2007年9月26日 (水) - 12月24日 (月・祝)

展示室O,K,I,Hは展示作業の都合上、9月27日 (木) からの公開となります。
ご了承くださいますようお願い申し上げます。


特集:企画展と合わせて楽しむ

アレコホール:マルク・シャガールによるバレエ「アレコ」の背景画

青森県は1994年に、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール (1887 - 1985) が制作した全4幕から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。
ユダヤ人のシャガールは1941年、ナチの迫害から逃れるためにアメリカへ亡命します。バレエ「アレコ」の舞台美術は、画家がこの新大陸の地で手がけた初の大仕事でした。
1942年に初演をむかえたバレエ「アレコ」の振付を担当したのは、ロシア人ダンサーで、バレエ・リュスで活躍したレオニード・マシーン。音楽には、ピョートル・チャイコフスキーによるイ短調ピアノ三重奏曲をオーケストラ用に編曲したものが用いられ、ストーリーはアレクサンドル・プーシキンの叙情詩『ジプシー』を原作としていました。
シャガールは祖国ロシアの文化の粋を結集したこの企画に夢中になり、たくましい想像力と類いまれな色彩感覚によって、魅力あふれる舞台に仕上げたのです。

作品名 制作年 材質技法 寸法 (cm)
『アレコ』第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》 1942年 綿布・テンペラ 887.8×1472.5
『アレコ』第2幕 《カーニヴァル》 1942年 綿布・テンペラ 883.5×1452.0
『アレコ』第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》 1942年 綿布・テンペラ 891.5×1472.5
※「舞台芸術の世界展」期間中は『アレコ』鑑賞のための特別プログラムをご用意しております。
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展示室P,Q:海外版画特集 ~西洋美術の成熟と革新~

19世紀の終わりから20世紀へと続く時代、ヨーロッパでは近代社会が成熟し、新大陸ではアメリカ合衆国が大きな成長を遂げました。一方で、諸国の利害は国家間、民族間の対立と複雑に絡み合い、20世紀前半の二つの世界大戦に象徴される、多くの戦争が起こっています。
交通や情報通信手段の進歩に合わせるように、芸術運動は地域や国を超え、さらに、しばしば美術、文学、音楽などのジャンルを超えた展開をみせ、芸術家同士の交流も活発になります。画家や詩人、音楽家の共同制作が行われたり、一人の芸術家が絵画、彫刻、版画、さらには舞台や映画など、多様なジャンルに取り組んでいることも珍しくありません。
今回は主に、19世紀後半から20世紀初頭に活動した作家から、第一次世界大戦後から1980年代にかけて活動した作家まで、6名の作品をご紹介します。彼らは生涯を通して、旅行も含めヨーロッパ各地やアメリカなど多くの場所に滞在しています。さらに20世紀に入って本格的な創作活動を始めた4人の作家-カンディンスキー、クレー、ピカソ、ダリ-は、故郷への愛着やアイデンティティへのこだわりを持ちながらも、生涯を通して母国以外を活動の場としている期間が長いという共通点を持っています。国を超えて広がりをみせる芸術活動と、不安や戦争など、自らが生きる時代と社会の光と影と対峙しながらそれぞれの表現を追求した作家達の代表作を集めました。
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棟方志功展示室:大世界の柵、そして白と黒の世

今回は、棟方板画美術館の協力を得て、世界最大級の版画とされる「大世界の柵」 (乾・坤) の二面を紹介します。
二面の総長が約26mにも及び、裸婦、嬰児、童子の図像で、この大世界に連綿として営み続けられる生命の誕生、その讃歌を謳い上げています。
また、棟方板画美術館が所蔵する無彩木版の優品を中心に、濱田庄司が「アンテナばかりに気を使う作家は多いが、棟方はアースも深く根を下ろしていて、貰ったものは完全に体中を通し棟方以上も以下も強力に仕事に参加させている」と評しているように、異文化あるいは新しい出会いに対し、棟方がいかに受容し吸収していったかを探りたいと思います。
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展示室K:青光画社と青森県の洋画の先駆者たち

