会期:2010年9月1日(水) - 11月28日(日)

展示のみどころ

2010年秋のコレクション展では、「あおもり国際版画トリエンナーレ2010」※ の開催を記念し、木版と銅版という2つの技法を用いて制作された版画作品を特集で紹介します。また、ウルトラ怪獣のデザインとその造形で知られる成田亨と高山良策の作品資料を併せて紹介する他、今年生誕100年を迎える阿部合成の作品をスケッチブックやデッサン等資料も含めて紹介します。

※「あおもり国際版画トリエンナーレ」は、青森市が3年ごとに開催する国際版画公募展。青森公立大学国際芸術センター青森において各受賞作品を含む入選作品展(12月11日〜2011年1月23日)が開催される。

陸稲と老農夫
高山良策
『陸稲と老農夫』
1956年 キャンバス・油彩
説教するキリスト
レンブラント・ファン・レイン
『説教するキリスト』
1652年 紙・エッチング、エングレーヴィング、ドライポイント


各展示室紹介


棟方志功展示室|「柵(さく)」の連なり

棟方志功(むなかた・しこう)(1903-1975)は自らの板画作品ひとつひとつを「〜の柵」と呼び表しました。「柵」には寺々を巡る時に納める御札の意味がこめられています。お遍路さんが願をかけてお寺に御札を納めていくのと同じように、作品に念願をこめて自分の生涯に道標として一つずつ置いていくのだといいます。そしてその柵がどこまでもどこまでも無限に続いていくことを願っていました。
一枚の板から複数枚の作品が生まれるという板画の性質に無限の拡がりを感じとった棟方は、それまでの版画の常識を打ち破る数々の大作を生み出しました。めくるめく物語を織りなす板画絵巻や詩歌を彫り込み数十点もの枚数からなる連作板画、また、いくつかの板木を組み合わせて制作した板壁画などスケールの大きい作品を制作しました。作品のひとつひとつに特別な想いをこめて柵と名づけた棟方板画の壮大な世界をご覧ください。


展示室P,Q,M|成田亨×高山良策 怪獣・幻想・シュルレアリスム

彫刻家・成田亨(なりた・とおる)(1929-2002)と画家・高山良策(たかやま・りょうさく)(1917-1982)は、『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』における怪獣デザインとその造型の仕事によって広く知られています。一見すると彫刻家のデザインを画家が立体化するという関係性は、逆転した役回りのようですが二人の芸術家によるコラボレーションは、レッドキングやメフィラス星人など人気の高い怪獣や宇宙人を次々と生み出していきました。
成田亨のウルトラ怪獣の着想源は、自然界に存在する事象や、モダンアートなど多岐にわたります。成田は怪獣をデザインするにあたり、自然界に存在する動植物など既存のイメージを引用しながらも、それらが本来的にもつ意味やバランスといった関係性を無視し接合、抽象化することにより、意外性のあるフォルムを追求しました。その創作方法は、互いにかけはなれた事象の出会いの効果によって思いがけない関係性を生み出すシュルレアリスムの技法、コラージュを想起させるとともに、想像上の生き物としての怪獣が元来もつ自然界との神秘的な結びつきを感じさせるものといえます。
一方、成田の怪獣デザインを造形化したことで知られる高山良策は、日本にシュルレアリスムを移植した福沢一郎に師事し、美術文化協会を舞台に画家としての活動を開始します。以降、山下菊二や中村宏らとともにシュルレアリスム的な表現に社会風刺を織り交ぜたルポルタージュ絵画を制作し、後年は、異形の人間像や不可思議なオブジェなどが画面を支配する独自の幻想絵画へと到達しました。こうした前衛画家としての高山の姿勢は、怪獣造形の仕事においても反映されているようであり、敗北者としての悲哀や愛敬にあふれたその怪獣造形は“高山怪獣”として、半世紀近い時を経た今もなお多くの人々を魅了し続けています。
このコーナーでは、高山が造型を手がけた怪獣および宇宙人の原画となった成田亨によるデザイン原画を中心に、シュルレアリスム的な幻想性や抽象性を感じさせる高山良策の絵画作品、そして二人が携わったウルトラ怪獣の関連資料をあわせて紹介します。


