青森県立美術館に望む

第7回 菊地敦己(アートディレクター)

成長していく美術館そしてV.I.

本当のことを言ってしまうと、美術館やギャラリーに行って、手放しで「面白い!」と思える作品に出逢えることは滅多にありません。相当に有名な作品で も「意味が分からん」と思うことの方が多いです。特に僕は、若手の現代美術の作家を中心に見ることが多いので、なおさらだと思いますが。
それでも懲りずに、展覧会に足を運ぶのはなぜか。理由はいくつかありますが、一つは「良い作品」に出逢えたときの経験は、なにものにも代え難い体験であるということ。「感動」と言ってしまうとあまりにも陳腐ですが、ドキドキして踊りだしたくなるくらいの、身体的興奮を得られることがごく稀にあります。ディズニーランドより、ハリウッド映画より面白い。予定調和の興奮ではなくて、ただそこにある作品の存在の強さにやられてしまうのです。
もう一つは、色々な考え方と対峙することが目的です。「よく解らんな〜」と思うものも、作家がどんな状況で何を考えて創ったのかを考えながら、作家の思考を追体験していくと大きな発見があったり、腹が立ったり、作家の思考を鏡にして自分の考えがまとまったりします。他者の思考を体験すると、日常では使ってない脳の一部が揉みほぐされるような感覚があって、とても気持ちのよいものです。身体も使っていないと、うまく動かなくなったり持久力がなくなったりしますが、知的感受能力も一緒だなぁと思います。感性もエクササイズしてあげないと、どんどん硬化してしまう。まだ(もう?)僕は30歳ですが、それでも10代のときのような感受性は失われてしまって、油断するとゴリゴリと自分の中の基準で色々ものごとを独断的に判断してしまう、おじさん化が始まっているので、意識的なトレーニングの必要性を感じる今日このごろです。
さておき、芸術作品にそもそも面白さを求めるべきか?という疑問もあります。芸術というものは、それまでになかったものを創り出す、つまり新しい価値基軸を提出するメディアだと思うので、「簡単に面白いと思える作品なんて面白くない」という、逆説的な思いがあります。とくに若手(僕が若手というのも何なんですが)の作品は、同時代に生きる人間が新たな創造を模索した結果に生まれたもので、そに価値があるかどうかは、既存の判断基準では評価しきれないものです。そこで大切なことは、芸術家が排出した一つの答えに対して、我々観客がどう反応し、なにを考え、どのような評価をしていくかだと思うのです。環境が変化していく時間や人の目に触れていく過程を経て、芸術の価値は形づくられていくもので、美術館は作品がその洗礼を受ける場所でもあると思います。美術館の独自性や地域性は、収蔵作品や企画展示の内容だけで創られるものではなく、観客それぞれの対話によって創られるものだと思うのです。良い美術館とは、個人的には「生きた美術館」であると思っています。既に価値が決まった作品ばかりを集めた墓場ではなく、新たな、そしてその土地ならではの風土を吸収した価値体系を形成していける場所であろうと。

僕はアートディレクターという役割で、ブランディングという仕事をしています。具体的に言うと、「V.I.(ビジュアル・アイデンティティー)」つまりロゴマーク、ロゴ書体の設計やポスターや広告等のビジュアルイメージを作り、主体となる会社や団体、施設の独自性の形成を補助していく仕事です。これはなかなか難しい仕事で、ディレクターやデザイナーが一方的に「かっこいい」デザインを貼付けても、うまくいきません。ビジュアルイメージがどのように運用され、どんな人に受け取られるかが最終的なイメージに多大に影響していきます。つまり「ブランド」とは培われて育っていくものであって、はじめから出来上がっているものではないのです。言わば、子育てのようでもあって、生まれた時点である程度の資質はきまっていても、育っていく環境や周囲の人によって如何ようにも変わっていきます。

さて、前置きがずいぶんと長くなりましたが、青森県立美術館のV.I.を担当しています。どうぞ、よろしくお願いします。

この美術館のV.I.は、普通のやり方とはちょっと変わった方法をとっています。ロゴマークは、「木」と「a」(またはA)をモチーフにデザインしています。ただ、このマークは単体であまり意味を成しません。ある意味ではどこにでもありそうな「かたち」です。この図形をパターン(繰り返しの群れ)として展開して、美術館のシンボルとしていくという、方法をとっています。こう言って説明すると、わかりづらいですが、要するに「青い木が集まって森になる」というデザインです。美術館の活動が積もっていけばいくほど、木が増えて森が大きくなっていくというもの。
建築に設置されるサインも、館名を表札的に入口部に掲げるのではなく、ネオン管でつくられた30cmほどのマークが多数並んだ、パターンとして配置されます。建築と一体化してそのもの自体がアイデンティティーとなる設計です。加えて言えば、周囲の風景や光を含めた、総体的なビジュアルをアイデンティティーにしています。色彩は、空色と建築で用いられている土壁の色を基本色として採用して、周囲の環境との調和を計っています。言わば借景のような考え方で、マークの入る場所(それが建築であっても、紙媒体であっても)の環境にとけ込み、その媒体全体が独自のイメージを持つように創られています。伝えるべきは、ロゴのデザイン性や単なる名前ではなく、美術館全体の体験をイメージとして伝達していくことが大切だと考えているからです。

開館=完成ではなく、変化していくであろう環境や時間のなかで常に新たな価値体系を形成し、成長・変容し続けていくV.I.、そして美術館となり得ることを願っています。出来上がりがピカピカで、後は風化していくだけでは、ツマラナイですもんね。


esperanza エスペランサ