1921 (大正10) 年、18才の棟方志功は友人の松木満史らと語らい、自分たちの手によって公募し展示する美術団体「青光画社」をたちあげ、10月15日 新町小学校にて第1回展を開催しました。さらに古藤正雄、鷹山宇一を仲間に加え、毎年2回、彼らが上京するまでの間10回展まで続いたこの青光画社は、志功をはじめ後に日本の画壇に確固たる地位を占めるに至る彼ら4人の芸術家の輝かしい出発点となったのです。この展示では、県立美術館で所蔵する棟方志功、松木満史、鷹山宇一の作品に加え、むつ市が所蔵する古藤正雄の大正期の油絵と、代表的な彫刻作品を展示します。夢を抱いた若き日より、晩年にいたるまで終生の友人でありつづけた青光画社の4人の作品が一堂に会する貴重な機会です。
また、あわせて志功たちに刺激をあたえた一つ前の世代の画家たちの、青森の洋画の黎明期の作品も展示いたします。これまでほとんど紹介されてこなかった大正時代から昭和初期の作品は、本県の洋画家たちのさまざまな努力と取り組みを教えてくれる重要な資料です。
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展示室I:考古学と前衛と -小野忠明/小野忠弘の芸術-

小野忠明と小野忠弘の兄弟は弘前市出身。兄の小野忠明は若き日の棟方志功にゴッホを教えたことでよく知られていますが、画家であり、考古学者でもありました。戦前には当時日本占領下にあった朝鮮に渡り、平壌府博物館につとめて楽浪郡の遺跡などの発掘に従事しました。また、そこで崔榮林をはじめとする現地の若い画家たちに美術を教え、彼らが結成した美術団体珠壺会からは戦後韓国を代表する画家たちが育っていきました。戦後戦後帰国して後は、明の星高校で教鞭をとり、青森県の考古学界の先駆の一人として活躍しましたが、画家としても独自の技法による抽象的な版画を制作しています。今回展示するのは、ほとんど発表されることもないまま残されていた一連の作品で、韓国の古い壁画をおもわせるような独特の質感と色彩が感じられる作品です。
弟の小野忠弘はジャンク・アートの第一人者であり、戦後はヴェネツィア・ビエンナーレに出品するなど、世界的にも高く評価された前衛のアーティストです。福井県の三国町に居を定め、教鞭をとるかたわら、古美術や考古学にも造詣が深く、同地の文化財審議委員などもつとめていました。今回展示する晩年のBLUEのシリーズは、様々な古物が貼り込まれた深い青の地に白いエナメルのドリッピングが自在に走り、遙かにひろがる夜の空を思わせるような雄大・深遠な印象をあたえる作品です。一つ一つが異なる小宇宙を形作る連作をご覧下さい。
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展示室H:1922年の朝鮮と今和次郎

弘前市出身の建築家、今和次郎は考現学の創始者として知られる存在ですが、一方で、1917 (大正16) 年頃から本格的にはじめた民家調査においても、重要な足跡を残した人物です。和次郎は、日本のみならず朝鮮半島へも赴き、1922 (大正11) 年の9月から10月にかけて各地を巡って民家調査をおこないました。この調査は、1910 (明治43) 年の日韓併合により、日本が朝鮮を統治するために設置した植民地政府、朝鮮総督府からの依頼により実現したものであり、総督府嘱託の任に就いていた地理学者小田内通敏 (おだうち・みちとし) がおこなっていた朝鮮の暮らしに関する調査の特別調査として和次郎が担当し、その成果は1924 (大正13) 年に『朝鮮部落調査特別報告第一冊』として総督府より発行されました。
朝鮮半島のほぼ中央部に位置する京城 (現在のソウル) からはじまった和次郎の調査旅行は、平壌 (ピョンヤン) 、かつて高麗の王都とした栄えた開城 (ケソン) 、咸興 (ハムフン) と北上し、その後、全州 (チョンジュ) 、金泉 (キムチョン) 、大邱 (テグ) と南下、各地の民家とそこに暮らす人々の姿が、和次郎自身の手になる大量のスケッチと写真によって記録されました。この調査において和次郎は、常に"上流・中流・下流"などあらゆる階層の、そして様々な職業の民家を調査することを心がけ、(1) 家の外観から屋根、骨組み、床面までに及ぶ構造について (2) 各地の民家を比較することによって見えてくる地域的差異性について (3) 人々の生活の営みと密接に結びついた間取りの型とその特徴について等の調査をおこないましたが、報告書の中では随所で日本の建造物と対比させながら、両国の暮らしから見えてくる風習や信仰の違い、営まれる職業の機能面から生じた共通性、さらには日本のある地域の民家に、朝鮮半島からの影響を見てとるなど興味深い考察をおこなっています。
和次郎はこの調査においても日本での民家調査時と変わることなく、あくまでフラットな視線をもって朝鮮の民家とそこに暮らす人々の有様を詳細に見つめ、記録しました。その結果、80年以上の時を経た現在、和次郎が採集したこれらの記録は、特定のイメージに絡めとられることのない、当時の朝鮮の記憶を次代に手渡すための貴重なイメージとして残されることになりました。
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その他常設展示

