会資本の高度活用を目指して欲しい。そのためには、社会教育ネットワーク事業、県有美術文化財グローバル・データベース事業、美術品・資料等交流ネットワーク事業など、各種交流・蓄積事業の推進母体としての自覚を強め、ローカルなサテライト(衛星館)を束ねる基幹センターとしてこれまで以上に強いイニシアティヴを発揮する必要がある。この種の事業を推進するにあたっては、公立や私立など各館の設置形態、運営形態の違いがネックになるケースもあるが、粘り強い交渉を通して包括的なネットワークの実現を望む。ミュージアムあるいはそれに類する施設は、公私を問わず県民益、あるいは公益のために存立している。時にその原則を再確認しつつ、積極的に事業推進することが大切である。
高度情報化時代のネットワーク化事業には、当然、海外の美術館との提携も射程に入れなくてはならない。展示の目玉となるシャガールの『アレコ』はそうしたさいに有力な武器の一つとなるであろうし、また長期貸し出しプログラムなどによる展示品の交流展示を実現することもできなくはない。国内外を問わず同規模のミュージアムとの人的・物的提携の推進は、最後発館の事業を軌道に乗せるための数少ない戦略的選択肢なのではないか。
また、コレクション収集については、その対象を郷土ゆかりの作家作品、県外作家の近・現代作品、海外作家の作品を三本柱とする方針のようであるが、作品の購入を主体とする収集事業には自ずと限界があり、また「コンテンポラリー・アート」という価値評価の容易でないものについては対象を絞り込むことの難しさもある。コレクション形成という厄介な問題について現在考え得る最良の方法は、平成十年に文化庁が纏(まと)めた「登録美術品制度」の活用である。いまだ充分に周知されているとは言い難いが、この制度を是非とも積極的に活用して欲しい。寄付行為に対する課税控除が一定限度まで認められることになり、委託、寄託、寄贈の推進が美術館にとって重要課題となりつつある。コレクションの特化方針と相容れない部分もあるが、収蔵事業においてはできるだけ門戸を広げる方向を今後も維持、検討して欲しい。
なにごとにつけ「グローバル化」が叫ばれる時代の風潮のなかにあって、美術館関係者は他館の動向を気にしながら自館の事業の運営を行うのが習い癖になっている。しかし、結果は惨憺(さんたん)たるものである。どこの美術館も他所と似たような事業を繰り返して恥じることがないからである。思えば、欧米で主導的な地位を築いた美術館はどこも、場合によると独善的とも映るほど個性的な事業運営を行っており、むしろそれを誇りにさえしている。作品の収集にしても各種企画の推進にしても、他館に追随せず、自館の独自性を徹底的に追究すること。県立美術館は独善的と詰(なじ)られることを決して懼(おそ)れてはならない。独自の主体的・意志的運営を実現できてこそ、数多ある美術館のなかに埋没することなく、その存在意義を世に謳(うた)うことができるのではないだろうか。美術館の事業は芸術文化に関わる。芸術文化の価値は平準化や画一化を志向する常識的発想からの逸脱や乖離(かいり)の程度によって計られるものであり、時にその「独善」を詰られることに懼(おそ)れをなしてはならないのである。

にしの・よしあき
1952年生まれ。1983年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。弘前大学人文学部助教授を経て、現在東京大学総合研究博物館教授。博物館工学・美術史学専攻、文学博士。著書に『十五世紀プロヴァンス絵画研究』(1994年、岩波書店)、『博物館学』(1995年、東京大学出版会)、『大学博物館』(1996年、東京大学出版会)、『二十一世紀博物館』(2000年、東京大学出版会)、『装釘考』(2000年、玄風舎)などがある。


esperanza エスペランサ