展示室L, J, K|あおもり国際版画トリエンナーレ2010開催記念企画
版画特集:木版画と銅版画 〜伝統と創造〜

木版画と銅版画は、どちらも長い伝統を持っています。
木の板を版にする木版画は、江戸時代の浮世絵から現在まで、日本ではなじみの深い技法です。一方、西洋では古くから銅の板を版にする銅版画が普及し、数々の名品がつくられています。あおもり国際版画トリエンナーレの開催を記念して、それぞれの技法が生み出す表現の魅力を特集します。


展示室L|関野凖一郎『棟方志功像』〜版木が明かす創作の秘密

『棟方志功像』は関野凖一郎(せきの・じゅんいちろう)(1914-1988)の代表作の一つです。「わだばゴッホになる」と青森から世界に飛び出した棟方志功の天衣無縫な人柄とともにどこか親しみを感じさせるのは、同郷の敬愛する先輩に寄せる関野自身のまなざしを反映しているからでしょう。
浮世絵と同じ木版による多色摺の技法で、何枚もの版木を摺り重ね、線と色彩によって構図を巧みに組み立てながら、摺り具合による微妙な効果も取り入れて力強い作品に仕上げています。
青森県立美術館では、作品とともに、制作に用いられた版木と、版木を摺重ねてゆく過程を知ることができる貴重な資料を所蔵しています。完成作をみているだけではわからない、創作の秘密をご紹介します。


展示室J,K|銅版画の多彩な魅力

銅版画は、銅の版に彫り込んだ線や点、つまり凹部分にインクを詰め、強い圧力をかけて摺ります。木版画では通常、彫り残した凸部分に絵の具を塗って摺りますから、この二つの技法では色をつける部分が凹凸逆になります。
西洋では長い歴史を通して銅版に絵を刻む方法がいくつも開発されてきました。青森県立美術館が誇る版画コレクションから、これらの技法を自在に使いこなした巨匠たちの名品をご覧いただきます。さらに、20世紀のフランスで、西洋の伝統から独創的な表現を生みだして人々を感嘆させた二人の日本人、長谷川潔(はせがわ・きよし)(1891-1980)と浜口陽三(はまぐち・ようそう)(1909-2000)の代表作をご紹介します。


展示室H,I|生誕100年記念 阿部合成の世界

今年、平成22年(2010年)は、青森市浪岡出身の画家、阿部合成(あべ・ごうせい)(1912-1972)が生まれてちょうど100年になります。
阿部合成の、芸術家としての苦悩に満ちた生涯は針生一郎の評伝のタイトル「修羅の画家」とともによく知られています。また、阿部は青森中学で作家太宰治の同級生であり、生涯を通じての親友としても知られ、太宰の死後、太宰の故郷、金木町(現五所川原市)芦野公園の太宰治碑をデザインしました。『道化の華』『親友交歓』『花吹雪』といった太宰の小説には、阿部合成をモデルとした登場人物が書かれていると指摘されています。
美術にも関心のあった太宰とは逆にはじめ作家を志していた阿部は、中学時代に出会った太宰の華麗な才能に衝撃をうけ、作家の道をあきらめ、京都絵画専門学校に進みました。その後、二科会に入選した郷里の出征風景を描いた『見送る人々』が「日本人らしくない」と批判され、反戦的な画家として指弾されます。そして出征してシベリアに抑留され生死の境を生き抜かざるを得なかった過酷な戦争体験により深く傷つき、帰国後まもなくの太宰の死などのショックもあって戦後の一時期虚無的で無頼な生活をおくります。1959年から、2度のメキシコ滞在を経て、メキシコの習俗をふまえた独自の宗教的な作品などに新たな可能性を切り開いていきますが、1972年、60歳で病に倒れてしまいました。
阿部の作品には、浪漫的な詩情とともに、太宰とも共通する、人間の深淵を見つめるような絶望、苦悩する他者によせる共感に満ちた眼差しと、深い祈りの心がうかがえます。今回は展示室Iに、彼が好んで描いたサーカスや道化のテーマ、メキシコで出会った土俗的な宗教に触発され、ミイラやどくろを描きながら深めていった祈りの作品、そして戦前・戦後の故郷の風景や家族、友人を描いた作品、スケッチブック・素描などを展示し、画家の全体像を紹介します。
また、展示室Hには、1959年から1960年、1963年から64年と2回にわたって滞在したメキシコシティで開かれた個展で出品された作品を中心に、現地で描かれた作品を展示します。現地の在留邦人の支援をうけた合成は、京都絵画専門学校時代に学んでいた日本画の技法、メキシコで出会った壁画の技法などを柔軟にとりいれながら、迫力にあふれる筆致で批評家や美術家たちをおどろかせました。戦後の彼の画業の大きな転換点となったメキシコでの活動を、長い間現地に遺されていた作品と当時の資料、スケッチブックなどを通じて紹介します。