展示室F:奈良美智インスタレーション

青森県弘前市出身の奈良美智 (1959 - ) は、弘前市の高校を卒業後、東京と名古屋の大学で本格的に美術を学び、1980年代半ばから絵画や立体作品、ドローイングなど、精力的に発表を続けてきました。青森県立美術館は、1997年から奈良美智作品の収集をはじめ、現在その数は150点を越えます。
 《Hula Hula Garden》と《ニュー・ソウルハウス》という2点のインスタレーション(空間設置作品)を中心に、奈良美智の世界をご紹介します。
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展示室G:寺山修司の映像世界

寺山修司 (1935 - 1983) は東京を活動の拠点としつつも、故郷青森の言葉や風土を意識した作品を数多く手がけています。
偽の自伝映画「田園に死す」 (1974年、ATG) は、恐山と新宿のイメージが交錯する物語ですが、青森の家が壊れると新宿東口があらわれる不思議なラストシーンに象徴されるように、現実と虚構、都市と地方、現在と過去、内面と外面、創造と破壊といった対立概念をあわせもつ「両義性の魅力」が寺山作品の大きな特徴と言えます。
今年度の常設展示では、そうした寺山の本質を端的に示す映像作品を中心に展示を構成します。
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展示室L:石井康治:詩・季・彩

このたび、ガラス作家石井康治の作品150点余の寄託を御遺族より受けました。生前、「青森で作った作品を、青森の人たちに見てもらえるスペースを作りたい」と作家本人が語っていた志を承けてのことです。
1946年千葉県に生まれた石井康治は、東京芸術大学卒業後、ガラス工芸作家として活動を始め、1991年には三内丸山に念願の工房「石井グラススタジオ青森工房」を開設。1996年11月19日、青森で急逝するまで、青森の自然は彼の創作の源泉となりました。
石井康治は「色ガラスを用いて自分のイメージを詩のような感じで作りたい」と語り、こよなく青森を愛し、青森の地で制作し、青森を表現し作品に留めようとした作家でした。
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展示室M:寺崎廣業と蔦谷龍岬

慶応2年、羽後国秋田東根小屋町 (現秋田市) に生まれた廣業は、青年期に狩野派および四条派、さらには南画を学び、それらを融合した独自の画境を切り開いていきました。文展の第1回展から出品を続ける一方、東京美術学校の教授として教鞭をとり、明治34年には私塾である天籟画塾も開設するなど後進の育成にも力を注ぎました。その門弟の中には青森県出身の日本画家、蔦谷龍岬や鳥谷幡山も含まれています。
出品作の「四季山水図」は古典的な山水画の形式を踏まえ、写生に基づく空間表現に大和絵、四条派、南画の筆法が融合された広業円熟期の作風がよく示されています。四季の景観が巧みに描き分けられ、情感あふれるおだやかな作風の中にも、作家の高い精神性が感じられる四幅対の佳品です。
蔦谷龍岬は、寺崎廣業および東京美術学校日本画科選科に学び、のちに文展・帝展で活躍した戦前の青森県を代表する日本画家です。平家物語などを多く題材とし、藤原時代の絵巻物や古扇面を参考にするなど、大和絵を基調とする濃厚な詩情をたたえた画風で知られています。大正4年の文展初入選以降入選2回、特選3回、無鑑査2回をへて、第4回、第8回、第10回、第12回帝展では審査員もつとめるなど将来を嘱望されましたが、48歳の若さでこの世を去っています。「雨情三題」は三幅対の作品で、中央は「三室戸の雨後の月」、むかって左が「慈雨濯ぐ光る堂」、むかって右が「慧火赫く浄瑠璃寺」と題されています。水墨を基調としながらも金泥、岩絵の具を用いた大胆な賦彩を試みるなど、龍岬最盛期の傑作と言える優品です。
師弟関係にありながらも、それぞれ追求した様式が大きく異なる二人の個性と、近代日本画の多様な表現をお楽しみください。
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展示室O:×A (バイ エー) プロジェクト no.2:鈴木正治の“わ”

