青森県立美術館の中心には、縦・横21m、高さ19m、四層吹き抜けの大空間が設けられています。アレコホールと呼ばれるこの大きなホールには、20世紀を代表する画家、マルク・シャガール(1887-1985)によるバレエ「アレコ」の背景画が展示されています。

青森県は1994年に、全4作品から成るバレエ「アレコ」の舞台背景画中、第1幕、第2幕、第4幕を収集しました。

これらの背景画は、帝政ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人の家庭に生まれたシャガールが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため亡命していたアメリカで、「バレエ・シアター(現アメリカン・バレエ・シアター)」からの依頼で制作したものです。大画面の中に「色彩の魔術師」と呼ばれるシャガールの本領が遺憾無く発揮された舞台美術の傑作です。

残る第3幕の背景画《ある夏の午後の麦畑》は、アメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵され、長らく同館の西側エントランスに展示されていましたが、このたび同館の改修工事に伴い、4年間の長期借用が認められることになりました。青森県立美術館での「アレコ」背景画全4作品の展示は、2006年の開館記念で開催された「シャガール 『アレコ』とアメリカ亡命時代」展以来です。背景画全4作品が揃ったこの貴重な機会に、あらためてシャガールの舞台美術作品の魅力をお楽しみください。


★フィラデルフィア美術館所蔵の第3幕は、長期の借用となるため、函館税関からアレコホールを保税展示場とする許可をいただいて展示しています。
 

展示期間 2017年4月25日 - 2021年3月頃(予定)

アレコホールへのご入場には、コレクション展もしくは企画展の入場チケットが必要です。

フィラデルフィア美術館 ティモシー・ラブ館長より

向こう4年間にわたり、フィラデルフィア美術館は、歴史的建造物の中にある多くのスペースを改修、拡張していくことになります。この大規模な工事計画によって、1986年に収蔵されて以来、美術館のエントランスロビーに展示されてきたマルク・シャガールの《ある夏の午後の麦畑》を撤去する必要が出てきました。そこで私たちは、シャガールがバレエ「アレコ」のために生み出したほかの3点の背景画と再び一緒に展示されることを願い、喜んでこの作品を青森県立美術館へ長期貸出することにいたしました。



マルク・シャガール, バレエ「アレコ」のための背景画第3幕《ある夏の午後の麦畑》[フィラデルフィア美術館蔵], 1942年
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017, Chagall® G0873




■作品概要

第1幕 《月光のアレコとゼンフィラ》 
Backdrop for Act1 : Aleko and Zemphira by Moon light

1942年
テンペラ・綿布 Tempera on cotton fabric
887.8 × 1472.5 cm
青森県立美術館蔵 Aomori Museum of Art
夜空にはこうこうと満月が輝き、湖はその光を映している。大地には、流浪の民であるジプシー(※)のテントが見える。寄り添って宙に浮かぶ恋人たち、アレコとゼンフィラの顔は、シャガールと妻ベラの面影をとどめているといわれる。物語のはじまりの場面にふさわしく、宇宙の起源を思わせるような青い大気が渦巻いている。

第2幕 《カーニヴァル》
Backdrop for Act2 : The Carnival

1942年
テンペラ・綿布 Tempera on cotton fabric
883.5 × 1452.0 cm
青森県立美術館蔵 Aomori Museum of Art
ジプシーの仲間に入ったアレコは彼らと共に旅をし、カーニヴァルの祭りでは、熊や猿に芸をさせ、歌を歌い、踊りを踊りながら、窮屈な都会とは正反対の自由で気ままな暮らしを送る。熊がヴァイオリンを奏で、さかさまに描かれた花束からは小さな猿が顔をのぞかせている。四角い画面の中に広大な平原を閉じ込めるかのように、ロシアの農村の家々がカーブの中に描かれている。

第3幕 《ある夏の午後の麦畑》
Backdrop for Act3 : A wheat field on a summer's afternoon

1942年
テンペラ・綿布 Tempera on cotton fabric
914.4 × 1524.0 cm
フィラデルフィア美術館(レスリー& スタンリー・ウェストレイク寄贈,1986年)
Philadelphia Museum of Art : Gift of Leslie and Stanley Westreich,1986
ぎらつくような日光に照らされた黄金の麦畑。傍らの池には小舟が浮かんでいる。小船の上にはさびしげな人の姿が見られる。若きジプシーの登場により、ゼンフィラの心は次第にアレコから離れていく。一人さびしくボートをこぐのは、ゼンフィラの愛を失って嘆き悲しむアレコの姿か。