展示室G | 寺山修司幻想写真館
犬神家の人々  〜旧ゴバース・弘子コレクションから

写真家の森山大道、立木義浩、篠山紀信、沢渡朔、鋤田正義らと写真や映画のコラボレーションを続けていた寺山修司 (てらやま・しゅうじ) (1935-1983) は、1973年に自らカメラマンとなることを志し、「アラーキー」こと荒木経惟に弟子入り。
その後、演劇公演の合間をぬって寺山は写真撮影に取り組み、多くの作品が生み出されていきますが、寺山の写真作品は現実を再現したり、日常から真実を切り取るものではなく、虚構の世界を構築することに重きが置かれています。作品は1975年の写真集『犬神家の人々』にまとめられ、フランスの写真雑誌「ZOOM」にも特集記事が掲載されるなど、大きな反響を呼びました。
さらに外国の古道具屋で売られていた古い絵葉書に興味を覚えた寺山は、自分で撮った写真をハガキ大の紙に焼き付けて退色させ、よごれをシルクスクリーンで印刷し、不思議な手紙文を書きつけ、さらに、世界中から集めてきた豪華な切手を貼り、わざわざ特注して作らせたスタンプを押して、手の込んだ偽の絵葉書を制作しました。
やがて「天井棧敷新聞」や演劇理論誌「地下演劇」の表紙が寺山の写真作品で飾られるようになり、さらには平凡パンチの女優グラビアページの撮影も引き受けるなど、写真家としても旺盛な活動を行っていったのです。
このコーナーではそうした寺山の撮影した「幻想写真」の数々を公開いたします。今回の展示作品は、寺山修司の日仏合作映画「草迷宮」「上海異人娼館」のプロデュースや各映画祭 (カンヌ映画祭、エジンバラ映画祭他多数) への出品、また天井棧敷海外公演のコーディネイトを長年努めたゴバース・弘子さんのコレクションです。彼女のプロデュースで、1976年から78年にわたってヨーロッパ各地で開催された写真展「寺山修司◎幻想写真館犬神家の人々」に出品された貴重な作品群です。


展示室F | 奈良美智:インスタレーション

青森県弘前市出身の奈良美智 (なら・よしとも) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
『Hula Hula Garden』と『ニュー・ソウルハウス』という2点のインスタレーション (空間設置作品) を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。


展示室N | 特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財
縄文の表現

特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前-4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人々が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。


アレコホール | マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887-1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

作品名 制作年 材質技法 寸法 (cm)
『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》 1942年 綿布・テンペラ 887.8×1472.5
『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》 1942年 綿布・テンペラ 883.5×1452.0
『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》 1942年 綿布・テンペラ 891.5×1472.5


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