戦後、復員して青森に戻り、読売アンデパンダン展などに出品を続けるも、石彫、木彫から、版画、墨絵など様々な表現技法に取り組み、鈴木ならではの軽妙洒脱かつ含蓄のある作品を創り続けています。
鈴木を慕う創り手が、地元青森は言うに及ばず国内各地から青森県立美術館に集まり、それぞれが個性豊かに鈴木に対するオマージュを表現し、鈴木との目に見えぬ輪を美術館の展示空間に現出させます。
※会期中の9月29、30日、鈴木と親交のあるフランスの歌手ピエール・バルーのコンサートが美術館シアターで開催されます。

出品作家

鈴木正治    
石岡豊美 (青森市) またちかこ (青森市) 古川記之 (青森市)
斉藤葵和子 (青森市) 嶋山正三 (横浜市) 関口怜子 (仙台市)
関原律子 (青森市) 高杉俊一 (青森市) 田中毅 (川越市)
二瓶倫尚 (青森市) 溝江勝 (青森市) 溝江裕喜美 (故人)
横内孝子 (青森市)

   

×A プロジェクト:
「×Aプロジェクト」は、青森県立美術館のコレクションと建築空間の新たな魅力を引き出すための継続的プロジェクトです。
国内外のアーティストの作品やさまざまな創造の分野で活躍する人たちの発想など、青森県立美術館のコレクションあるいは建築空間に、新しい可能性を切り開くダイナミックな要素をかけ (×) 合わせることで、その特性と普遍性について考えます。
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展示室N:特別史跡 三内丸山遺跡出土の重要文化財

縄文の表現

特別史跡三内丸山遺跡は我が国を代表する縄文時代の拠点的な集落跡です。縄文時代前期中頃から中期終末 (約5500年前 - 4000年前) にかけて長期間にわたって定住生活が営まれました。これまでの発掘調査によって、住居、墓、道路、貯蔵穴集落を構成する各種の遺構や多彩な遺物が発見され、当時の環境や集落の様子などが明らかとなりました。また、他地域との交流、交易を物語るヒスイや黒曜石の出土、DNA分析によるクリの栽培化などが明らかになるなど、数多くの発見がこれまでの縄文文化のイメージを大きく変えました。遺跡では現在も発掘調査がおこなわれており、更なる解明が進められています。
一方、土器や土偶などの出土品の数々は、美術表現としても重要な意味を持っています。当時の人間が抱いていた生命観や美意識、そして造形や表現に対する考え方など、縄文遺物が放つエネルギーは数千年の時を隔てた今もなお衰えず、私達を魅了し続けています。
青森県立美術館では国指定重要文化財の出土品の一部を展示し、三内丸山遺跡の豊かな文化の一端を紹介します。縄文の表現をさまざまな美術表現とあわせてご覧いただくことにより、人間の根源的な表現について考えていただければ幸いです。
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奈良美智 『八角堂』

レストランやミュージアムショップの裏側に位置する野外のスペースには、奈良美智のコミッションワーク『八角堂』が見られます。八角形のお堂の中に、《Shallow Puddles Ⅰ/浅い水たまり Ⅰ》 (2004年) と題された6点の皿場の絵がひっそりと収められています。礼拝堂を想わせる神秘的な空間をお楽しみ下さい。
*美術館本体の開館と同じ時間帯に、無料でご入場いただくことができます。
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