第4幕 《サンクトペテルブルクの幻想》
Backdrop for Act4 : A Fantasy of St Petersburg

1942 年
テンペラ・綿布 Tempera on cotton fabric
891.5 × 1472.5 cm
青森県立美術館蔵 Aomori Museum of Art
最終幕、ゼンフィラを失い、嫉妬に燃えるアレコを狂気が襲う。真っ赤に染まったサンクトペテルブルクの街並み。プーシキンの詩でうたわれた「青銅の騎士」の像が闇夜に浮かんでいる。馬車を轢く白い馬が、宙に浮かぶシャンデリアめがけて、夜空をかけあがる。左下には悲劇的な終わりを暗示する、墓地や教会、それに十字架上のキリストが描かれている。

※ジプシーの呼称について
「ジプシー」民族について、現在では彼らが自称する「ロマ」(または単数形の「ロム」)という呼称を用いることが一般的になっていますが、ここでは、バレエ『アレコ』の原作となったプーシキンの詩『ジプシー』の作品題名に則し、作品表記、作品解説等で「ジプシー」という語を用いています。




マルク・シャガール, バレエ「アレコ」のための背景画第1幕《月光のアレコとゼンフィラ》(右),
第2幕《カーニヴァル》(左), 1942年
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017, Chagall® G0873




マルク・シャガール, バレエ「アレコ」のための背景画第3幕《ある夏の午後の麦畑》[フィラデルフィア美術館蔵](右),
第4幕《サンクトペテルブルグの幻想》(左), 1942年
©ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017, Chagall® G0873





マルク・シャガール( 1887 - 1985 )

1887年、帝政ロシアの町(現: ベラルーシ)、ヴィテブスクのユダヤ人の家庭に生まれる。サンクトペテルブルクの美術学校で学んだ後、1910年、パリに移り住み、前衛芸術の動向に触れる。この初期のパリ時代に、《七本指の自画像》や《誕生日》などの代表作が生み出された。第一次世界大戦前後の一時期をロシアで過ごすが、1923年からはパリで活動を再開。1941年にはナチス・ドイツの迫害を逃れるためアメリカに渡り、約7年間を過ごした。フランスに戻ってから1985年に亡くなるまでの晩年の活動では、モザイクやステンドグラスなどモニュメンタルな作品を数多く手がけた。

バレエ『アレコ』

バレエ「アレコ」はロシアの文豪、アレクサンドル・プーシキンの詩「ジプシー」を原作とする物語。
文明社会に飽いた貴族の青年、アレコは自由を求めてジプシーの一団に加わり、そこでジプシーの娘ゼンフィラと恋に落ちる。しかしほどなく、浮気なゼンフィラは別のジプシーの若者に心を移す。それを知ったアレコは、憤慨のあまりゼンフィラとその愛人を刺し殺してしまう。
アメリカという異国の地で望郷の念を募らせていたシャガールは、同じロシア人の振付家レオニード・マシーンとともに、祖国へのオマージュともなるこのバレエの演出に夢中になった。シャガールは衣装や舞台美術のために60点を超えるスケッチを描き上げた。そして最後の瞬間まで仕上げに余念がなかったと言われる。こうした熱意の結果生み出された創意あふれる舞台装置と衣装は、メキシコ(9月8日,メキシコシティの国立芸術院宮殿でワールドプレミア)、アメリカ( 1942年10月6日,メトロポリタン・オペラ・ハウスでニューヨーク初演)そしてヨーロッパと、公演された各地で好評を博した。
4点の背景画は、ブランクを挟みながらも1960 年代後半まで続いた上演の度に用いられ、1977 年に「バレエ・シアター」(現在の「アメリカン・バレエ・シアター」)が手放してからは、美術作品として新たな道を歩み始めた。







2018年3月10日(土) - 5月6日(日)企画展「マルク・シャガール 三次元の世界」展開催!!

マルク・シャガールの三次元の作品世界を紹介する日本で初めての展覧会。戦後のシャガールは陶磁器や彫刻なども手がけています。本展では画家の初期の絵画作品から三次元的な制作への関心をたどり、後期の彫刻や陶磁器など、あまり知られていない立体的な作品群を紹介します。